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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
31/37

31. これはきっと、そういうこと


 階上への道には魔力を用いた仕掛けの類はなかった。地下階段の入口に詰めていた男が、ロニヤの後から上ってきたベルントが帯剣しているのを目にして、ぎょっとして身構える。ベルントがロニヤの背を小突いて制させた。男が大人しくなったところを手刀で意識を奪い、男自身の衣服と剣帯で手足を縛って通過する。部屋から出れば廊下は一本道だ。異変を察知して誰かが駆けつける気配はない。ただ、向かう先の玄関ホールに人の集まっている気配があった。警戒したシモンは手前で足を止め、ベルントも剣の柄に手を置く。


「人を集めて、何をする予定でした」

「別段何も、言いつけていないわ」


 ロニヤも訝しげに眉を顰めて立ち止まり、不愉快そうにベルントを振り返る。


「クロンヘイム伯だったらどうします」


 アーベルだけが訪問者とは限らない。ベルントがシモンの指示を仰ぐべくロニヤから目線を外したのは、ほんの一瞬だった。その隙にロニヤは駆け出していた。ロニヤは父親の名を耳にして反射的に身体が動いたに過ぎないが、柄を握っていたことが裏目に出た。引き止める意思が、斬り捨てる動作となって表れかけて、それは流石にまずいとベルントは手間取ったのだ。


「いいよベルント。伯なら話をしよう。たっぷりと。まさか増員だけするということはないだろうけど……もしそうだとしても、目眩しくらいはいける」


 魔器の効果範囲を外れたからだろう、食事が足りていない為魔力生成量はさほどでもないが、吸収されない分、一度くらいなら現象化できそうな量は溜まっていた。手順を簡単に打ち合わせ、ロニヤを迎えるホールの反応を窺った。




 




「お父様っ」


 ロニヤはそのままホールへの角を曲がった。そこにいたのはロニヤの期待した顔ではなかった。高貴な身分と判る上質な誂えの外套を纏った男と、オリヤン、護衛と思しき屈強な男達がいて、邸の執事が応対していた。その周囲に控えている使用人達は戸惑っている。


「何事なの。暫く来客は受け入れないと言ったじゃない。門番はどうしたのよ。追い返しなさい」

「お嬢様、お静かに。ファルンバリ公爵閣下ですよ」


 不機嫌なロニヤを執事が窘める。


「だからなんなのよ、来るなんて聞いてないわ、失礼じゃない。それに今、それどころじゃないわ」

「私も普段なら、こんな非常識なことはしないよ。だけどどうも、貴女は国防を揺るがす恐ろしいことをしているようだからね。レードルンド家稀代の才女と言われる貴女が失われる危機に、駆けつけないわけにはいかなかった。許してはもらえないかな」


 アーベルは鷹揚に微笑んだ。不穏な言葉にロニヤは怯み、動揺する。


「何、を、仰っていますの……」


 ただロニヤは、世情を知らぬが故に、急に突きつけられても瞬時には理解が追いつかない。


「次期魔法伯への無体で、貴女のお父上が内乱罪に問われかねない状況だと伝えに来たんだ。話を聞いてくれるかな」

「何故そんな…? 次期…シモン様はお元気ですわ!」


 ロニヤが振り返った先から、シモンとベルントが歩みくるのを見つけて、アーベルは拍子抜けしたように笑った。


「やあなんだ。私が来るまでもなかったな」

「いいえ、助かりましたよ。ご足労感謝します。貴方を巻き込めるなら、とても良い話ができそうです」


 シモンも気を抜いたように微笑み返した。







 シモンは身体を休める間も無く領主邸に赴いた。証拠隠滅を防ぐためにアーベルの護衛を研究邸に残し、ロニヤはクロンヘイム伯の元に伴う。

 始めクロンへイム伯は、ロニヤ一人に全てを被せ、決着をつけようとした。伯自ら伯爵家からの除籍と国外追放を申し出たのだ。保身には違いあるまいが、そう簡単に手放していい存在ではないロニヤの追放には違和感がある。国外に親戚を持つ貴族は多く、跡目を継がない子女の国外追放自体は家の損失にもならない。予め用意されていたシナリオを適用して危機回避を行おうとしているのだとシモンは見た。

 何せ強引にシモンの子を得ようとしていたのだ。国外で産み落とした子を、ほとぼりが覚めた頃に養子として迎える目論見だったのだろうと、容易に想像がつく。研究は文献や道具を持ち出せば続行が可能であるから、レードルンド家がロニヤの頭脳を失うことにもならない筈だ。つまり。これは全く、クロンヘイム伯に痛むところがない申し出なのだ。

 そこでシモンは、アーベルにクロンヘイム伯の虚偽の証人になってもらい、関与の言い逃れの道を絶った。これまでトールボリ家は、シモンに対する暴挙に沈黙したことはない。シモンにも不問にする気がないことを示し、本件は公の処罰を求めない代わりに、レードルンド家の研究の公開を求めた。クロンヘイム伯にしてみれば、これこそが大打撃であろう。この時の顔色の悪さは演技には見えなかった。一族の悲願の結晶が、一族繁栄の為に独占されるべきものが、平民の研究者の手にまで届くものになってしまうのだ。多くの人間の目に触れることで、違法な手法も使いにくくなる。


「陛下にも話を通して、アーベル様が提携するということになったからね。これが通れば、どんどん研究が進むよ」


 シモンは機嫌良くヴェラに説明した。

 シモンはマルクルンド侯領に戻り、療養させてもらっている。療養と言ってもよく食べて寝れば良いだけなので、シモンにとってはヴェラとゆっくり過ごせるご褒美期間のようなものだ。父や国王への書簡を出し終えると、客室の長椅子に二人並んで腰掛け、安らぎの時間を満喫している。


「ご令嬢は、どうなるのですか」

「ああ彼女は」


 シモンの声の温度が下がった。


「死ぬまで働いてもらうよ。僕の目的の為に」


 ロニヤの世情に対する無知と、倫理の欠如は本人の責任ではない。クロンへイム伯の良いように育てられた結果であり、それが監禁、あわや生体解剖という、あの暴挙を齎したのだろうとシモンは解している。ただ罰しても、ロニヤには訳がわからないだろう。寝台に潜り込んだことは、『お父様の指示に従っただけ』。これまでシモンにそうしてきた女達と大して違いはない。ロニヤの最も嫌がることを罰として与えるにしても、それは研究を取り上げることだ。シモンにとっても国にとっても、損失に他ならない。


「伯との接触を禁じることになるだろうから、それが一番の罰にはなるのかな」


 研究邸への幽閉。世間的には罰のようであるが、ロニヤは元々幽閉されていたようなものだ。特に不自由は感じないだろう。但し使用人は入れ替え、シモンやアーベルの息のかかった者になり、監視されながらの生活となる。好き放題はできなくなるから、研究の手法には不自由を感じることになるかもしれない。


「大丈夫ですか」


 ヴェラはロニヤには触れない方が良かったかと、様子を窺う。


「うん」


 シモンは無になっていた顔に微笑みを浮かべて、ヴェラの頭に頬を擦り寄せた。


「君が来てくれた。───まあちょっと、嫌なことを思い出しはしたけれど。でも、君が来てくれたからね」


 穏やかな声音は、安息の地で微睡むかのように満ち足りている。ヴェラの腰にあるシモンの手も、口付けを求めようとする気配もなく、そこに落ち着いたままだ。人間のヴェラでも、十分に癒やされるのだとでもいうように。ヴェラがずっと持っていた認識は、薄れつつある。シモンが口ではどう言おうとも、人間のヴェラは蛙ほど愛されはしないだろうという認識。別段それで、構わなかった。おこぼれの愛情でも、大事にされていることに変わりはないのだから、十分だった。今もそれは変わらないが、人間でも愛されているのではと感じるのは、ほんのりとむず痒く、温かい気持ちになる。嬉しいと感じているのだ。あの地下で、人間でも関係ないと、シモンは言った。戸惑いはしたが、矢張りあれも、嬉しかったのだ。ヴェラはそっと、頭を擦り寄せ返す。


「私は貴方を、諦められなかったのです」


 失うことを、人生を、幾度もの死を、痛みがあることを諦めた。諦めて受け入れることが常態であったのに、諦めることができなかった。シモンが帰ってこないかもしれない、もしかしたら、永遠に。そう思ったら、黙っていられなかったのだ。あんなふうに自ら危険に飛び込むほどの激情が、自分に残っているとは思わなかった。


「これは、愛しているということではないかと思うのです」


 執着かもしれなかった。自分にとって安全な環境を、心地良いものを齎す者への。だがただの執着であったとしても、愛と呼びたい。シモンが自分に向けてくれるような、温かいものであったらいいと思う。

 シモンは息を呑んだ。恐る恐る凭れていた身体を起こすと、ヴェラの様子を確かめるように慎重に見つめる。


「今、……なんて」


 シモンの瞳は揺れている。今耳にしたことに確信が持てないと、その目が言っている。だから求めのままに、ヴェラは口を開いた。あまり動かない表情の代わりに、目は真っ直ぐにシモンの目を見つめる。


「シモン様を、愛しています」


 シモンは口を引き結んだ。聞こえてきた言葉を大事に閉じ込めるように、ヴェラをゆっくりと抱きしめる。


「もう何もいらないって、こういう気持ちなんだな」


 長い長い抱擁の中、シモンはどこか夢現に呟いた。






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