29. 閃きを促した覚えはない
シモンが目覚めた時、ヴェラはいなかった。夢だったのかと気落ちしかけたところにベルントが鍵を見せ、使用もし、夢と現の境目を判別する作業があった他は、シモンは大分落ち着いていた。
「こんなことまでしてもらって、いつまでも情けない姿を見せていられないね」
魔器からの吸収軽減があり、自力でスープを口に運べている。その間にベルントは、地下調査報告、アーベルからの伝達事項、シモンが寝ている間のロニヤの動向を話して聞かせる。
「調整の目処がたったからでしょう、昨日からご令嬢の入室が頻繁になって、動きが読めなくなりました」
「……ちょっとまずいな。魔器の容量が読めるようになっていただろう」
来るべき未来が予測できて、シモンの身体は無意識に強張る。
「弱ったふりが通用しなくなりますか」
「うん。……はじめ使っていた研究室に進めなくなっていたと言ったね」
ロニヤと真っ当に協力しあっていた時に使っていた部屋は、今いる部屋よりも階段から遠い場所にある。ベルントは地下を調べに出た時、奥に進もうとして早々に、見えない壁に足止めされたのだ。ベルントでは詳細に調べることは不可能だったが、明らかに超常的な力が使われている。
「僕の魔力を使っているんだろう。魔力があることで急激に研究が進んでいるんだ。凄いな。こんな短期間で現象化を行えるなんて。親しくはなりたくないけれど、ロニヤ嬢は素晴らしいな。いや、レードルンド家の努力が凄いのかな。両方かな」
シモンは表情を曇らせながらも、自身の最終目的を思えば称賛しか出てこない。
「まずいんじゃなかったんですか」
ベルントは特に感慨もなく、目の前の問題へと軌道修正を図る。
「ああ……うん。僕の置かれている状況はね」
シモンは意気消沈して、スプーンが皿に戻された。空のそれを、ベルントが片づける。
「あと食事が足りない」
生命活動に必要なものに加えて、魔力を体内で生成しているのだ。魔操者は必然的に必要とする食事量が多くなる。
「量を願うと、余計危うくなりますね」
「そうなんだよね」
固形食への変更も危険だ。シモンは両手を開いては閉じ、見つめる。魔力は感じるが、現象化するには全く足りない。
「アーベル様頼りか」
声には歯痒さが滲み出る。シモンは普段、言わば敵なしだ。野盗に襲われたところで、ベルントが武芸を披露する間もなく片付くことの方が多い。多くの場面でベルント以外に護衛を連れ歩いていないことも、その自信の現れだった。こうしてただ助けを待ち忍ぶなど、魔力を上手く使いこなせていなかった少年時代以来だった。
「方針変更は願っていませんから、遅くとも明日、明後日には決行してくださいます。それまで性病持ちということで凌いでみますか」
ベルントが真面目な顔で提案し、シモンは眉を顰める。
「何を言っているんだ。そんなことをしたら、ヴェラも病気持ちということになってしまうじゃないか」
「気にするのそこですか」
「他に何があるんだ」
「若様が実はとんでもない遊び人だったのではという噂が駆け巡り、性病治ればただの女好きとばかりに医者つき令嬢が列をなしますね」
「余計に嫌に決まっているだろう。勧めておいてなんなんだ」
「あ」
「ベルント……君も相当疲れているんだな」
シモンが眠っている間も、ずっと一人で護っているのだ。シモンはベルントがいつ休んでいるのかも知らない。シモンが呆れと労いと感謝の綯い交ぜになった目をすると、ベルントは目を泳がせた。
「いえ、……できるだけ体力は温存しているつも」
ベルントの言葉はノックによって遮られた。シモンは歪みそうになる表情を堪えて、枕に深く背を預ける。ベルントの返事で入室するのは、相変わらずラルフを連れたロニヤだ。
「ああ、良かった。漸く起きているお顔を見ることができましたわ。ご気分はいかがですか。もう大分良くなっているのではないでしょうか」
シモンを一目見ると、ロニヤは上機嫌で魔器の確認を行い、交換を行わずに鉄格子を施錠した。
「いや。まだ良くはないよ。気を抜くと瞼が落ちる」
「まあ。おかしいですわね。器にはまだ大分余裕がありますのに」
「新鮮な空気が吸えれば少しは違うかもしれないな。此処は随分と空気が澱んでいる」
ロニヤが疑念を纏める前にと、シモンは口を挟む。
「人間は日に当たらないと弱るとも言います。日光浴が必要かもしれませんね」
此処ぞとばかりにベルントも後押しの言葉を添えた。シモンに賛同する形であるから、ロニヤもベルントを咎めはしない。代わりに困ったような息を吐く。
「まあ。ご病気ではございませんのよ。それにね、シモン様。シモン様の枷の鍵を、警備の者が失くしてしまいましたの。探させておりますけれど、暫くは外すことができなくなってしまいましたのよ。…あら? でもそうだわ、もし見つからなかったとしても、シモン様がお元気になればご自分で外せるでしょうから、問題はありませんわね」
まるで駄々を捏ねる子供を宥めるかのような抑揚で、鍵の紛失もその一環であるかのようの織り交ぜられている。これでロニヤには、悪意がないのだ。これをどう無難にやり過ごすかシモンは迷って、瞼を下ろし目の表情を隠した。
「問題は…あるよ。弱った身体にこの鎖は重すぎる。……それに、器に余裕があるのは当たり前だよ。魔力を生成できていないのだから、全部持っていかれてもそれを満たすことはできない」
「それは本当ですの?」
シモンは億劫そうに目を開くも、沈黙を選ぶ。これがどう受け取られるかは、賭けだ。まだ危うい状態にあり、子作りどころではないと印象付けられれば一番良いが、好都合とも受け取られかねない。
「生きているのに生成できないなんて、そんなこと……? 生命維持との関係はないというの……? それはおかしいわ、過去には事切れるその瞬間まで魔力を……だからシモン様が倒れたのだって…ああでも、この国に二人しかいないのに無茶なことはできないし……でもじゃあ、器が満たされていないのは調整が成功したわけではないというの?」
ロニヤは魔器に視線を落とし、考えに没頭するように内にこもった話し方をしだした。
「そんな筈…術式は合っているもの…… あら…? そうよ、合っているのだもの、……もしかして。そうよ、だからつまり生命活動とは別の。そんなこと、あり得る?」
一周巡って気付きを得たかのように、ロニヤの目線が持ち上がる。皮膚の下を透かし見んとでもするかのような熱心な視線が、シモンの身体を這う。目が合った瞬間、シモンの背筋に悪寒が走った。
「矢張りお加減を診ますわ」
ロニヤは机から離れ寝台に歩み寄った。直ぐ様ベルントが立ち上がり、壁となる。
「大発見をしたのかもしれないのよ。お前には判らないだろうけど、とても重大なことなの。そこをおどき」
「お断りします」
ロニヤは目を細めた。
「シモン様。お子はひとまず置きます。貴方のお身体を少し、調べるだけですわ。魔操者について、とても興味深い仮説が立ちましたの。ご自身の身を知ることは、シモン様にとっても良いことですわ。この者に退くように仰ってくださいな」
ロニヤは駆け引きを行えるような質ではない。だからこれは本当に興味が移ったのだと、シモンは判断した。だからといって、何も解決はしていない。
「明日にしてくれないか。そろそろ休みたい」
「調べるだけですから、眠っていてくださっても構いませんわ。そうだわ、この者も、ずっと付きっきりで疲れているのではありませんこと? 排除は致しません。少し、休んでもらうだけですわ」
ロニヤはいいことを思いついたとでもいうように声を弾ませ、身を翻した。ラルフを残して出て行く後ろ姿を見ながら、これはしくじったと、シモンは思った。




