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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
25/37

25. 蛙心は荒ぶっている


 グスタフはラルフにいくつか指示を受けて階上に戻った。その後も暫く魔器と向き合っていたロニヤも、魔器を囲う鉄格子を施錠し、睡眠の為に引き揚げていった。


「無茶をしますね」


 静まり返って暫くしてから、ベルントは前腕の上で大人しくしていたヴェラに向かって呟く。吐息が安堵とも呆れともつかない。言いたいことを数多溜め込んだ目で見下ろすと、見上げるヴェラと目が合う。見つめ合うのは数秒で、天蓋の内側に入った。シモンはベルントが寝かせた時のまま動いた様子もなく、瞼を持ち上げる気配もない。


「魔器に魔力を吸い取られ続けていて、起きているだけでも辛い状態なんです。眠るというより、起きていられず意識が落ちる感覚だということですから、相当なんでしょう。起きた隙に食事を流し込んでいますから、最低限の栄養は摂れています。因みに鍵付きの枷を嵌められているので私が担いで運び出すこともできません。ご令嬢は若様の子をご所望なので、これ以上の衰弱は望んでいませんが、あそこにある魔器を遠ざけるつもりもありません。予備もいくつかあるようです。吸収率の軽減が上手くいけば若様も少しは動けるようになると思いますが、こればかりはご令嬢の腕次第です。……若奥様は公爵閣下と?」


 ヴェラは頷く。


「他には誰を連れてきました? イクセルさんはいますよね。護衛は何人ですか、一人? 二人? 三人? 四人? 五人? この邸に入れたのは何人ですか、一人? 閣下ですか? では護衛? 別の人間となると…まさかセルマ? セルマは来ていないのですか? なら……研究者の誰かですか。つまり……手助けという名目でなら入れてもらえたということでしょうか。……では。閣下には魔器の暴走としか伝えられていませんね? その関係で閣下も入れないとされている? 研究者は平民だから万一があっても支障がないと?」


 ベルントはヴェラから手際よく頷きを引き出し、推測を事実に変え状況を把握してゆく。


「研究者は誰ですか、ハンネスさん? コーレさん? オリヤンさん? 地下にはいつ……いえ、若奥様がお一人でいらっしゃったということは、もしかして来ない? 来られない? 魔器には関わらない? ……では、受け入れたという姿勢を見せただけか…難癖つけて送り返してます? まだ?」


 その他邸の間取りや警備状況など必要なことを聞き出して、ベルントは一息ついた。


「わかりました。若奥様は戻って閣下に状況を伝えてください。若奥様を潜り込ませるしか方法がなかったのだろうと理解はしましたが、状況が判ればもう閣下も策を立てられるでしょう。くれぐれも戻ってきたりはしないように。いいですね」


 ヴェラは最後だけ頷かなかった。ベルントは目を細める。


「若様大激怒ですよ」


 頷かない。


「泣きますよ」


 頷かない。


「万一若奥様が亡くなられるようなことがあれば、このクロンヘイム伯領が消し飛ぶかもしれません」


 頷かない。


「……若奥様には全く与り知らないことでしたね。私もです。……万一若奥様が亡くなられるようなことがあれば、」


 ベルントは考え込んだ。


「あ、いやいや、こうなります。クロンヘイム伯領が消し飛ぶと、若様を罪人として捕らえるべく国軍が投入されますね。然し捕縛できず、最終的には旦那様が差し向けられ死闘が繰り広げられます。誰も望まない父子対決です。国は焦土と化し、もし生き残れたとしても国民から忌み嫌われた末の極刑となるでしょう」


 ヴェラの口がびくりと持ち上がった。心なしか震えている。得たり、とベルントは駄目押しをする。


「若様は不幸のどん底で一人寂しく死ぬんですよ」


 ヴェラは頷くこともできないくらい衝撃を受けている。ベルントにはそう見えた。





 ヴェラは来た時と同じ手法か、人間が開けた隙に扉を通過しようと考えていたが、空の皿の上に乗り一階に運ばれた。ベルントと脱出方法を検討した結果、前者は重量が全くないわけではないので気付かれかねず、現に気付かれており、後者は時間がかかりすぎる。どちらにしても明るいうちだと気付かれる可能性が高いと判断し、トレイを下げる人間を利用することにしたのだ。

 食事には埃が入らないように半球状の蓋が付けられていて、厨房までは安全に移動できた。蓋が開けられる瞬間が勝負だった。開けた人間が驚いた隙に飛び出し、物陰に潜んだ。然し探し出され捕まり、結局外に放り出されてしまった。

 困ったヴェラは、邸の外周をぐるりと周り正面に出て、オリヤンの客室目掛けて外壁をよじ登る。誰かが朝には出て行かせると言っていた。邸内を勝手に見て回っていたのはばれていたから、体調を崩していなくても叩き出されたかもしれない。もう日は高く昇っていたが、窓から室内を覗いてみる。人の動く気配はない。もしかしたら何かしら予定が狂ってまだ滞在していないか、何かの用事で部屋を離れている可能性もあると暫く待ってみたが、矢張り誰も来なかった。

 日が西に傾いている。ヴェラは選択を迫られた。放り出された際に見かけた厩に潜み、誰かが外出するのを待つか、正面玄関付近に待機し、いつ来るとも判らない伯爵家からの馬車を待つか、ここでじっとイクセルに見つけてもらえるのを待つか。オリヤンはヴェラを回収していないことを直ぐに話してくれるだろう。イクセルを待つ方がおそらく確実だ。ヴェラはその場に留まることにした。


 ヴェラには待つという経験が数えきれないほどある。

 目の前を横切る捕食者が去るのを息を潜めてじっと待ち、食されれば早々に意識を絶ち再生を待つ。繁殖期の雄が離れるのを無我の境地でじっと待ち、中でも、お気に入りの花の蕾が開く瞬間を目撃すべく待つのは、待つという行為の中で、珍しく心慰められる時間だった。

 だが今はどの待つ行為にも当てはまらない。心に波風が立っていた。

 こうしている間もシモンは辛い時間を過ごしている。ロニヤの腕次第だとベルントは言っていたが、より衰弱してしまうことだってあり得るのではないか。シモンが倒れてから何日も経ってあの状態なのだ。自在に調節できる腕前ではないのではないだろうか。そう思うとヴェラは居ても立っても居られなくなる。

 それでもヴェラは待つことしかできない。歯痒さでどうにかなりそうだった。いっそ鍵を盗りに行こうかとさえ思った。諸々の情報を組み合わせると、グスタフ達が話していたあんな器具とはきっと、シモンを繋いでいる枷のことだ。グスタフが投げ渡していたあの鍵が、枷の鍵なのではないか。それが手に入れば、状況はずっと良くなる筈だ。然し、単独で動いた場合の成功率の低さに二の足を踏み、矢張り情報を持ち帰ることを優先すべきだと思い直す。脳が焼き切れそうになる程思考が同じ場所をぐるぐる回っていた。

 日がすっかり落ちて月が出る頃には思考疲れをし、ヴェラはうとうとしていた。瞬膜を何度か閉じかけて、ヴェラははっと我に返る。自分が今どういう状態にあったかを自覚して、肝が冷えた。こんなに目立つ場所でうたた寝をして、イクセル以外の捕食者に見つかっては大変なことになる。人間として生活し始めてそう時は経っていないのに、安寧を享受しすぎていたのだろう。失ってはいけない類の蛙味を、今、失いかけていた。今はシモンの命運も握っているというのに、なんたることだと、皮膚の中に埋没しかけていた目玉を引き上げ、かっと瞳孔を見開く。その瞬間、夜目の利くその瞳に、音もなく滑空してくる白い猛禽の姿が映し出されていた。






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