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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
22/37

22. 招かれざる研究者


 翌日アーベルはクロンヘイム伯と話し合い、オリヤンを助手に貸すという形で別邸入りを取り付けた。クロンヘイム伯は渋る様子は見せなかったが、ロニヤの方で準備が必要だからと、更に翌日の夜に向かうことになった。

 別邸は元々魔術を研究する目的で建てられたもので、領都を間近に見下ろせる領主邸からは離れた森の奥にある。魔操者を名乗れなくなってからは、微量でも魔術的素質がある者がそこで研究を続けていて、今代はロニヤがその研究邸の主だということだ。魔操者として返り咲くことを諦めない姿勢が、代々受け継がれているのだ。

 森の中とはいえ門から邸までの敷地は広く整えられていて、徒歩では時間がかかる。オリヤンは玄関前まで伯爵家の馬車で送られた。作業道具の入った鞄を持ったオリヤンを降ろすと、馬車は直ぐに引き返していく。

 月明かりに照らし出される研究邸は、領主邸よりだいぶ小規模だが、優に十数人は滞在できるだろう二階建ての建物だった。玄関側から見た限りでは窓から漏れる灯りはなく、静まりかえっている。飾り気のない石造りの、その無骨な佇まいに似つかわしくない可憐な貴婦人が、ランタンを手にオリヤンを待っていた。


「ご令嬢自ら足を運ばせてしまってすみません」


 出迎え、邸内へ案内するロニヤに、オリヤンは恐縮しながら続く。本来ならこうして話しかけることも憚られる身分差だが、アーベルやシモンと交流していれば耐性もついていて、その背中から言葉以外の反応を読み取ろうと観察する余裕さえある。


「誰もいないのだから仕方がないわ」


 素っ気ないながらも返事があるのは、助手として訪れたからだろうかとオリヤンは考える。ヴェラが気軽に接してくれるので忘れがちだが、貴族女性というものは気位が高く、平民に対して良くも悪くも距離があるものだ。声が硬く背中から緊張が感じられるのは、ロニヤから見ればオリヤンが大男だからかもしれない。素性は保証されているとはいえ、人目のない場所で平民の大男と二人きりでは恐怖も感じよう。実際、貴婦人の細い身体など、簡単に押さえ込めるのだ。肩に羽織る大判のショールは厚みがあり、オリヤンへの警戒心の表れにも思えるが、華奢であることを隠しきれるものではない。下ろせばそれなりの長さがあるのだろう金髪は隙なく結い上げられていて、オリヤンは少しの違和感を覚えた。

 ロニヤの持つランタンの灯りを頼りに二階への階段を上り、上がって直ぐの扉の前で止まる。


「不躾ではなくて?」


 振り返ったロニヤの眼差しはきつかった。背を向けているからといって見すぎたのか、ロニヤの神経が過敏になっているのか、肉食動物の気配を感じ取る野兎のようだとオリヤンは思った。


「すみません、高貴な女性なんて、滅多にお目にかかれないので、つい」


 オリヤンは与えているだろう威圧感を軽減するように首を竦め、身を小さくして言い訳をする。だがロニヤには良い言い訳ではなかったようだ。顔を強張らせ、さっと身を翻し距離を取る。


「そこを使って。一晩いて体調を崩さずにいられたら、お前が何をできるのか聞くわ」

「ああっ、あのっ」


 オリヤンが慌てて声を上げた時には既に、ロニヤは階段に差し掛かっていた。


「子爵様やベルントさんはどこにいるんですか」

「魔器のある部屋よ」

「挨拶だけさせてもらってもいいですかね」

「お前が来ることは伝えてあるから必要ないわ」


 ロニヤは兎に角ここを離れたいとでもいうように話を切って、階段を下りていった。靴音が遠のき、どこかで扉が開閉する音がしたのを最後に静まりかえる。唯一の人工光がなくなると、玄関ホールの明かり窓や、廊下の突き当たりの窓から差し込む淡い月明かりが頼りだ。オリヤンは目が慣れるのを待って、ロニヤに示された扉を開ける。カーテンが閉められておらず、廊下と比較すれば明るいので、オリヤンは椅子やテーブルを避けて歩くことができた。先ずは窓を開けて外に待機しているイクセルに所在を示す。それから鞄を床に置き口を開いた。


「もういいですよ。大丈夫ですか、潰れてませんか」


 オリヤンの見守る中、ふんわりと余裕を持たせて詰めていた衣服がもぞもぞと動く。吸盤のついた丸い指先が布をかき分け、やがて少し尖った扁平な口先と鼻、丸い目を皮膚の下に沈ませるように隠した頭の順で這い出てくる。ヴェラは大丈夫だと示すように目をぱっちりと開いた。オリヤンは動かなくなった。ヴェラは次の言葉を待つようにじっと見上げ、見つめ合う。


「……魔女に気に入られる素質が俺にもあるのかもしれない」


 ヴェラは口を大きく開けた。オリヤンはヴェラが何を訴えたいのかは判らなかったが、我に返る。


「すみません、子爵様には黙っててください。ええと、そう、ささっと打ち合わせしましょう」


 ヴェラは鞄から這い出し、オリヤンは月明かりが照らす床にヴェラ用の文字を並べる。人間の目には光源が足りないので、鞄から取り出した小型のランタンに火を入れて足しにした。


「やっぱり平民の俺じゃ、軽くあしらわれちゃいますね」


 想定内とはいえ、オリヤンは少々気落ちしている。


「あ、そうだ。ちょっと訊きたいんですけど、ご令嬢って自分で髪結えるもんですか? ええーと、夫人が現地調査でしてた、ああいう簡単なやつじゃなくて、領主邸にいる時みたいなしっかりしたやつなんですけど」


 オリヤンは貴婦人の日常生活など知らないが、現地調査の際に見たヴェラは、少し髪が乱れただけで侍女のセルマが手直しをしていた。そのほかにも何くれとなく世話を焼かれていたので、日頃使用人に世話をされている人間が自分で、ああも完璧に身だしなみを整えられるものなのか、疑問に思ったのだ。

 ヴェラは考える間を置いて、目の前に置かれている、はい、いいえの文字の、いいえの方を前肢で踏む。


「じゃあ、ご令嬢の部屋とかに使用人がいるのかもしれませんね。もう怪しさしかない」


 令嬢が一人で、ましてや夜に、平民の男の出迎えなどしたいものではないだろうに、怖さを押してまで使用人の存在を隠したということになる。


「うーん……どうしたもんか。一人とは限らないし、鉢合わせでもしたら消されるんじゃ」


 オリヤンは腕を組み、深く考えているかのような姿勢をとる。好奇心はどこにいったのか、怖気ずいているのが言葉に表れていた。ほぼ独り言で、ヴェラは完全に視界から外れている。ヴェラはしゃがみ込んでいるオリヤンの膝に飛び乗り、前肢で腿を叩いた。


「え、なんですか可愛い。もしかして元気付けようとしてくれてますか。まずいまずいそれやばい子爵様に消される」


 ヴェラは飛び降りると、文字を踏んで言葉を作り上げていく。


『私 一人で 行く』


 オリヤンは真顔になった。


「その体じゃ扉を開けられないでしょう」


 ヴェラは動かなくなった。オリヤンはなす術もないように見えるヴェラとじっと見つめ合った。その黒々とした瞳からは感情は読み取れない。だがオリヤンはだんだん胸が苦しくなってきた。

 オリヤンが踏んだだけでいとも簡単に天に召されるだろう小さな小さなヴェラ。いや、踏むまでもない。きっと片手で握るだけで潰れてしまうだろう。そのよく発達した腿は非常時であれば食糧にもできようが、一人の人間の腹を満たすには何十匹と必要だろう。それ程までに小さなヴェラが、一人でも行くと勇気を振り絞っているのだ。そのいじらしさがオリヤンの胸を衝く。


「すみませんでした。大丈夫です、俺行けます」


 それからいつの間にか窓枠に舞い降りていたイクセルを交え話し合い、いくつか簡単な意思疎通の合図を決めて、ヴェラはオリヤンの上着のポケットに潜り込んだ。






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