表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
21/37

21. 私を連れていって


「ハンネス、頼める?」

「はい。過去に夫人が参加した現地調査に関することだとすれば、私が主治医と主張しても不自然ではないでしょう」

「魔女が絡むなら君以上に最適な者はいないな。詳しく訊かれても秘すことを正当化できる。──良いかな?」


 アーベルの視線を受けて、ヴェラは頭を上下した。アーベルは物言いたげな目をしたが、脱線禁止とばかりのセルマの視線を感じて話に戻る。


「シモン君の方はどうするかな。クロンヘイム伯のことだから、足止めはあり得るんだよ。レードルンド家は代々魔操者に返り咲く為に心血を注いできた家でね。伯もそういう家訓の中で育ってきた人だから。ただ、夫人に手紙も出せない状況というのは異常事態と言っていい。使いを出してもまた追い返されるだけだな。………何か理由をつけて、私が行こう。イクセル、先触れを頼む」


 アーベルはモルテンが用意した便箋に手早く訪問の旨を認め、イクセルの脚環に括り付けた。イクセルが飛び立つのと同じくして、アーベルは立ち上がりモルテンに馬車の手配をさせる。到着して直ぐであったこともあり、アーベル自身は外套を着るだけだ。


「魔器を持ち出されると私だけでは苦しいな。ハンネス、オリヤンを借りていいかい。君の次に詳しいだろう」

「はい、どうぞお連れください」

「セルマ、詳細はハンネスと詰めてくれ」

「はい」

「では夫人、もう少し辛抱し…て」


 外套を翻し部屋を後にしようとしたアーベルは、振り返った先の枕に蛙がいないことに気付いた。


「夫人?」


 セルマとハンネスの視線がアーベルの背中にある。アーベルは身を捻って背中を見た。


「連れて行ってほしいそうです」

「……うん。そうなんだろうね」


 アーベルはなるべく揺らさないようにそっと外套を脱ぎ、ヴェラの張り付いている部分を支えて枕へと運んだ。


「でも蛙じゃどうにもならないからね。貴女は留守番をしていて」


 ヴェラは外套にしがみついたまま微動だにせず、強い意志を込めてアーベルを見上げる。つぶらな瞳に迫力はなく、アーベルは困惑するだけだ。


「シモン様が何かしらの窮地にあるのなら、私のこの姿を見ただけでも元気になる筈。無駄にはならないので連れて行ってください」

「君すごいな。夫人が喋ったのかと思った」


 アーベルはセルマに驚嘆の眼差しを向ける。口調だけでなく声音や抑揚までヴェラに似ていた。


「内容は推測です」


 セルマは澄まし顔で地声に戻った。


「ですが当たらずとも遠からずだと思います。若奥様、行かれるのでしたら枕を持っていってもらわねば。彼の地ではどんな乾きが待っているか、判らないのですから。閣下、どうか素手で長時間若奥様をお持ちにならないようにお願いします。やむを得ない場合は手をよく冷やしてからにしてください。今の若奥様には人間の体温は高いので、火傷してしまいかねません。触った後は必ず手をお洗いください。決してそのまま目を擦らないように。微弱ですが毒がございます。ああそれから、文字を用意しております。イクセルさん用のものは若奥様には大きいでしょうから、此方をお持ちください」


 セルマはお仕着せの隠しから取り出した文字札を差し出した。


「……うん、まあ…枕はこれのことかな? あまり嵩張らない大きさだし、大丈夫かな」


 立て板に水を流すように並べられた取扱説明に圧倒されて、アーベルは折れた。侯爵家の人間に蛙の姿を晒すわけにはいかないのだから、ヴェラが留守番する意義こそないのだ。





 クロンヘイム伯領邸へは、日が落ちる前に着いた。クロンヘイム伯は快くアーベルを迎え、晩餐に誘う。


「急だったから、要件が済んだら今晩は宿を取ろうと思っていたんだ。でも用意してくれているなら無駄にするのもいけないな」


 アーベルも鷹揚に応じる。モルテンは壁際に控え、平民のオリヤンは別室に下がった。ヴェラはこの時、オリヤンに預けられている。

 晩餐にはクロンヘイム伯夫妻と嫡男夫妻が同席していたが、主に話すのはクロンヘイム伯とアーベルで、他は邪魔にならない程度の相槌をしながら食事が進んでいた。父権の強い一般的な貴族家庭の、よく躾けられた夫人と嫡男夫妻といったところだ。


「ご用件というのは矢張り、魔器のことですかな」

「いや、現地調査のことだ。シモン君は此方に滞在しているのだろう? 夜には向こうに帰ってくるものと思っていたんだが、暫くかかるそうだから私が訪ねたほうが早いと思ってね」

「それはそれは。ノルデラン卿は立て込んでおりましてな。伝言なら私が請け負いますが」

「直接意見を聞きたいんだ。然しそうか、会うのも難しいのかい?」

「別邸を研究邸としてロニヤに使わせているのですが、ずっとそちらに詰めたまま、危険だからと私も入らせてもらえんのですよ」

「それでは伝言はどうやって?」


 詳しく説明を求めると、食事と共に手紙を差し入れているのだという。使用人も近付けないから、受け渡しは共に詰めているロニヤがしている。特技のせいか、ロニヤは暴走の影響をさほど受けていないとのことだ。アーベルは特技の内容を問うてはみたが、それは秘された。


「特殊な事情があるとはいえ、卿の目もなく同じ建物に寝泊まりしては、ご息女の婚姻に障りがでるのではないか」


 アーベルが心配するように表情を曇らせる。クロンヘイム伯は弱ったように苦笑を浮かべた。


「あれはノルデラン卿を慕っておりましてな。奥方がいるのだから多くは望まない、だからこの役目に携わっている間だけはせめてと、泣くのですよ。これが終わったらどのような条件の悪い婚姻でも受け入れるからと」

「意外だな。卿は政治を重んじるものと思っていたが」

「ははは、お恥ずかしい。近頃どうにも娘の涙に弱くなってしまいまして。歳ですかな」


 アーベルが片眉を上げると、クロンヘイム伯は益々弱ったように眉を下げる。


「恋愛遊戯に理解のある閣下だから申し上げたのです。どうかこの件は」


 口を噤み、目線だけでアーベルの胸の内に仕舞ってほしいと訴えた。まるで共犯に誘うかのようで、アーベルは親心よりも狡猾さを感じる。視線を巡らせると、夫人達が緊張した面持ちでアーベルの出方を窺っていた。


「然しシモン君の奥方に対する溺愛ぶりは相当なものだよ。夫人を悲しませるようなことを、よしとするとは思えない」


 アーベルは難しい顔で心配を滲ませる。


「ですから尚のこと、夫人に心労をかけぬよう配慮していただきたいのです」


 クロンヘイム伯はシモンの立場を思いやっているかのようだ。


「そうだね。私も彼らが好きだから、夫婦仲が壊れるようなことにはなってほしくない」


 そこで漸くといったようにアーベルは吐息する。


「でも一歩も外に出ることができないほどなんて心配だな。私が聞いても役には立たないだろうが、連れてきている研究者が魔器にも詳しいんだ。この後彼も交えて一服しないか」


 専門家の助けが必要だろうと、アーベルは食後の談話室にオリヤンを呼ぶ流れを作った。






「これまでは閉じ込めるだけだった魔器に、ロニヤ嬢が吸収の機能を付加したということは聞いているね?」


 アーベルの客室で待機となっていたヴェラは、談話室から引き揚げてきたアーベルとオリヤンから報告を受けていた。

 一般的な貴族女性が、魔女が出現するような山野の奥深い場所に赴くのは難しい。現場で試す前に調整が行えれば改良も捗るからと、シモンが呼ばれていたことまではヴェラも知っている。長椅子に挟まれたローテーブルの上で、ヴェラは頷いてみせる。アーベルは話を進めた。

 魔器の暴走は吸収の暴走である。先ずは近付いたシモンの魔力が吸収されて、制御が利いていないことが発覚。そこからロニヤとの共同作業が始まったが、改良どころか吸収の範囲が広がり、魔力がない筈の人間の体調にまで支障を来たすようになって、非常に危険な状況にある。それでクロンヘイム伯含め、使用人も別邸に入れずにいるという。

 ヴェラは目前に並べられている文字を踏んで回り、シモンの体調を問うた。


「ロニヤ嬢からの報告によると、日夜の作業で消耗はしているが、問題はないとのことだ。……おかしいよね」


 ヴェラは頷く。では何故ヴェラに連絡がないのかということの説明がつかない。


「何らかの虚偽があるのは明らかだけど、どうしたものかな」


 アーベルは肘掛け椅子の肘掛けを指で叩きながら思案する。


「俺、行きましょうか」


 オリヤンが好奇心を滲ませて、長椅子からアーベルの方へと身を乗り出した。魔女研究は野外調査が多い為、よく日に焼けていて体格も良い。若く頑健な身体は耐久性がありそうだが、アーベルは難しい顔をする。


「魔操者の血が混じっていなくても体調を崩すということだからね。それが本当なら君だって例外じゃないよ」

「でもそれならベルントさんだって別邸から出されてる筈ですよね。主人の世話をしなきゃいけないから頑張ってるんだっていう伯爵様の話が本当だとするなら、ちょっと頑張ればいけるってことですよ。閣下は間違いなく止められますから、俺しかいないでしょう」

「それはそうだが、入ったら君も出してもらえなくなる可能性が捨てきれない」

「え、それどういう想定してます? ベルントさんが既に死んでるとかですか」


 アーベルは咎めるような目の細め方をした。オリヤンは、あっ、と判りやすく口を片手で覆ってヴェラを見る。セルマがおらず、蛙の表情を読める人間はいないから、ヴェラの心情を推し量ることができない。モルテンが気まずい空気を変えるように二人のお茶を新しいものに取り替えた。ヴェラには浅い小皿に水が出されていて、ヴェラは見向きもしていないのだが、なんとなくそれも取り替える。


「正面から行っても、君では行動を制限されるだろうから核心に触れられるかどうか……忍び込めれば一番いいんだろうが、イクセルでは外から様子を見る程度だな」


 アーベルの視線を受けたイクセルは、室内用の止まり木の上で目を瞑り応える。ヴェラは前肢を片方、持ち上げた。各々思索に耽っていて誰も気付かない。ヴェラは跳ねた。人間の視界に入るように懸命に跳ねた。


「なんだい、夫人」


 アーベルの注意を引けたので、ヴェラは前肢で口を押さえて示す。


「……なんだろう、だんだん愛らしく見えてきたな」


 アーベルはじっと見つめて呟いた。ヴェラは前肢でテーブルを叩いた。蛙なりにでき得る限り高速で叩いているつもりだが、音も出ない。オリヤンも意図を汲み取ろうと凝視する。


「地団駄踏んでるんですかね?」

「…なのかな? 怒っても可愛いねという台詞が本心から出ることになるとは思わなかっ……」


 ヴェラは無茶苦茶に跳ねた。力一杯跳ねすぎてひっくり返りそうになった。


「……という場合ではないよね、ごめんね。貴女が行くと言っているのかな?」


 ヴェラは裏返りかけていた体勢を立て直して、前肢を屈伸させ体全体で大きく頷く。


「いいかもしれませんね。見つかっても外に放り出されるくらいだろうし、いけそうな気がします。蛙なら暴走の影響もないかもしれません。最悪俺が動けなくなっても、閣下に状況伝えてもらえるんじゃ」

「……悪くはないけど、シモン君に見つかったら怒られてしまうな」

「そうですね。次の現地調査、気をつけたほうがいいですよ。それとなく魔女に差し出されてしまうかもしれません」


 アーベルは黙った。あれでシモンには人並みの常識はあるから、目上の者に滅多なことはしないだろうと信じてはいる。ヴェラさえ絡まなければ。


「後でシモン君に執り成してくれるなら、行ってもらおうかな」


 保身は大事である。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ