19. 信じているのは変態性
シモンの結界が魔女に通用することが証明され、ヴェラを伴い各地の魔女目撃現場に足を運ぶと、現地調査は幾つか成果を出し始めた。何処に現れる魔女も、シモンを見つけるなり笑い出し、同一魔女か、別であっても意識を共有していると見られた。それらは一度呪った対象にさして興味がないと目されている。イクセルの抜けた羽根を一本差し出し、存在を思い出してもらっても、ヴェラの時以上に興味が薄く、解呪方法を教えてくれることもなかったのだ。これについては検証例が少ない為、もっと呪われた個体が必要である。
やがて魔女はシモンがいれば寄ってくるようになり、魔力を集めていると知ると、投げつけたり採取しにくい場所に放り投げたりといった方法でだが、その時の気分によっては自ら提供してくれるようになった。シモンはキモい奴として気に入られているようであった。
「え、キモい奴になれば気に入られるの?」
「どういう種類のキモい?」
「魔女のキモいってどういうキモい?」
研究者達はキモさについて、真面目に研究し始めている。脳を酷使しすぎたそのうちの一人、オリヤンが、ある日うっかり口を滑らせた。
「もう皆で蛙を愛しちゃえばいいんでは? でも蛙なー。蛙かー。蛙は蛙だもんな。あ、でも子爵夫人なら半分人間だし全然愛せる。肌綺麗…よ、な……」
オリヤンが我に返り、恐る恐る視線を動かした先で、シモンは鷹揚に微笑んだ。
「次は君が魔女に齧ってもらったらいいんじゃないかな。齧られたら本当に消えてしまうのか、まだどこかに存在しているのか。気になってしまったら、究明しないわけにはいかないのが研究者の性というものだよね。自らの身体を使い研究に殉じた崇高な研究者として、末代まで称えられるだろう」
それ以来ヴェラは現地の領主邸で待機となる。シモンは研究者全員ヴェラを狙ってやがるとばかりに警戒しているが、ヴェラは完全なる被害妄想だと思っている。ただ、ヴェラが一番知りたかったことは知れたので、もう同行の必要性は感じていない。それに領主邸に世話になると、自然に領主夫人と交流できる。結果的に次期魔法伯夫人としての役割をしていた。
魔女研究家と魔法伯の関係改善は、アーベルが社交場で一度話しただけで瞬く間に広まった。今後の展望については辺境伯を含めた国境沿いの領主達と協議を進め、国王の承認の元、政策が話し合われる貴族院でシモンの父が発表している。魔法伯の動向を注視していた者達はここぞとばかりに動き出し、利権を求め協力や出資を申し出た。研究は活気付く。アーベルのようにちょっとした特技を持つ貴族の協力で、魔力を溜める魔器も改良され、シモンは益々忙しくなった。
今日も今日とて魔力採取の為に、魔女の目撃情報があるマルクルンド侯領に滞在している。
「おかしい。ヴェラとの時間を作る為なのに、おやすみからおはようまでしか会えない。矛盾していないか」
「はいはい未来の為未来の為。今日の我慢が明日の利益」
ヴェラの手を握って離さないシモンを、適当に宥めて馬車に押し込めるのはベルントの役目だ。ヴェラは基本的にはシモンの良いようにと思っているのだが、先方を待たせるのも良くない行為であるから、送り出す言葉を掛けるようにしている。この日もそうしようと口を開きかけて、声を発する前に閉じた。シモンが物言いたげに瞳を揺らしていたからだ。ここ最近、シモンは時折こういった様子を見せるようになった。言うべきか否かを迷うようなその瞳にあるのは、不安だとヴェラは思う。それがどういう不安かが判らないから、安直に話してほしいとも言えずに、シモンが口を開くのを待つことになる。
無言の見つめ合いが続き、やがてシモンはヴェラの額に口付けた。
「行ってくるよ」
シモンは名残惜しそうに出かけていく。魔器の改良に関わる者が手助けをして欲しいというので、隣の領に来たついでに出向くことになっているのだ。ヴェラは留守番である。
近年マルクルンド侯領では、特別降水量が増えたわけでもないのに定期的に川の氾濫が起こっている。それは魔女の逆鱗に触れた者がいて、土地ごと呪われたためだと言われだした。実際に魔女の目撃情報があるのでただの流言とすることもできず、先代の時はこんなことはなかった、今代の侯爵様が何かしたのではとも囁かれていて、足並みが乱れ被害対策に苦慮していた。
魔女被害であるから、魔法伯に相談すべく調査報告を纏めている最中で、この度のシモンの訪問は渡りに船であったという。心から歓迎され、ヴェラだけが邸に残っても侯爵夫人であるエメリに丁重にもてなされた。初日こそ旅の疲れを慮って、どうぞご自由にお寛ぎくださいと言われていたが、次の日からはお茶に招かれるようになった。こうした場で先ず話題になるのは魔女のことである。
「では、私達に何か落ち度があって、攻撃されているわけではないのね」
風評に心を痛めるエメリの最大の関心事も魔女のことであり、ヴェラの役目はこれに応じることだ。
「その可能性が高いということです。確証は実際に調べてからになりますが」
ヴェラは喜ばせすぎないように慎重に言葉を選ぶ。
「此方の領のように定期的に訪れる小規模な魔女は、人里に与える影響について頓着していないということがみえてきたのだそうです。此方で纏めて下さっていた調査報告からも、その傾向が見えるとのことでした」
「現地調査はファルンバリ公の合流を待ってということだったわね。待ち遠しいわ」
ほっとした表情を見せたエメリに、ヴェラも内心胸を撫で下ろす。相手によっては、断言を求め言質をとろうとし、それができなければ役に立たないとばかりの視線を投げられることもあるのだ。そうされるとヴェラは困ってしまう。ヴェラの心情は面には出てこないからつけ込まれることはないのだが、何重にも包まれた嫌味を解読するのは骨が折れるのだ。さりとて聞き流していることが判るとより厄介なことになりかねず、真面目に聞いても嫌味と気付かずそのまま受け取ってしまうこともある。過たず話を解し素直に受け止めるエメリは、ヴェラの持つ貴族女性への苦手意識を和らげてくれる。
「これはこれからも良いお付き合いを続けていきたいから話すことなのだけれど、気を悪くしないで聞いてくれるかしら」
エメリはティーカップに口を付けて一息入れると、居住いを正してヴェラの目を見た。良いお付き合いならヴェラにも否やはない。同じように居住いを正して聞く姿勢を示す。
「私もノルデラン卿に縁談を申し込んだことがあるの」
ヴェラは世間話の相槌のような軽さで頷いた。年頃の娘を持つ家が、通過儀礼のように次期魔法伯に縁談を申し込むというのは、シモンから愚痴として聞かされている。ヴェラの見た目と似たような年頃のエメリも、例に漏れなかったのだと想像に易かった。
「当時は顔合わせまで進めたから少しは期待もしたものだけれど、今はこうして嫁いで、夫とも円満な関係を築いているから、ノルデラン卿に対して余計な欲を持ったりしないと誓うわ」
エメリの眼差しは真摯で、裏を含んでいるようには見えない。ヴェラは瞬いた。
「意外かしら?」
エメリはヴェラの小さな反応を適切に読み取った。
「そう思うのも無理はないわ。魔法伯夫人を一度は目指した者として、複雑な思いを抱えている人も多いもの。当たりがきついのでしょう?」
ヴェラは曖昧に微笑む。困った時、言質を取られたくない時は、意味深に微笑んでおけば相手が良いように解釈してくれると、伝授された微笑みだ。うっかり素直に答えては不利になる場合があるから、判断できない時はヴェラはこうしてよく逃げるのだ。お陰で捉えどころのない、食えない夫人と良いように解釈されている。
エメリは苦笑いをした。
「私もね、複雑ではあったの。でも貴女に対してではないわ。だって、顔合わせの席で蛙を見せられたのよ。そんな嫌がらせをするほど私が気に入らないなら、はっきり断ってほしかった。なんて意地の悪い方なのかしらって、当時は憤慨したわ」
ヴェラはもしかしたらエメリは初対面ではないのかもしれないと、記憶を手繰った。柔らかな薄茶色の髪に、意志の強そうな空色の瞳。美人だが、美人ほど似通った顔立ちで、色合いとしても珍しい組み合わせではないから、思い出せなかった。蛙として受けた婚約者候補の来訪はかなりの数で、ヴェラには与り知らぬことと、覚える気がなかったのだ。
「でもそうじゃなかった。あれは……トールボリ家の嫁になるということは、大変なことだという示唆だったのだわ」
シモンと同じように蛙を愛さなければならないというのは、貴族女性にとっては酷なことであろうと、ヴェラは理解を示すように頷いた。
「貴女の噂を聞いて、実際にこうして会って話して、誤解だったと気付いたの。子爵夫人は現地調査に同行したことがあるのでしょう?」
「はい」
野宿が必須の調査だ。貴族女性が同行していればその奇異さも相まって噂は広まっており、それを野蛮と貶める夫人も多かったから、ヴェラは不穏な流れになったと警戒気味に短く肯定する。反してエメリは、何処か霧が晴れたような、気負いのない微笑みを浮かべた。
「そういったことができる人間でなければ、トールボリ家には迎え入れられないということだったんだわ。ああいったものが平気かどうか、見ていたのね。そんな深い考えがあるとも知らず腹を立ててしまうなんて、己の浅はかさを反省したの」
ヴェラは構えていたこともあって、瞬時には話を解しかねて首を傾けかけた。そんな深い考えは存在していなかったと、確実に言える。だが、事実を教えることが常に正解だとは限らないことを、貴族社会で学んだ。黙したヴェラの様子を疑いととったのか、エメリは再度表情を引き締めた。
「だからノルデラン卿に対して、個人的な蟠りももうないの。貴女とも良い関係を築けたらと思っているのよ」
そうした方が得だと判断したのだと、ヴェラは解釈した。野生動物に比べて人間は判りにくい。気を許すのは早計だとは思ったが、こうして本音に思える話を明かすのだから、随分と付き合いやすい人物に感じて、警戒を緩め頷いた。
「今後も此方にお世話になる機会が多くなるだろうと仰っていましたので、私もそうあることを望んでいます」
「矢張りクロンヘイム伯のところは避けているのね」
エメリは得心いったように頷いた。
魔器の改良を行なっているのはクロンヘイム伯の次女、ロニヤだ。シモンは今、クロンヘイム伯領邸に赴いている。ヴェラは単純に、魔力採取があるからマルクルンド侯領を拠点にするのだと思っていた。
「矢張りというのは?」
「クロンヘイム伯はまだ、魔法伯夫人の座を諦めていないのよ。ノルデラン卿は、そこに貴女を滞在させるのは危険だと判断したのでしょう」
「まあ。そうだったのですね」
ヴェラが害される可能性は避けられたとしても、シモン自身が目的なのだから、ヴェラは少し心配になる。
「心配ね」
言葉にしたのはエメリだ。
「ノルデラン卿は女性嫌いということだったけれど、貴女のことは溺愛しているでしょう。クロンヘイム伯のご息女も貴女のように美しい金髪だから、万一ってこともあり得るもの。やっぱり男性って、ほら」
エメリは濁したが、男は性的な誘惑に弱いと言いたいのだと、ヴェラにも判った。だがそれはないとヴェラは言い切れる。何故ならロニヤが如何なる美女であったとしても、蛙ではないからだ。心配なのは、性的に迫られるかもしれないシモンの、精神的負荷の方である。それを口にすることはできないから、ヴェラはまた曖昧に微笑んだ。それを見てはっとしたエメリが眉尻を下げた。
「ごめんなさい、無神経だったわね。皆が皆そうとも限らないのに」
「いいえ。私はシモン様を信じておりますから」
ヴェラは問題ないと首を振る。それが実に自然であったから、エメリは感銘を受けたように目を閉じた。
「貴女と話すと如何に自分が汚れているかを突きつけられるから、皆当たりが厳しくなるのね」
エメリは片手で胸を押さえ、世の真理の一端に触れたかの顔をした。




