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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
16/37

16. 人間は雑食であるからして


 アーベル率いる現地調査隊は、魔女が現れるという渓谷が見下ろせる、ヴァチオ山に来ている。

 その構成はシモンとヴェラ、ベルント、セルマ、ハンネスとその助手三名、モルテン、イクセル、護衛十二名と、当初より護衛の数も増えて大所帯になっていた。

 ヴェラは野営のある調査にセルマを付き合わせるのは酷なのではと本人に問うたのだが、セルマは蛙が平気な貴族女性がこの世に何人いると思いますか、と平然と返した。トールボリ家の領邸には、シモンの為に地元の使用人が多かった。つまり、セルマも領地の野山を駆け回って育った平民なのだ。

 アーベルはヴェラの同行に反対はしなかった。元よりシモンの参加による安全対策が得られるということで、魔女との接触、会話を試みることを考えた調査だった。呪われた人間に魔女がどういった反応を示すかということも、ハンネス達には興味を唆られるもので、どんなものが何を齎すか判らないのだから、実験的要素はいくらあっても良いと歓迎さえされた。

 ただ、観測場所をいつもより高い位置に後退させている。ヴァチオ山は草木のまばらな岩山で、渓谷側には自然が作り出したのか魔女の仕業か、『魔女の引っ掻き傷』と呼ばれる、浅く抉れたような場所が幾つもあった。水平に近い幾つかが人の手で均されていて、そこを観測場所として使っている。縁に立てば覗きこまなくても渓谷を視界に収めることができた。ヴェラ達が案内された場所からは、段差の小さな滝が幾つも連続した渓流瀑(けいりゅうばく)で構成された渓谷と、観測場所として使っている岩肌が二箇所見えた。


「矢張り君の協力は大きいな」


 アーベルはシモンの背を感慨深く眺めた。


「魔女を刺激してしまうかもしれませんけどね」


 半球状の結界で観測所を覆って、シモンは振り向いた。魔女が此方に気付いているにしろいないにしろ、今まではただ見ているだけだった人間達が、自分と似たエネルギーを使った細工をしているのだ。それだけで興味を引くこともあるのではないかと、シモンは思っている。


「構わないさ。反応があるならそれも記録するだけだ。これは国境の防護結界と同じものかい」

「性質は少し違います。魔力に限定したものなので、魔力を帯びていない物体は通しますよ」


 ハンネスと助手達が興味深げに手を伸ばすと、触れようとしたそのままの形で結界の向こう側に通り抜けた。限りなく透明に近い膜のように見える結界は、揺れもしなければ歪みもせず、穴が空いたりもしなかった。


「最低限、これを誰でも張れるように持っていきたいですね。ただ、維持に定期的な魔力の供給が必要になるので、偶発的な魔女の出現を待って魔力の残滓を集めるのでは、とても補えません」

「まだそこまで見通しを立てられる段階じゃないよ。何をするにしても現状の採取量じゃ、全く足りていないのは事実だけどね」


 目標設定が高いとアーベルが苦笑いし、ハンネスが後を引き継ぐ。


「出現の法則を掴まないことにはどうにも進めません。ですがこれが難航してましてね。何度も目撃情報がある場所は他にも幾つかあるんですが、水辺ということ以外、共通点を絞り込めていないんです」

「他にもあるのか」


 初耳だと軽く瞼を持ち上げるシモンに、アーベルが頷いた。


「君達を駆り出すまでもない些細な現象だから、セランデル伯も知らないんじゃないかな」

「お陰で我々は伯爵様の目を盗んで調査ができたわけです。ただまあ閣下の仰るとおり、そういう場所に限って小規模なのです。おそらく弱い魔女なのではと推測しているんですが」


 まだ仮説の、検証段階のものが多いのだ。この渓谷も正確な出現日時を割り出せているわけではない。その為、ある程度の滞在を見越して寝泊りする為の簡易な小屋や、小さな竃、木製のテーブルが設置してあった。テーブルは椅子にできそうな岩の転がる合間に置いたようで、椅子との間隔を調整した跡があり歪な形をしている。何れも風雨に晒されたと判る、年季の入った傷み方をしていた。

 シモンとアーベル、研究者達は岩を椅子に見立てて腰掛け、テーブルに広げた資料を囲んでこの待ちの時間を有効活用していた。ヴェラの呪いについても、シモンがハンネス達を秘密保持の制約魔術で縛ったうえで根掘り葉掘り聞かれたが、話せることは少なく、それを終えるとヴェラは一人手持ち無沙汰で、渓谷の見張りを買って出た。竃を使い茶や食事を用意するのを手伝おうとしても、貴族の奥様がそんなことをしてはいけませんと、セルマやモルテンに追い払われてしまったのだ。

 見張りは毎回、目の利くイクセルが主に担当しているという。イクセル用の止まり木の横に、小屋から出した椅子を配置してヴェラが加わった。

 イクセルは昼間、そのままの場所で睡眠をとる。夜目が利くのはイクセルだけなので、夜間を担当しているのだ。明け方からヴェラの担当になるが、イクセルは午後の半ばに起きて、そこからは二人でぼんやり渓谷を眺めている。イクセルは梟生がヴェラの蛙生程長くはないからなのか、蛙より動きのある生き物だからなのか、時折翼を広げたり脚を伸ばしたりと身体をほぐすような動作をする。ヴェラはその度に緊張した。元々イクセルは人間で、人間のヴェラを襲うことはないのだからと、胸中で何度も言い聞かせ無意識の警戒を宥めていた。

 二日目には会話を試みる。会話といっても、ヴェラの問いかけにイクセルが瞬きや首の動きで答えるだけだが、話が通じるという安心感で恐怖心を少しずつ薄れさせてゆく。


「イクセルさんは、蛙をお食べになったことは……?」


 イクセルが首を横に振るまでに間があった。思い出そうとした間なのか、正直に答えることを躊躇した間なのか、はたまたヴェラの質問としては驚くようなことであったのか。ヴェラはじっとイクセルの目を見た。イクセルもその視線をじっと受け止めている。だがヴェラには梟の表情の読み取り方が判らなかった。


「今後お食べになりたいと思いますか?」


 イクセルは直様首を横に振る。


「信じてもいいですか?」


 イクセルは上瞼を閉じて首肯を表現した。


「夫人、イクセルには私が食事を提供しているよ。飢えさせないと約束しよう」


 アーベルが後ろからやんわりと口添えをする。それは飢えたら食べるということなのではないかとヴェラは思ったが、よく考えると人間こそが飢えればなんでも食す生き物だ。イクセルだけを危険視する理由にはならない。三日目には、イクセルと並んでいることを特別意識することもない程度には落ち着いていた。

 渓谷に動きがないまま四日目に入った。シモンと研究者達は話が尽きず、今日も今日とてヴェラの背後で静かなる激論が繰り広げられている。今日の議題は、主に研究を次の段階に進めるための方法論についてだったが、シモンの現地調査への参加を必須にしたいハンネス達と、渋るシモンの形で膠着していた。シモンは毎度ではヴェラと会えなくなるからと難色を示すので、ハンネス達は説得方法が見出せない。ヴェラは簡単な解決策を持っていた。


「私も同行したらいいのでは」


 振り向いたヴェラの一言に、シモンは目を剥き、助手達が勢い込んで立ち上がった。


「是非!」

「ありがとうございます! 助かります!」


 ヴェラが言い出すのを待っていたような反応だった。シモンは席を立ち、ヴェラの傍に跪く。


「ヴェラ」


 声は優しいが、ヴェラの両手を取り見上げる眼差しが咎める色一色だ。


「今回で、安全に接触できる実績を作れば良いのですね」


 ヴェラは同じ話の繰り返しになるのを防ぐように、先に口を開く。シモンは言葉に詰まってぐっと口を引き結んだ。安全は、他ならぬシモン自身が意地でも作らざるを得ない。どれほどヴェラの同行を拒みたくとも、手を抜くことはできないのだ。


「シモン様が守ってくださるのですから、私は何も、心配していません」


 ヴェラの曇りなき眼にシモンの眉は寄り、じわじわと顔が顰められてゆく。噛み締める歯の間から低い唸り声が漏れ、やがては握っているヴェラの手に顔が伏せられた。


「ずるいよ」


 弱々しく絞り出された声は、嘆きに近かった。






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