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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
14/37

14. 深刻にならないのは変態の所為


 祭りの一大イベントはアルブの大品評会だ。上位入賞した者や団体には、アルブを象った金属細工を埋め込んだ表彰楯が贈られる程度なのだが、箔がつき売り上げにも関わるので、皆張り切って参加しているのだという。鑑賞部門、飲料部門、雑貨部門があって、観光客も投票できる。

 鑑賞部門はその名の通り、花そのものの出来栄えを品評する。飲料部門には試飲できる会場が幾つか設けられており、全て試飲すると投票する権利が与えられる。不正対策として試飲に団体名は出されていないので、出品している団体の人間でも参加できるようになっていた。ヴェラ一行もアーベルに倣い参加したが、ヴェラは違いが殆ど判らず投票に時間がかかった。


「差がなくなってきたから年々難しくなってるんだよ。そろそろ審査方法を変えなきゃいけないかな」


 アーベルには嬉しい悩みで、ヴェラの舌が特別鈍いということではないようだった。

 雑貨部門は参加店の旗を立てられた店を巡り、アルブを使ったリースやポプリ、ハーバリウムなどの手工芸品を審査する。これも全店を回らなければ投票権が与えられないので、発表日は祭りの最終日に設定されていた。


「審査を名目に店を認知してもらうんですね」


 店を巡るうちにシモンはその狙いに気付き、アーベルが微笑む。


「こういうところに縁の無い無骨な男も、普段より入りやすくなっているからね。うちの領民はこういう時にセンスを磨いて夫婦円満、恋人の獲得が上手くなってゆくんだよ」


 後半の真偽は確かめようが無いが、店を訪れている男達は、小慣れた風の洒落た男に限らない。恋人達や家族連れの他にも、男だけの小集団も珍しくなかった。


「参加店を探し歩くと、合間にどんな店があるかも知ることになるな。普段使っていない飲食店に足を運ぶ機会にもなる。こんな経済の回し方もあるのか…」

「偶には他領の催しにも参加してみるものですね」


 店から出て、シモンとベルントがアーベルに混雑対策などを問うている間、ヴェラはぼんやりと人波を眺めていた。ヴェラの半分ほどの背丈の少女達が、手を繋いで楽しそうに露店を巡っている。それを目で追った先では、逸れたのか子供の名を呼ぶ母親らしき姿があって、程なく駆け寄った少年が頭に拳骨を落とされていた。


「ヴェラ、ごめんね。退屈させたかな」


 シモンはヴェラの表情が動いていなくても、心此処にあらずの様子に気付いて覗き込む。ヴェラは首を振った。


「少し考え事をしていただけです」


 子供達を見ても微笑ましいとしか思わない。家族連れを見てもヴェラの心に目立った動きはなかった。懐かしいとも羨ましいとも感じないのは、もしかして。鈍麻しているのではなく、本当は、本当に、ヴェラには人生がなかったのではないか。蛙になる前の薄ぼんやりした曖昧な記憶は、本当に自分のものなのか。花冠の知識は人間であったから身についたものではなく、遊んでいる子供達をこっそり覗いて覚えたものなのではないのか。

 一度芽吹いた疑惑はじわじわと根を広げる。何故ならヴェラには錯乱していた時期があった。その間に記憶がねじ曲がっていないと、誰が言えよう。ヴェラが事実として語ってきたことは、ヴェラの中にしかない。ヴェラが元々なんであったかを証明することは、できないのだ。超常現象を起こすことはできないから魔女ではないにしても、だけど、とヴェラの疑惑は進む。人間だったというのが、思い込みだったとしたら。古すぎる記憶は、ヴェラ自身ですら確認が取れないのだ。信じる信じない以前のことだった認識が揺らぐと、途端に自分の存在が心許なくなってゆく。


「ヴェラ? 大丈夫? 具合が悪い?」


 心配そうな鳶色の瞳がヴェラの姿を捉えている。この瞳がヴェラの存在を疑ったことはない。そこに安定を見出そうとして、そうじゃないと、ヴェラは縋ろうとした気持ちを窘めた。そこにも信があるだけで、事実があるわけではないのだ。

 もしヴェラが初めから蛙で、人間に憧れを持った蛙で、人間になったことこそが魔女の呪いであるとしたら。だとしたら、シモンは。こうして些細な変化にも気付くほど心を砕いてくれるこの人は、どうするだろう。今までのようにヴェラを扱って────くれるな、と思った瞬間、不安に揺れていた心が急激に凪いだ。何せシモンは、蛙が願いを聞き届けて人間になったと思って、それをそのまま受け入れた人だ。シモンにとっては、全く、何も、問題にならない。なんならこの先すっかり蛙になってしまっても、夫婦として連れ添いそうな予感さえする。否、予感ではない。確信だ。ヴェラは思った。


 ────それは大丈夫なのか?


「ふ、」


 ヴェラの口から気が抜けたような空気が抜けて、そこからは止まらなかった。


「ふふ。ふふふふふ」

「えっ、えっ、ヴェラ? 笑っ…?」


 シモンは驚き、笑い続けるヴェラを感激を以て見つめる。いつかのように、驚かせて中断させるような愚は犯すまいと、過剰な反応は慎む。いつまでもそうしてしまいそうなところで、シモンは気付いた。理由が判らない。


「な、何かな、何かそんな、面白いものが?」


 シモンはヴェラを笑わせたものを探して首を左右に振る。その眼差しは真剣だ。何がなんでも手に入れるという意気込みに溢れている。


「シモン様がおかしな人だから……」

「う、うん? まさか、それで…?」


 ヴェラの笑いを含んだ声に、シモンの視線は引き戻される。シモンは愛されたいのであって、面白がられたいのではないのだ。ヴェラの楽しそうな気分に水をさせず、さりとて共に喜べもしない複雑な気持ちが消化できずにいるうちに、ヴェラの笑いはすっかり収まった。


「私は蛙でも大した問題ではないようなのです」

「うん、そうだね」


 シモンは複雑な心境を引きずった顔のまま、ベルントは従者だと言われたかのような滑らかさで頷く。


「そういうことですから、シモン様が大丈夫ではないのです」

「……もしかしなくても大分中を端折ったね」


 シモンはもう少し詳しく、と言外に促した。だがヴェラの根底を揺るがす筈の問題が、別の問題で押しやられてしまったことの愉快さは、きっとヴェラにしか解らない。それに今、二人にとって重要なことは、それではないのだ。


「ですから、矢張り私が人間の子供を産むことは、絶対なのです」


 ヴェラは自分がどれほどちっぽけな存在なのか、文字通り骨身に沁みて理解している。生きとし生けるものは、環境に適応しなければ生きていけないことを、よく知っている。仮令それが人間が作り上げた環境であっても、シモンがその中でどれ程優位な階層にいようとも、それを軽視していいものではない。

 シモンが今の状態を幸せだと言うのなら。シモンの意を損なわずに、シモンの安寧を守ろうと思うのならば。シモンを取り巻く環境が納得するものを、用意しなければならない。


「私も現地調査に連れて行ってください」


 シモンは目を丸くした。






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