1. 蛙はお見通し
事の始まりは若様、シモン・トールボリが人間のヴェラに、ちゅ、と可愛らしい音をさせて口付け、発した素朴な疑問だった。
「何故人間の時はむらがあるんだろうね」
「愛の差では」
ヴェラは常々そう思っていたので、当然のように答えた。シモンは数秒停止し、目を見開いて叫んだ。
「断じて違う!」
それからシモンは、魔女から法則を聞き出すと言い出した。絶対に別の理由がある筈だからと。
「僕はどちらの君も同じように愛している。証明してみせるからね」
「いえ、私は蛙のヴェラのおこぼれで情けをかけていただけてるだけで十分ですから、そのようなことをなさらなくても大丈夫です」
シモンは息を呑み、表情を曇らせた。ヴェラは無表情の裏で困惑する。
「永いこと蛙でいたものですから、人間として扱われ、人間らしい生活ができて、情けまでかけてもらえる、それがどれだけ得難いことなのか、私は知っているのです。今、私はシモン様にいただいたこの幸福を、噛み締めて生きています」
「恩義を感じて欲しいわけじゃないんだよ」
シモンは複雑そうに、それはもう悔しそうに言うが、何がいけないのかがヴェラには解らず、瞬きを繰り返す。
「どうしたら通じる? 君に見つめられると、蛙の君に見つめられた時と同じ気持ちになるよ。色は違っても、蛙の時の澄みきった静謐な瞳は、そのまま今の君にも受け継がれているんだ。社交用の微笑み以外はまだあまりはっきりした表情を作れるようにはなっていないけれど、ほんの僅かな違いが判る時もあって、その度に僕の心は大荒れなんだよ。日々の小さな発見が僕には大きな喜びなんだ」
「蛙からどんどんかけ離れてゆくのは、正直申し訳ないのですが」
ヴェラは忘れてしまっていた歩き方を覚え直し、食事の仕方を覚え直し、文字や淑女らしい話し方を学んでいる。ほぼゼロの状態だったので、一から完璧な淑女の所作を教え込めると、作法の先生には好評である。ヴェラは人間らしくなってはいけないのではないかと思いながらも、従っていた。貴族には社交というものがあるから、体裁を整えなければならないのだ。
「そんなことを気にしていたの。君はちゃんと蛙になれるのだから、人間の時は人間らしくしていていいんだよ。どうして君を愛している僕が、人間扱いに幸せを感じる君の気持ちを踏みにじることができると思うんだい」
「ちょっと何を仰りたいのか解りません」
シモンの理屈は、ヴェラにはちょっと難しい。蛙になれなければヴェラはただの人間である。ただの人間に、シモンが魅力を感じることはないのではないかと思っている。然し人間の姿で蛙を模しても滑稽なだけであるから、人間らしくした方が見苦しくはないだろう。ただ、蛙魂は失ってはいけないのではないかと思うのだ。蛙魂がどういうものかは解らないが。
「矢張り、魔女を見つけ出す」
シモンはより一層決意を固くした。