第93話:ノエルの戦い①(三人称視点)
森に入ったノエルは懸命に子ども――六歳ほどの少女を追いかけていた。
少女は随分と足が速い。
(……なんだ、あの子は? 相当に足が速い。下手したら修道会の上級騎士にも匹敵するぞ)
微かな疑問を抱きつつも後を追うと、少女は崖の近くで止まった。
木々が生えていない開けた空間であり、妙に爽やかな風が吹く。
少女の息が荒れていない様子にも違和感を感じつつ、ノエルは優しく呼びかける。
「私は修道会に所属する、ノエルという騎士だ。もう大丈夫だから安心しなさい。そんなに崖に近づくと危ないぞ。こっちに来なさい」
少女は何も言わず、ノエルに背を向けたままだ。
(聞こえていないはずはないのだが……)
もう一度呼びかけようとしたとき、少女が振り向いた。
その身体を禍々しい魔力が覆い始め、ノエルは驚きに包まれる。
(ま、まさか、そんな……)
直後、即座に"敵"の気配を感じ取り、腰の剣を引き抜く。
ノエルが見据える中、少女は瞬く間に異形の姿に変容した。
人間は持ち得ない二本の角に両翼、頑強な赤い鱗、そして長い尻尾をノエルは確認する。
「……Sランクモンスター、ドラゴニュート。やたらと足が速かったのは、そもそも人間じゃなかったというわけか。確認するが、お前ともう一人の子どもはデュラハン卿の部下――側近で間違いないな?」
『ええ、あのお方は私たちの師です。ともに剣の道を邁進する日々を送っています。失礼……』
するりと外され地面に落ちた腕輪に、ノエルの視線が向く。
「その腕輪に何らかの仕掛けがありそうだな」
『これはモンスターが人間の姿に化けられる唯一無二の魔導具です。化けている間はまったく力が振るえませんけどね。せいぜい、早く走れるくらいです。では、さっそく始めましょうか。互いの命を懸けた、痺れるような戦いを……』
女ドラゴニュートが空中に手を翳すと、大きく半円を描いた独特の剣が姿を現した。
ノエルの表情が険しくなる。
(魔力兵装……ショーテルか。珍しい武器を使う。重心が不安定で扱いにくいが……)
主に、盾を持つ相手に使用される武器だ。
湾曲した部分をうまく使えば、盾に隠れた敵を切り裂くことができる。
反面、彼女が思うように扱いづらい剣として有名だ。
修道会にもサンプルがあるものの、ほとんど誰も使用しなかった。
ショーテルという奇特な武器もそうだが、ノエルはまた別の"要素"に注意する。
「お前たちドラゴニュートの持つ魔力は、個々に特殊な性質――魔性を持つと聞く。貴様の魔性はその魔力兵装……ではないな?」
『ええ、この技能は師匠に教わり後天的に身につけたものです。それと、私にはきちんとした名があります。私の名はブラッディ。血のように赤い鱗が美しいと、師匠が名付けてくださいました。できれば、名前で呼んでもらえると嬉しいですね、ノエルさん』
「名有りの魔物とは、これもまた珍しい」
どちらともなく会話が終わり、小鳥の囀りも聞こえそうなほどの静けさが辺りを包む。
わずかなそよ風が吹いた瞬間、ノエルは勢いよく駆け出した。
ブラッディもまた高速で飛び、正面から迎え撃つ。
両者の剣が衝突し、激しい火花が散った。
長閑な森には似合わぬ重い金属音が鳴り響く。
ノエルは数度切り結んだだけで、ブラッディの練度の高さを実感した。
(さすがに魔族四皇の側近か。扱いにくい武器をうまく使いこなしている上に、振りが早くて重い。ショーテルは内側と外側で間合いが大きく違う。よく見切らなければ)
ブラッディはただ斬りつけるだけではなく、手首の返しを駆使して攪乱を誘発する。
だが、ノエルは冷静にショーテルの形を見極め適切に対処。
剣を下から振り上げ、むしろ弾き返した。
『くっ……』
「《豪雷斬り》」
一瞬崩れたバランスを見逃さず、ノエルは剣を振るった。
凄まじい剣圧により、落雷のような音が鳴る。
がら空きとなった心臓を狙う必殺の一撃だったが、片方の翼で防御された。
硬い翼を深く切り裂いたものの、心臓には届かない。
ブラッディは痛みを堪え、片翼で宙に浮く。
『ははっ、すごい剣撃を体感できて……光栄ですよ!』
そのまま空中で回転し、尾による強打を喰らわす。
リーチが長くスピードも早い。
空気を切り裂くような一撃を、ノエルは後退して躱す。
詰めた間合いが開き、一時的に距離を取る形となった。
(この翼と尾により、我々人間は一手二手と遅れを取ってしまう。対戦経験の少ない武器とドラゴニュートならではの戦い方……これに強者たちは苦戦したのだろう)
翼と尾を駆使した立ち回りは人間より幅が広い。
彼女の見立て通り、ショーテルというあまり見かけぬ武器も相まって、多くの強者が斬り伏せられた。
しかし、そこは修道会でも屈指の騎士であるノエル。
すでに片翼は潰したし、戦況は有利に傾き始めていた。
(まずは、翼と尾を切断してアドバンテージをなくす。ショーテルの独特な軌道にもだいぶ慣れた……ん?)
不意に、ノエルの視界がぼんやりと滲んだ。
舞い散る土埃に目が痛んだかと思ったが違う。
血だ。
直後、ノエルは激しく吐血した。
「ゴホッ、ゴホッ! な、なんだ!?」
先ほどまで感じなかった痛みが全身を襲う。
血は沸騰したかのように熱く、肺が締め付けられる。
ノエルは吐血しながらも、何が起きたのか必死に思考を重ねた。
(いったい何が起きた。魔法を喰らった? ……いや、この身体が燃えるような感覚は……)
「毒か。お前の攻撃を喰らった覚えはないのだが」
『ちょっとした仕掛けがありましてね。私の魔性に関する、とだけ答えておきましょう。楽しい時間をありがとう、ノエルさん』
「……なるほど、お前の魔力には毒がある。ショーテルで斬りつけるたび、魔力の微細な粒子を私の身体に送り込んだ……違うか?」
ノエルの返答に、ブラッディの歩が止まる。
この状況、この短時間で正解に辿り着かれたことが信じられなかった。
『まさか、見抜かれるとは思いませんでしたよ。そう、私の魔力は強い毒性を持ちます』
ブラッディは生まれ落ちたときから魔力に毒があった。
成長するにつれ毒性は増し、強力な敵も倒せるに至ったのだ。
ノエルは続けて、ブラッディの武器についても言及する。
「ショーテルを使うのは、効率よく毒の粒子を浴びせるためだな。どうりで、やたらと内側の刃で斬りかかってきたわけだ」
『それも正解です。湾曲した刃で敵の身体を覆うように斬りつければ、直刀より多くの粒子を振りかけられるのでね。人間には猛毒なのに、ここまで耐えるのは正直驚きました。やはり、あなたは相当な強者ですね』
ブラッディはデュラハン卿に剣を教わるに辺り、様々な形状の武器を試した。
一般的なロングソード、ダガー、双剣、斧、槍、メイス……。
結果、ショーテルが最も効率よく特性を活かせることがわかり、魔力兵装として選択したのだ。
翼と尾を持つドラゴニュートならではの重心の取り方も相まって、手に馴染みやすかった。 練度の高いショーテル、翼と尾を活かした立ち回り、そして毒の魔力。
この三つが、数多の強者を屠ってきた武器だった。
現在対峙するノエルの状態は傍目から見ても相当に厳しく、ブラッディは命の灯火が消えていくのを感じ取る。
『さて、あなたはもう限界のようですね。死ぬ前に殺してあげましょう』
「……あまり見くびらないでもらおうか」
突如としてノエルは自分の左前腕を切り裂き、大量の血を流した。
驚いたのはブラッディだ。
『な、なにを……っ』
「貴様が会話に夢中になっている間、体内を流れる毒の魔力をここに集めた。外から入ってきたものならば、再度外に出すことは難しくない」
『だからといって、自分の身体を傷つけるなど……!』
「貴様は勝利を確信しているようだが、戦いはまだ終わっていないぞ」
ノエルは足に力を込め、立ち上がる。
毒が抜けたこともあり頭も視界も明瞭だ。
彼女の脳裏には、幼少期からずっと追いかけ続けた存在――アスカの後ろ姿が思い浮かんでいた。
「私はこんなところで負けるわけにはいかない。……あいつに追いつくためにも」




