第26話:会敵ヒュドラ
「ねえ、あの冒険者はいったい何を言ってるんでしょう」
「たった一人でヒュドラを討伐するなんて、できるわけないじゃないですか」
「でも、あんなに魔法がすごい人を私は見たことがありませんよ」
「我々を攻撃してくる素振りは見せないし、敵意はないのかもしれん」
「なぁ、頼んでみてもいいんじゃないか?」
ウンディーネたちが相談する声が聞こえてくる。ヒュドラの一件は俺に任せる空気になっているようだ。どうでもいいから、俺はさっさとヒュドラを討伐したい。
「ティルー、聖泉はどこにあるんだ? 近くまで案内してくれ。あとは勝手にやるから」
「い、いや、だ……だめです! 人間に聖泉の場所を知られるわけにはっ……!」
どうやら、説得してもムダなようだ。完全に自分を見失ってしまっている。ヒュドラやら魔水やら、いずれ長になるプレッシャーやらで混乱しているのだろう。
「教えたくないなら、無理に教えなくていい。自分で探す」
――《ヴァイト・スィーク・サーチ》。
俺は広範囲の索敵魔法を発動させた。これでモンスターの居場所などすぐわかる。
「ふむ、ここから北の方か。ナディア、行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ」
ナディアと一緒に、ヒュドラの元へ歩き始めた。周りのウンディーネは道を空けるだけで、黙って俺たちを見ている。
「お、お待ちなさい!」
ティルーが道を塞いだ。両手を広げ、意地でもどかないという気迫が伝わってくる。
「絶対に通しませんからね! たとえ、この身が犠牲になっても! 人間だけで聖泉に行かせるわけには……! あっ、ちょっと!」
俺はティルーの手を軽く掴んだ。
「そんなに言うなら、ティルーもついてきてくれ。ヒュドラを倒すところを見れば、お前も納得してくれるはずだ」
そのまま聖泉に連れて行く。ヘイケン含め、他のウンディーネたちは傍観を決め込んでいた。
「なっ! こんなことして、許されると……! あーれー!」
少し歩くと泉が出てきた。小さな湖くらいの大きさだ。普段は澄んだ美しい泉なのだろうが、今はどす黒く濁ってしまっていた。
「ここが聖泉だな。さて、ヒュドラはどこかな」
「うっうっ……私にはウンディーネの長としての資格が……うっうっ……私がしっかりしていれば……ヒュドラなんか来なかったんです……うっうっ」
さっきからティルーは、泣きながらずっと独り言を言っている。
「も、もう泣くのはやめなよ。アスカはちゃんとヒュドラ倒してくれるよ?」
ナディアがティルーを慰めたとき、泉の水面がボコボコと鳴り始めた。
「二人とも、お出ましだぞ」
ザパアアアアアアアアアアアン!
派手な水しぶきを上げ、ヒュドラが姿を現した。巨大な胴体に、9本の長い首が生えている。
「うわあああああああ、で、でたああああああ!」
「お、おのれ! この忌まわしきモンスターめ! 今すぐここから出て行きなさい!」
しかし、このヒュドラはどうやってここまで侵入したのだろう? いかにSランクモンスターとはいえ、ウンディーネは楽な相手ではないはずだが。
『フハハハハ! 誰が来たかと思えば、またウンディーネどもか。魔水で弱り切ったお前らでは、我に勝てるはずがない。まだわかってないようだな、また痛めつけてやる。……ほお、人間と猫人族を助けに呼んだのか。しかし、たった2人とは! 我も舐められたものよのう! フハハハハハハハハハ!』
何がそんなにおかしいのか、ヒュドラは楽しそうに笑っている。9本とも同じ表情をしているのが愉快だった。
「お前のせいで、ウンディーネもラチッタの人たちも迷惑している。おとなしく討伐されるんだな」
『ハッ! 我を討伐とは! ずいぶん酔狂なことを言う人間だ! よいか? 我はお前ごときには、ギャアアアアアアアアアアアア!』
ズバアアアアアアアアアアアアアアアア! ドシャッ! ドシャッ!
何の前触れもなく、ヒュドラの首が4本落ちる。何のことはない。剣を振って生み出した衝撃波で、首を斬っただけだ。もっとも、魔法で威力を多少は強めたが。だが、こいつは俺が何をしたかもわからんだろう。
『き、貴様ぁぁぁ! いったい何をしたぁ!』
「別に、大したことじゃない。剣圧を《ストロング・エンファシス》で強めただけだ」
『剣圧を強めただとぉぉぉ! さっきから貴様は突っ立っているだけではないか! 呪文の詠唱はおろか、魔法名すら言わずに魔法を発動できるか、愚か者め! 何もしないでやれば調子に乗りおってぇぇぇぇぇ! このっ、グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
ズバアアアアアアアアアン! バシャッ! バシャッ!
「だから、そう言っているだろうに」
俺は即座に真ん中の首以外の4本を斬り落とした。もはや、ヒュドラの首は真ん中の1本しか残っていない。
『くっ……す、少しはやるようだな、人間! しかし、やはりお主らはバカだ! 我らヒュドラの特性を知らぬのか! 首を切られたところで、また新たに…………。な、なぜ再生しない!』
ヒュドラは泉の中で慌てふためいていた。しきりに、俺に斬られた首を確認している。どれもだらんとして、全く動こうとしなかった。もちろん、切り口から首が生えてくるような前兆もない。
「お前たちヒュドラの首を斬っても、またすぐに生えてくるのは知っている。だから、再生を止める《ノン・リバイブ》を付与した衝撃波でお前の首を斬ったのだ」
「ほらね、ティルー! アスカはすごいでしょ!」
「アスカさん、こんなに強いお方だったとは……」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか。ヒュドラはたじろいでいる。
「ヒュドラ、俺の質問に……」
ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
いきなり、ヒュドラは黒い霧状のブレスを吐いてきた。少し吸っただけで死に至るという、猛毒極まりないブレスだ。かなりの広範囲かつ、すごい速さで襲い掛かってくる。
「きゃあっ! 毒の息だよ!?」
「は、はやく逃げましょう!」
ナディアとティルーは一目散に逃げようとする。しかし、ヒュドラの毒ブレスの方が速いことは明確だ。
「走ったところで逃げ切れない。俺が吸収した方が手っ取り早い。お前ら、そこを動くなよ」
俺は吸収魔法の《アブソープ》を念じた。すると、次の瞬間には毒ブレスがどんどん俺の体に吸い込まれていく。
「アスカ!? な、何してるの!?」
「ア、アスカさん!?」
『フハハハハハ! お前は想像以上のバカだったな! あろうことか、我の毒ブレスをその身に吸収するとは! この毒ブレスを受けて、生き永らえた人間などおらぬわ! ブレスに触れた途端、皮膚はただれ肺は焼け焦げる! 即死じゃ! フハハハハハ! ハーッハッハッハッハッ! …………あ、あの……何で死んでないのですか?』
何事もなく立っている俺を見て、ヒュドラは驚きを隠せないようだ。無論、皮膚がただれることもなく、肺が焼け焦げていることもない。
「《アブソープ》で吸収した瞬間から、《ポイズン・デトキシ》で無毒化しただけだ。まぁ、念のため《オール・キュア》も同時発動しといたがな」
『そ、そのレベルの魔法を同時発動していたというのか。こ、こんなのは聞いたことがないぞ』
ヒュドラは今にも逃げ出しそうだ。
「だから、アスカはすごいんだって!」
ナディアはまたドンッ! と胸を張っている。ティルーがおずおずと聞いてきた。
「ア、アスカさん、あなたはいったい……?」
そういえば、前にも似たようなことがあったな。そうだ、ナディアを助けたときだった。
「俺はただのDランク冒険者だ。ちょっとばかし、剣術と魔法が強いだけのな」




