宿屋
「ここです、ここが皆さんに泊まっていただく宿です!」
そう言ってカナディが指差したのは、とても大きな宿。
ロアンナの街でも宿屋があったが、これだけ大きな宿はなかった。二階建てで、外から見ても十以上は部屋がある。しかも、窓の間隔から見て、広い部屋が。
赤煉瓦の宿を見て、ハーミスが口を開いた。
「……随分と豪華だな」
「はい、獣人街で一番豪華な宿を取りました! 五日間は無料で泊まれるように手配もしています、ゆっくり寛いでください!」
「何から何まで……ありがとうね、ちびっ子」
クレアに礼を言われ、二人は顔を赤くして謙遜する。
「とんでもない、皆さんは里を救い、これからの亜人の未来を救う救世主なんです! これくらいは当然だって、シャスティさんも、姫様も言っていました!」
「私達はこれから街を出ますが、街を満喫して行ってくださいね!」
街を出る。まだ会って暫くと呼べるほども話していないのに、二人はそう言った。
「え? 二人とも、もう行っちゃうの?」
ルビーが寂しそうに問うと、獣も、エルフの二人も頷いた。
「皆さんにお伝えすることは、全て伝えましたので!」
「私とモルディは、獣人街から北部に進んで、引き続きレジスタンス活動を続けます。その先で、シャスティさんや里の皆とも落ち合う予定です」
レジスタンス活動を続ける。つまり、聖伐隊と戦い、亜人の蜂起に貢献する。
危険な任務だ。彼女達のような子供ですらこんなことをしているのだから、シャスティ達はどんな戦いを続けているのだろうか。そして、彼女達を意図せずしてそう導いてしまった事実に、ハーミスはやや俯いてしまった。
救世主などではないと言い続けたが、結果はこうだ。自分が『選ばれし者達』との戦いを続けていく中で、人の宿命を変えていく重みを感じつつ、それでもハーミスはモルディ達の顔を見て、笑顔を向けた。
「そっか……気を付けてな。命あっての物種だぜ、な、エル?」
「私に振らないでください」
命を投げうったエルにジョークを飛ばすのも、強がりだった。
幸い、モルディもカナディも、彼の心境に気付かなかった。救世主が感謝してくれたと思うと嬉しくなって、獣達が駆け出すのにつれて、二人は手を振り、再会を約束した。
「皆さんも、どうかお気をつけて! それではまた!」
「里の皆に、ハーミスさん達の無事をお伝えしておきますっ!」
門のある方角に向かって、二人の姿が小さくなってゆく。矢を背負い、獣と共になったエルフ――未来の勇士を眺めながら、クレアが静かに呟いた。
「……あんなにちっこいのに、戦いに参加してるのね。大したもんだわ」
「そうだろう、私もびっくりしたわよ」
彼女の言葉を、後ろにいた者が聞いていた。
四人が振り返ると、恰幅の良い中年の女性が立っていた。割烹着姿で、やはり頭と臀部には、髪の色と同じ明るい茶色の耳と尻尾が生えている。
「あんたは?」
「私はこの『鶏の歌亭』の女将だよ。あんた達のことは聞いてる、エルフ二人が一等の部屋を三つ、五日分用意してくれって言ってたからね。シャワー付き、高級ベッドに昼と晩飯が付いてる宿なんて、獣人街でもそうそうないよ、わはは!」
女将が歯を見せて笑うと、獣人族の特徴らしい、長い犬歯が見えた。
「あのエルフ達、ここにハーミスってのが来るって、人間だけど聖伐隊を倒して亜人を助けてくれる、正義の味方だって皆に言って回ってたさ。ここに人間が迷い込めば、普通は袋叩きだけど、あんた達が別なのは、二人のおかげだよ」
三日も駆けずり回ったのは、四人も知らなかった。
獣人街に行こうと思っている。そう聞いただけなのに、事情を知らないハーミス、クレア、ルビーの為だけに、この街に寄り、彼らの良さを伝え続けたのだ。
自分の復讐が未来を変えたのは、悪い方向だけではない。希望を与えるかのように、良い方向にも、未来は変わっている。そう言われたような気がして、ハーミスは安堵した。
「そっか……感謝しないとだな、そりゃ」
おかしな面子の四人にも動じず、どっかりと構えた女将は笑った。
「そういうことだよ。さ、ゆっくり休んでっておくれ」
そして、彼女に案内されるがまま、四人は『鶏の歌亭』に入っていった。
「ねえ、今日はもう部屋でゆっくりしない? ベッドで寝るのは久々だし、すっかり疲れちゃったし、明日の朝まで爆睡したい気分よ」
「私もです。温かいシャワーを浴びさせてください」
「ルビーもごろごろするーっ!」
「ところで、部屋は三つしかねえぞ。俺、クレアとエル、ルビーで分けていいか?」
「こいつは嫌よ!」「この人だけはごめんです!」
「だったらルビー、ハーミスと一緒の部屋が良いな! クレアとエルは一人ずつ――」
「よーし、クレア、エル、お前らは同じ部屋だ! 異論は聞かねえぞ!」
獣人街の初日は、少しの喧嘩と共に、何事もなく終わっていった。
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