喪失
「――ティアンナアアアァァ――ッ!」
ハーミスが絶叫した。内包するあらゆる怒りを込めた叫びだった。
しかし、絶叫している余裕すらも、本来ならば彼にはなかった。なぜなら、爆発によって滝の上部が崩れ、岩と土石流、水流が凄まじい勢いで降ってきたからだ。
彼らの目から見ても、隠れ家どころか、滝壺諸共下にいる者を埋めるには十分過ぎる質量だ。空を飛ぶクレア達からすれば、絶体絶命の危機だった。
「クレア、岩が!」
「あいつら、ハーミス達を生き埋めにするのが目的だったってわけね! ルビー、三人を助けるわよ!」
「うん、ここからなら……うわぁっ!」
降下しようとしたルビーだったが、突如放たれた矢によって、行動を遮られた。
見ると、人の壁となった隊員達が、今度は弓を引いてクレアを狙っている。マリオとヴィッツもまた、矢を番えてこちらに放ってきた。複数の矢が飛んでくる状況で、それを縫ってハーミスを救いに行くのは、余りに難しすぎる。
「あいつら、こんな時だけ妨害するつもり!? このクソ野郎!」
「ハーミス、皆、逃げてーっ!」
クレアの叫び声が聞こえた時、既に一部の岩は落ちてきていた。ハーミスはまだ岩で封鎖されていない、ここまで下りてきた道を指差し、二人に言った。
「ちぃ……ミン、エル、一旦上に逃げるぞ!」
ミンは頷いたが、エルは空を眺めたまま、動かなかった。
「エル?」
何かおかしい様子を感じ取り、彼女に近づいた時、エルの呟く声が聞こえた。
「…………私……何を……えっと……どうして……」
思考が止まっていた。完全に壊れているわけではなかったようだが、逃げる、命を守るといった思考回路が完全におかしくなっているようだった。
こんな状態のエルを連れて、逃げ出せない。もう辺りは、巨岩や水で溢れている。
「まずい、このままじゃ岩と濁流で――」
埋められる、とハーミスが全て言い終えるより先に、彼とエル、ミンの姿は完全に岩と濁流に呑み込まれた。残ったのは滝だった何かだけで、岩石と濁った水で構成された湖を、クレア達は唖然と見つめていた。
「……嘘」
ただただ口を開くだけの二人に、ティアンナは嘲笑うように言った。
「一度死んだハーミスでも、もう二度は浮かんでこないわね。お疲れ様」
その瞬間、クレアとルビーの怒りが爆発した。
「――この野郎おぉッ!」
「――グウオルウアアアァァ――ッ!」
突撃銃を乱射しながら、猛火を放つ敵を見据えても、ティアンナは余裕だ。
「あら、魔女がいないからって勝てると思う? それは大きな間違いよ、余り物さん」
盾を仕舞い、腰に携えた一対の剣を構えたマリオ達の濁った瞳が、敵を捉えた。
ところで、ドラゴンと聖伐隊が死闘を繰り広げるはるか下、既に埋もれた滝壺の跡地。
「……生き、てる? 埋まったはずなのに、どうして……?」
そこには、まだハーミスがいた。
ハーミスだけではない。立ち尽くしたエルもいる。岩や濁流に塗れておらず、彼らの周囲には、まるでシェルターのように、桃色のオーラが放たれていた。
これはエルから発されている力ではないと、ハーミスは察していた。それでも何故かと口を開くと、彼の視界の真後ろから、霞のように小さな声が聞こえてきた。
「……私が壁を作ったからだよ。尤も、長くはもたないけどね」
ミンだ。二人の後ろで呻くミンが、魔法で必死に防壁を作っていたのだ。ただし、長くはもたない理由は、彼女の体を見れば一目瞭然だった。
「ミンさん! 長くはもたないって……その怪我!」
彼女の胸元――肺の辺りに、腕ほども太い木の枝が突き刺さっていた。
ハーミスは直感した。彼のポーチには医療キットがあるが、そんな程度のアイテムでは治せないと。仮に今、ここにキャリアーを呼んでも、もうミンは殆ど死んでいるのも同然なのだと。
なのに、ミンは笑っていた。血を吐きながら、足を震わせながら、笑っていた。
「土石流の中に、枝が混じってたみたいだね……どうにか意識はあるけど、それもいつまで続くやら……それよりも、エル……」
振り向かず、彼女は命を絞り出すように聞いた。
「……エル、どうして生きるのを諦めたんだい?」
ハーミスも、それを感じ取っていた。
あの時、彼女は単に呆然としていたのではない。呆気に取られていたわけでもない。全てを諦めていたように見えたのだ。ミンもそう感じていたのなら、間違いないだろう。
少しの間を置いて、エルは抑揚なく、呪文のように話し始めた。
「……私、間違っていたんです。才能があると勘違いして、姉妹を連れ出しました。その姉妹と両手を血に染めて、殺しに明け暮れました。そして支配され、同胞を殺し、逃げ出した先でその家族を死なせました。私のやって来たことは、全部間違いでした」
ほぼ繋がったように、感情のない口ぶりだった。
「自分の行い全部が間違いだって、自分は凡才で、周囲を掻き乱すだけだと気づけました。こんな魔女に生きている価値はないと思ったので、死のうとしました」
その内容は、看過できなかった。
自分の行いが過ちだったと、彼女は気づいた。生きてからこれまでずっと、都合の悪いことから目を背けて、逃げ続けた一生。気づいていないふりをして、己の偉大さを誤魔化して、姉妹すら巻き込んだ。
結果が、これだ。姉妹を殺し、母を危機に晒し、何一つ残せなかった。強いて言うならば、己の愚かさを世に知らしめただけ。いや、知らしめてすらいない。
だから死ぬ。それ以上でも以下でもない。生きる価値がないと判断したのだ。
「ただそれだけです、私を助けようとしたのは、全くもって余計なお世話――」
ただ、そんな烏滸がましい言葉は、ある男の琴線に触れた。
エルが言葉を紡ぐよりも先に、彼女の頬をハーミスがはたいた。
乾いた音がした。岩と障害物に囲まれた狭い空間に響いた音を、ミンは聞いた。驚いた顔をするエルの前で、ハーミスはどうしようもないほど目に怒りを湛え、言った。
「――いつまで逃げてるつもりだ、てめぇは」
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