逆襲⑦
ユーゴーが激突した衝撃で、崩れゆく石の塔。
もうもうと立ち上る埃の煙を見据える二人の存在を目の当たりにして、アルミリアは右肩を抑えながら立ち上がろうとした。
「……オットー、よくぞここまで……うっ……」
「お嬢様!」
だが、既に多くの個所が破損した体では、立ち上がることすら難儀なようで、オットーが彼女を咄嗟に支えて、ようやくまともに体を起き上がらせた。
ぜいぜいと肩で息をしながらも、アルミリアは主君の身を案じる付き人に身を預ける。
「大丈夫じゃ、それよりもオットー……お主が同胞を導いてくれたのじゃな……」
「はい、私とハーミス様が『明星』の方々と手を組み、ここまで参りました」
悔しそうに、アルミリアは俯いた。
恐らく、ゾンビ軍団を率いているオットーと、ただ拷問を見せつけられ、捕らえられているだけの自分を見比べてしまったのだろう。歯ぎしりし、顔を見せないように何かを呟こうとした彼女の言葉を、できた付き人のオットーはさっと遮った。
「……お嬢様、何を言わんとしてるか、オットーには分かります。ですが、お嬢様がいなければ我らゾンビ軍団は成り立ちませんでした。決して、守られてばかりの自分が指導者に相応しくないなど、仰ってはなりません」
彼にとって、アルミリアは決して無能なお姫様ではない。
「痛めつけられても心折れず、屈しなかった。その姿こそ、指導者の鑑でございます」
処刑される前も、後も、今この瞬間も変わらない。
オットーが生涯守ると誓った相手は、紛れもなくゾンビの指導者なのだから。
「……オットー……!」
アルミリアが顔を上げ、オットーの胸元に顔を埋めた傍で、ハーミスは石床に倒れ伏すクレアを抱き起こしていた。仲間の助けに安心したのか、彼女の声から緊張が消え、これ以上ないくらい大きなため息も漏らした。
「……遅いわよ、ハーミス……」
「悪りいって言ったろ、結構探してて……って、クレア、その怪我は!」
ハーミスはこの時、クレアが努めて隠そうとしていた右腕の怪我に気付いた。
ぶらぶらと力なく揺れる腕、折れ曲がった五本の指。どう見ても、誰かによって拷問まがいの暴行を加えられたようにしか見えないし、事実そうに違いない。
「あたしなら、う、大したことないわよ……それよりも、下にエルとルビーがいるの……あいつらを、先に……助けてあげて……」
「大したことないわけねえだろ! お前、腕も指も折れてるじゃねえか!」
「アルミリアの右手に比べりゃ、掠り傷よ……あんたこそ、その腕、どうしたのよ……」
クレアが大きく息を吐きながら、左手の指で差した先には、ハーミスの黒い義手。
どう見ても、人間の腕ではない。『通販』で買ったアイテムだとは分かっているが、彼の右腕が失われている事実にも少なからずショックを受けているようだ。
悲しげなクレアの顔から目を逸らしつつ、背後から飛来する不快な狂気を背中で感じながら、ハーミスはゆっくりと振り向いた。
「……俺の腕なら、あいつにくれてやった。今の右腕は、義手だ」
ハーミスの視線の先には、ドラゴンのそれを象った、銀色の翼を生やしたユーゴーが立っていた。流石に、先程の一発ではダメージを与えられなかったようだ。
ぴんぴんした様子のユーゴーは、ハーミスの登場を鼻で笑った。
彼の中でまだ、復讐者は自分よりも弱く、取るに足らない相手である。
「よくもやってくれたな、ハーミス。死にに来たのか、あァ?」
クレアを塔の隅にもたれかからせ、ハーミスは立ち上がった。
「ぶん殴られたくせに随分とでけえ口を叩くんだな。それよりも、喋れなくなる前に、聞いておきてえことがあるんだ」
義手の指をぽき、ぱき、と鳴らしながら、ハーミスは唸るような声で問う。
「クレアを、仲間を痛めつけたのは、俺を怒らせたいからか?」
ユーゴーの返答は、凡そハーミスの予想通りだった。
「ククク、それ以外に理由があると思ってんのか!? そいつらをボコボコにしてて一番楽しかったのはなァ、ハーミス、てめぇが苦しむ顔が思い浮かぶ時だったんだぜ!」
ただただひたすらに、ハーミスを苦しめることしか考えていなかった。
ここまで来れば、復讐でも何でもない、暴力の具現。相手がハーミスである必要かすら怪しいほど、ユーゴーは異常者としての体現を成していた。
「これからてめぇもぶち殺してやるよ、ハーミス! 最強無敵の俺様がなァ!」
そんなユーゴーが、拳を突き出して殺害宣言するのをどこまでも冷たい目で見ていたハーミスは、クレア達に振り返りもせずに、静かに言った。
「……オットー、クレアとアルミリアを連れて、塔の下に降りてくれ。エルとルビーを回収したら、ここから離れててくれねえか――俺の力に、巻き込まれないように」
ハーミスの声だ。間違いない。そのはずなのに、三人は心臓が凍り付いた。
地下墓地でどたばたとはしゃいでいた、一緒に戦っていたハーミスとは別人であるかのような、冷徹極まりない声。人間でも、魔物でも何でもない、別次元の存在にすら思えるハーミスの頼みを聞いて、咄嗟にオットーは口笛を吹き、二人の怪我人を抱えた。
「畏まりました。ハーミス様。お嬢様、クレア様、こちらへ」
「かたじけない、ハーミス……!」
「……無茶すんじゃない、わよ……」
オットーの口笛に応じたのか、巨大なゾンビ鷲が飛んできた。顔を鋼材、翼を布やその他諸々の素材で修復された血の気のない鷲の上に、人間が三人乗せられた。
これで、ハーミス以外は塔から離れられる。三人を乗せた鷲は塔の上に残った彼を一瞥して、ひゅん、と塔の下へと飛んでいった。振り向きはしなかったが、投げかけられた言葉はしっかり聞いていたハーミスは、微かに笑う。
「無茶すんなはこっちの台詞だっての、今回ばっかりはな。さて、と」
笑っていたのは、ここまでだ。蒼炎を灯した瞳で、ユーゴーを射殺すように睨む。
「覚悟決めろよ、ユーゴー。地獄にもう一遍叩き落としてやる」
「こっちの台詞だぜ、ハーミス! 無様に死ぬのはてめぇの方だよ!」
殺意を滾らせているのはユーゴーも同様で、彼の場合は両腕をドラゴンと同じく、屈強に肥大化させて臨戦態勢を取っている分、より好戦的であると言える。
「何だかよく知らねえ義手をつけてるみてぇだが、関係ねえな! 分かってるだろうけどよ、俺様の超硬質金属の体を殴れたのも、球体を破れたのもまぐれだぜ! まぐれが二度も続くと思わねえことだな!」
げらげらと大笑いするユーゴーの腕に、紫色の光が纏わりつく。エルから習得した、腕力の増強魔法だ。これとドラゴンの拳で、ハーミスの頭を抉り潰すつもりだろう。
右腕を鳴らし、ぐるぐると回して、ユーゴーは翼をはためかせて轟風を巻き起こす。
「現実を思い知らせてやるぜ、スキルなしのクソ無能がよおぉ――ッ!」
そして、左腕を振り上げて殴りかかってきた。
ドラゴンの翼を用いた超高速機動、魔法で強化された鋼鉄の一撃。どうあっても避けられるはずがなく、ユーゴーの頭に浮かぶのは、顔面を潰された惨めなハーミスの姿。
ハーミスの眼前まで来ても、彼は全く動かない。ユーゴーの目からすれば、無能力者はちっとも対応できず、動くことすら能わないのだと思った。
愚かな負け犬め。最強無敵の自分に抗う弱者の死という現実を、叩きつけてやる。
「――遅せぇよ」
そんな妄想の端に、ハーミスの声が聞こえた気がした。
現実は違った。ハーミスが動いていないなど、あり得なかった。正しく言い換えるならば、ユーゴーの目では、彼の動きは追いきれなかった。
結果はただ一つ。銀色の顔面を窪ませた、黒い拳。
彼の顔面を殴り潰したハーミスの赤い一撃によって、最上階は爆散した。
床を砕くように頭を叩きつけられた、ユーゴーの抉れた顔と共に。
【読者の皆様へ】
広告の下側の評価欄に評価をいただけますと継続・連載への意欲が湧きます!
というかやる気がめっちゃ上がります!
ブックマークもぜひよろしくお願いいたします!




