湖畔
林の中を駆け抜け、ルビーは一心不乱に音を追いかけてゆく。まるで輝きを追いかける子供のように、三人の言葉も届かないほどに。飛ぶのを忘れてしまうほどに。
後ろの人間二人と魔女一人は、ついて行くのでやっとだ。
「何が見えたってのよ、ルビー! あたし達には何にも感じないわよ!?」
「恐らく、魔物にしか聞こえない『何か』があるのかもしれません。何かが誰かを導く為に……理屈は分かりませんが、そうとしか説明できないでしょう」
「罠じゃなきゃいいが、っと!」
少しじめじめして霧の濃い林の間を抜け、少しだけ湿った野原を進んでいくと、その先は切り立った崖となっていた。ルビーがぴたりと止まらなければ、ハーミス達は草むらと崖の区別もつかないまま、落ちて行ってしまっただろう。
まさかモルモリ湖のずっと端がこうなっているとは思いもしなかった。ルビーはというと、霧のせいで何も見えない崖の下を、じっと見つめている。
「林の先が、崖になってるのか……ルビー、その音ってのは、この下に行ったのか?」
「底が見えませんね。底なしか、或いは泥にでもなっているのか……」
不安そうなエルの前で、ルビーは目を輝かせている。
彼女にだけは聞こえているのだ。唸るような、呼ぶような声が。
「うん、ルビー達についてきてほしいって言ってるよ、きっと!」
ハーミスとエルは顔を見合わせるが、クレアだけは何とも不安な様子。というより、普通に考えれば、彼女のリアクションの方が普通なのだ。
「……アングラーって魔物がいるの、知ってる? 鼻先に発行体をつけて、つられてやって来た間抜けをぱくりと丸呑みしちゃう魔物なんだけどね――」
といっても、この状況では、普通である者に権利など存在しないのだが。
「行こう、皆! この下にきっと、ワイバーン達がいるよーっ!」
なんとルビーは、ハーミスとクレア、エルを抱えたかと思うと、霧の中へと飛び込んだのだ。何も見えない、底があるかも知れない、闇と呼んでも過言ではない霧の中へ。
「わ、ちょ、きゃああああっ!?」
ルビーが赤い翼をはばたかせてくれたおかげで、とてつもない勢いの落下はなかった。
だが、それがかえって恐怖を倍増させていた。ルビーの腕の中で、これからどんな地獄に落とされるか教えられてもいないクレアは、特に怯えた様子で騒いでいる。
「何にも見えないわよ、底があるかも怪しいのに飛び込む馬鹿がどこにいるのよ!?」
ぎゃあぎゃあと喚くクレアの横で、ハーミスはポーチから懐中電灯を取り出した。
「落ち着けよ、クレア。ルビーとエルがいれば落ちる心配はないだろうし、灯りなら俺が持ってるからさ……ほら、地面が見えたぜ」
彼が自分達の下を照らすと、少しの間は何も見えなかったが、ルビーが降下していくのにつれて土色の地面が見えてきた。いばらがあるとか、沼地のようだとかでもなく、着地しても問題なさそうだ。
試しにと、エルが桃色のオーラを地面にぶつけてみると、何かが飛び出してくる様子もなかった。恐らく、底なし沼だとかでもなく、ただの地面と思って良いだろう。
エルが頷くと、ルビーはゆっくりと着地して、翼を畳んでから仲間を降ろした。幸い、底に着くと霧も晴れてきて、視界が阻害されることもなくなった。
「ふう……とはいえ、ルビーの専行ぶりにも困りましたね。いいですか、今後は――」
尤も、疎外されていたままの方が良かったかもしれない。
着地した一行は、先ず気付いた。自分達の周りに何かがいて、取り囲むように見ていると。懐中電灯で照らされ、誰かが、何かが眩しそうにこちらを睨んでいると。
やがて完全に霧が晴れ、周囲に何がいるかを察して、エルはため息交じりに言った。
「――こうなる前に、作戦会議をしてから行動しましょう」
ハーミス達を取り囲んでいるのは、翼の生えた蜥蜴のような魔物だった。
一見すると細身なドラゴンのようであるが、前脚がなく二足歩行である。緑色の鱗に包まれていて、大きさはルビーがドラゴン化した時よりも少し大きい。後ろの方までは見えないが、どう見ても数は二十を上回っている。
「ま、ま、まさかこれって、ワイバーン……!?」
そんな魔物が、じろりと自分達を見下ろし、睨んでいるのだから、クレアは生きた心地がしない。リュックの中の銃火器を取り出すことすら、忘れているようだ。
「やっぱり! ルビー達を呼んでくれて「あんたは黙ってなさいっ!」むぐっ!?」
ただし、ルビーへのツッコミと、口を塞ぐことは忘れていないようだ。
そんなコントを繰り広げているうちに、ワイバーン達は唸りながらも四人を取り囲んでいく。口元に炎は見えていないが、もしもドラゴンと同じような性質があるのなら、一行を丸焦げにするなど容易いだろう。
「グウルル……」「フウー……」
ポーチに手を突っ込みつつも、ハーミスはとりあえず説得を試みる。
「……意思疎通ができるかは分からねえが、俺達は敵じゃない。あんた達を襲うとか、そんなつもりで来たんじゃねえってことだ」
「この視線、友好的な感情はないということくらいは分かりますね」
「どう見たってあたし達を餌としか見てないでしょうが!」
このままだと、霧の中にわざわざ飛び込みに来た美味しいお肉扱いになってしまう。
それだけはごめんだと思いながらも、ワイバーン達に手出しもできない。どうにもできない、どうとも動けない緊迫した空気は、ワイバーン達の奥の声で破られた。
「――いいや、餌ではないな。魔物にしか聞こえない私達の声を聞き、この巣まで無事に来たのだ。ただ者ではあるまいて」
しわがれた声だ。
崖の底に声が響くと、ワイバーン達は一様に脇に退いた。そうやってできた道の真ん中を、悠然と一回り大きなワイバーンが歩いてきた。その飛竜だけは、他と違って鱗が黄玉色で、右目の辺りに抉られたような傷痕があった。
ワイバーンの言葉が正しければ、どうやらここは巣で間違いないらしい。ポーチから手を離し、ハーミスは一歩前に出た。そして、静かに聞いた。
「……あんたは?」
「私か? 私はトパーズ、彼らワイバーン達を統べる、小さな群れの長だ。そういうお前は……魔物達の救世主、ハーミス・タナー・プライムだな?」
ハーミスよりもずっと冷静で、落ち着いた声で自分の名を呼ばれて、彼は驚いた。
「……どうして俺のことを?」
背後にいる三人に振り向いても、三人とも理由は分からないようだ。もう一度ハーミスが正面を向くと、トパーズはからからと笑いながら、答えを言った。
「魔物達の噂は、霧の奥から聞こえてくる。銀髪の人間が、聖伐隊から魔物を解放して回っているとな。連中の間では、お前は神聖視されているぞ」
今度はどこでカナディ達が噂を広めているのか、と呆れるのと同時に、ハーミスの頭には疑問符が浮かんでいた。こんな霧の中で、どうやって噂話を聞いているのかと。
「困ったもんだな、そりゃ。どこで聞いたんだよ、霧の中に住んでるってのに」
「ワイバーンの秘密だ。で、私達のことも、救おうとしに来てくれたのか?」
トパーズの回答は、答えであって答えではなかった。
ルビーが聞いた声というのも、どこかでハーミスの噂をきいたというのも、ワイバーンなりの秘密がありそうだ。そして、ワイバーンでない自分には生涯説明すらされないのだろうとも、察せていた。
だからこそ、ハーミスは単刀直入に、長であるトパーズに事情を聞くことにした。
「いや、違う。南にあるバルバ鉱山について、聞きに来たんだ。いつからあんな形になっちまったのか、あんた達が追い出されたのかをな」
トパーズが渋い顔をしたのを、ハーミスは見逃さなかった。
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