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終章 旅の終わり

 朝起きる。

 近所の公園を散歩する。

 妻と一緒に朝食を食べる。

 技術書を読む。

 松屋で牛丼を食べる。

 部屋でクラシック音楽を聞く。

 気が向いたら図書館へ行く。


 定年退職した後のサラリーマンになった気持ちで、ブラブラとしていた。最初の一日は武美に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、

『こんな何もない日なんて人生でそうないんだから楽しみなよ』

 と口にされたら何も言い返せず、ご厚意に甘えて好きなように過ごした。今日は少し遠出をして新宿御苑へ足を運んだ。休日はカップルに家族連れ、学生たちで賑わう公園も、平日のためか静かな時間が流れていた。ブラブラと芝生を歩き、たまにごろりと横になった。のんびりと雲は漂い、リラックスした感覚を覚えた。

 あの旅行以来あいかわらず『死後のこと』が頭に浮かんでは来る。けれども次第に、どこかしょうがないこととして考えている。受容とも違う、けれども諦めとも言えない俺らしく中途半端なまま残りのモラトリアムを過ごしていた。

 それは友人たちの話を聞いて、それぞれが消化できない何らかのモヤモヤを抱えていることに気づけたからかもしれない。人間なんて単純なもので、自分だけではないと思うだけで安心できるものかもしれない。少なくとも会社から休みを言い渡されたときよりは切羽詰まった追い込まれ方はなかった。



 夜。武美とワインを少しだけ飲んでノンビリとした時間を過ごしていた。話題は仕事のこと、この休みの日のこと、友人たちの近況のこと。毎日同じやつと顔を突き合わせていても、まったく飽きることがないというのはよく考えれば不思議なものだ。コイツと過ごしているといつもの何か新しいことに気づいたような、何か懐かしいことに思い出したような気持ちにさせられる。

 食後にテレビで流れていた映画を見ていた。第二次世界対戦のイタリアを題材にした映画だった。主人公の青年がユーモラスな男のため、俺と妻は結構笑いながら見ていた。それでも物語の最後で男は死んでしまう、それもあっけなく。そう。どうせ最後は人間なんてあっけない。そう思わずにはいられなかった。

 映画が終わって武美がテレビを消しても、ぼんやりと黒い画面を見続けていた。

「どうしたの? ぼうっとして?」

 妻が気になって聞いてきた。

「いや……。何でもない」

「そう? ならいいけど」

 怪訝な顔をしつつも、それ以上は詮索してこなかった。その適度ないつもは距離感がありがった。人間は自分の中に閉じこもって考えたい時はある。それでも、

「いや……。さっきの青年はどうなったのかなって……」

 本当は誰かと話したい日だってある。どうしようもないことはどうしようもないって理解した上で、どうしようもない話をしたい時だってある。

「うーん。残念だけど亡くなってしまったみたいね」

 妻はそんな俺のしみったれた気持ちを察してくれた。情けなく思いつつも、ありがたかった。

「だよな……」

 そう、あの流れからいうと殺されるのは不可避。後少しで平和の時代が訪れるというところで、彼の人生の幕は降りてしまった。

「気になるの?」

 心配そうな表情で覗き込んできた。そりゃそうだよな。ありふれた人が死ぬ映画にふさぎ込んでいるんだからな。今日この頃、人の死なない物語を探すほうが難しいってのにな。

「ああ。あいつは死んだらどうなんだろうな、って思って。天国が待っているのか無が待っているのか。もしあの世が無だったら、どんな感覚なんだろうなって」

 まだ旅の興奮が実は冷めていないのかもしれない。ちょっとした映画でも感情移入してしまってる。ちっ。これじゃ、社会復帰できねえな。またミスを連発しちまう。

「そうねえ」

 それに妻も言葉に迷っているようだ。無理もない。あんなに長く家を空けていたのに、帰ってきてもまだ症状は回復していないのだから。

「天国と地獄についてはなんとも言えないけど、『無』だったら特に気にしなくていいんじゃない?」

「へえ。どうして?」

 そういえば武美から死生観めいた話はしたことなかったな。気休めな慰めはしないとは思うけれど。

「だってさ」

 一瞬区切った後にこう言った。


「生まれる前に戻るだけでしょ?」


 ガツンと頭の中で雷が光った。身体中から力の抜けた気配がした。俺はヘナヘナとリビングのソファに座り込んだ。

「だ、だいじょうぶ?」

 突然の動きに戸惑いを見せた。どうしようかと数秒オロオロした後に、こっちの顔の方へと手を向けてきた。

 俺は妻の手を取って自分の方に引き寄せ、思いっきり力強く抱きしめた。

「ちょ、ちょっと。なによ。どうしたの。もう」

 恥ずかしさと驚きの混じった抗議の声を聞いたが、申し訳ないが軽く受け流してそのままの姿勢でいた。

 やっとだ。やっと答えを見つけた。彼女の放った言葉はスウっと俺の中に染み込んでいった。そして今までの恐れ・迷い・諦めが溶けていく音を聞いた。簡単なことじゃん。なんでいままで気づかなかったんだ。そうだよ、俺は既に無を経験したんだよ。もう一回、同じことを繰り返せばいいだけじゃねえか。

「ありがとう。ありがとう」

「え? はあ。どういたしました」

 最愛の妻に礼を言った。やっと自分の中で消化することができた。なにかのタイミングでまた恐怖感が戻ってくるかもしれないし、新たなモヤモヤが胸にこみ上げてくるかもしれない。それでも仮でもいいから、俺の答えを得られてホッとした。ようやく達観して死を待ち構える心構えができた。その時来るものをその時に考えればいいだけさ。武美も言ってたしな。

『さよならだけが人生だ』

 ってな。


―FIN―

[あとがき]


小説を書くことで学ぶことがあると最近思っています。このお話でも彼らと一緒に『死』について学んだ気持ちになっていました。書き切ってよかったと昔の作品でもよく思いますが、今回のお話は特にその感覚が強かったです。皆様にも何か残るようなものであれば幸いです。

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