幕間
雨がやがて雪へと変わりだした。風は冷たさを増し、反射的にマフラーを深く巻いた。悪天候で電車が途中止まったため、俺は目的地まで早足で歩かなければならなかった。とはいえ傘が立ち並ぶ中、ぶつからないように注意しなければならなかった。
お目当ての小さなレストランに着いたときには五分ほど遅れていた。多少乱れていた息を整え、俺はゆっくりと中に入っていった。
――チャキチャキ
室内はナイフとフォーク、人々の談笑の音が入り混じっていた。席に案内されると連れはすでに座っていた。
「遅いよ」
口では不平をいいつつも、武美の目は楽しそうな色を見せていた。その証拠に、
「大変だったね。列車が止まって」
こっちのトラブルについても理解を示してくれた。彼女はいつもよりフォーマル気味なスーツで彩っていた。
「今日は顔を見せられないかとヒヤヒヤしたよ」
スタッフの方がドリンクメニューを持ってきてくれたので、俺らは話を中断してゆっくりと眺めた。
「スプマンテ二つでいいかな?」
「うん。お願い」
「ではこちらを二つで」
ゆっくりとした動作でメニューを持ち、フロアの方へと去っていった。
前菜のカルパッチョをつまみつつ、俺たちは他愛もない話をしていた。仕事のこと、友人たちの近況のこと、最近みた映画のこと。笑いのポイントが同じなのか、とりとめのない話で盛り上がっていた。
「このワインおいしいね」
軽く顔を上気させて朗らかな笑みを見せていた。武美につられてついつい俺も軽く笑みを見せた。
「よかった。見つけた甲斐があったよ」
今日この日のことをきっちりと思い出にしたくて、持てる知識をフル稼働させた。
「まさかこんな形で中といるなんて、大学の頃は思わなかったな」
「俺もだよ」
「付き合い始めてからどれくらいかな?」
「二年ぐらいじゃね?」
彼女に感づかれないように、手荷物から小さな袋を手にとった。
「あのさ、これからも一緒にいてくれる?」
「うん。いいよ。もっと遊びに行こ?」
「十年、二十年、三十年。それでも一緒にいてくれる?」
俺の言わんとすることに気がついたのか、目をうるませ始めた。
「……うん。いいよ」
俺も泣きたい気持ちを押し殺し、薄水色の小箱を相手に渡した。
「武美。俺と結婚してくれ」
将来の妻は泣いているような、笑ってるような顔をしながら、
「ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
ペコリと頭を下げた。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
俺もペコリと頭を下げた。
「お互い比翼の鳥・連理の枝になれるよう頑張ろう」
武美は目を丸くした。
「へえ、知ってたんだ。その句」
「あまりにも有名だからな」
そういうと妻(仮)はニタァという笑みを浮かべた。
「じゃあ、そのあたりの句を暗唱してみて」
無茶振りをしてきた。
「いや、さすがにそれは……」
そんな普段から漢詩に接してるわけではないし。
「では、私の方から教えてしんぜよう。長いから一部ね」
別れに臨みて殷勤に重ねて詞を寄す
詞中誓ひ有り、両心のみ知る
七月七日、長生殿
夜半人無く私語の時
天に在りては願はくは比翼の鳥となり
地に在りては願はくは連理の枝とならんと
天は長く地は久しきも時有りて尽く
此の恨みは綿綿として尽くるの期無からん
相変わらず、よくもまあ覚えているものだ。「でもね」
妻は注釈を入れた。
「私たちに楊貴妃と玄宗皇帝みたいな悲劇は似合わないと思わない?」
まあ、時の権力者でもなんでもないわけだし。
「だからさあ、私たちは私たちらしく細く長く小さく生きていこうよ。それが何よりも幸せだと思うよ」
「お、おう。そうだな」
そこまで大それたことを考えていたわけではないので、ちょっとバツの悪い思いを抱いてると、
「だからね。私の方から改めてよろしくね」
握手の手を差し出してきた。まあ、細かいことを気にしていてもしゃあないか。
「こちらこそよろしく」
今後これから考えなきゃいけないことは山程あることだし。大事の前の小事。気にするだけ損だな。