四章 子ども
カンカンとうだるような陽が照っていた。時おり涼やかな風が入りつつも、ちっとも緩和されなかった。南の島らしくまだ五月のに真夏のような気候をしていた。それに加えて、
「アチョォオー」
「ぐふっ」
ガキが殴る蹴るのちょっかいを繰り返してきて、いなす躱すのに精一杯だった。
「こらこら。晴人。中おじちゃんを困らせないで」
親の迅助が軽く諌めてくれた。
「いやいや大丈夫。俺も遊んでもらえれて楽しいし」
それにどこかの誰かさんみたいに中年扱いされるよかよっぽどましだし。こちとらオメエと同じ二十代だ。
「それにしても中、元気そうだね。来てくれて嬉しいよ」
俺はポリポリと頭を掻いた。ったく。相変わらず調子狂うな。
「そっちも変わんねえな」
生まれることは「呪い」か「祝福」か。死について考え始めると同時に、生まれることについても考え始めた。俺自身が生まれなければ、そもそも「人間」というものがこの世に生まれなければ、死の恐怖に苛まれることもなかったのではないのだろうか。
なぜ人間は生まれてしまったのか。なぜ人間は自分たちの死を残し続けるのか。何度問いかけても決して答えの出ないのにもかかわらず、何度も何度も頭に浮かんでしまう。今日みたいに友人の子どもを見たときには特にだ。
改めて今いる部屋を見渡した。ゆったりとしたソファに、シックな焦げ茶のテーブル、壁紙もクリーム色に統一され、外を見ると絵になるような海が広がっていた。
「いいところだな、ここ」
「妻に言ってくれると嬉しいな。俺は入婿でだし、この旅館を仕切ってるのはアイツだしな」
まさか俺の友人で経営者の仕事をするやつが出るとは思わなかったな。
「残念だよ。奥さんに会えないなんて」
「ちょうど視察旅行で京都に言っててね。今度は武美ちゃんも連れて遊びにおいでよ」
「ああ。行くよ」
反射的に社交辞令で答えた後、
「とはいえ、夢子の大阪に朋代のニューヨーク、そして迅助の沖縄って来ると大変だな。もしかしたら行けないかもしれない」
すぐに正直ベースでも話しておいた。
「ずいぶん派手にまわったね。二人とも元気だった?」
「あいかわらずだ。酒の飲み方が汚かった」
「ははは。変わってないみたいで嬉しいよ」
本当に嬉しそうな表情で笑った。まっすぐな顔を直視できず、
「こっちの暮らしはどうだ?」
話題をそらした。
「だいぶ慣れたよ。はじめは南国のテンポや旅館の仕事に戸惑ってたけれど、そのうちなんとかなってきた。今では妻と晴人の三人で慎ましく暮らしてるよ」
さっきの喧嘩腰が嘘のように、隅で絵本を読んでいる息子くんを見た。あっちも俺の方に視線をぶつけたので、目があってしまった。
「……トゥース」
何を言えばいいのかわからなかったのか、一発芸をかましてきた。
「……はは」
親父さんは呆れ笑い中。
「んで、副社長様がこんなとこでダベっていていいのか?」
玄関から入ったところ、活気のある旅館で従業員の方々が忙しく動いていた。
「別に多少抜けるぐらいは大丈夫だよ。ここの人たちはみんな優秀だし。トラブルがなければ特には、」
トントン、トントン
迅助がいいかけたところでドアを叩く音が響いた。副社長が出迎えると、スタッフの方が困惑した表情で立っていた。そして俺に聞こえないようにアイツの耳元で何事が囁いた。
途端に迅助の顔を曇らせ、それからポリポリと頬をかきながら俺を見た。
「ごめん中。ちょっと呼ばれちゃった。すまないが一時間くらい抜ける。その間、晴人の相手をしてくれ」
そして慌ただしく部屋の主は出ていった。残された俺ら二人は気まずい空気に包まれていた。おいおい。言っちゃなんだが俺は子どもの接し方なぞ知らねえぞ。どうしろってんだよ。向こうもチラチラとこっちの方に顔を向けてきた。
さてどうしようかと頭をめぐらしていると、先方が意を決してこちらの方に近づいてきた。
「ねえ、おじ……、お兄ちゃん」
いまおじちゃんと言いかけただろ、こいつ。とはいえ、ちゃんと飲み込んで言い直せたところはしっかりしてるな。
「本読んで」
手に持ってる複数の絵本を俺に差し出してきた。さっきまで読んでたな。腕白坊主かと思いきや、ナイーブな部分もあるんだな。
「どれどれ?」
読み聞かせなど未経験だが、とりあえず見せてもらった。『ぐりとぐら』に『はらぺこあおむし』に『ちいさいおうち』、『スイミー』に、おっと。『ギルガメシュ王ものがたり』なんかもある。結構あるな。ジャンルも多岐にわたってるし。迅助はこの子を大切に育ててるんだな。
「おっ。こんなのもあるんだ」
そこには和服姿の子どもが描かれてる絵本だった。タイトルは『ざしきわらし』か。渋いもの持ってるな。
「お兄ちゃん、それ読んで」
今手に持ってるもの、ってことだよな。
「この『ざしきわらし』か?」
念のために確認した。
「うん。そだよ」
この子も渋いな。
「おっけ。まかせな」
座敷わらしってたしか、もし彼らが住み着くとその家は栄える、っていう話だよな? 結構明るいいい話なんだろうな。と、頭の隅に置きながら絵本を読み進めていった。読み聞かせなんて生まれてこの方やったことないからわからんが、はっきり・ゆっくり・丁寧に読むよう心がけた。途中つっかえたり読み間違えたりしながらも、読み進めた。
最後の一文を終えたところで、パタンと絵本を閉じた。手探りながらなんとかやりきったぜ。
「……」
それにしても、なかなかエグい話だな。そういやおぼろげながら、座敷わらしがいなくなるとその家が滅びるというのも聞いたことあるな。
作者の名前を見ると怖めな小説で有名なのが書かれていた。だったらさもありなんだな。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
おいおい。この子はこんなのが好きなのかよ。迅助の息子らしいな。
「ねえ。次はこれを読んでよ」
そういって『ギルガメシュ王ものがたり』を見せてきた。まじか。俺すでに喉がかすれてきてんだけど。そう思いつつもキラキラした目にはNoと言わせない強さがあった。
「おっけー。まかせな」
迅助が戻ってくるまでの時間稼ぎで付き合った。絵本読み以外なにできるか想像できないしな。
いつのまにか晴人は寝入っていた。その寝顔は思ったよりも幼く思わせた。そりゃそうか、まだまだこの歳は子どもか。
この子を起こさないよう絵本をそばに置き、俺は大きく背伸びをした。外は夕焼け空が広がっていて、時間がだいぶ経ったことを教えてくれた。こっちの空は本土より気持ち赤みが強いかな。
「中、おつかれさま」
いつの間にか迅助が部屋に戻ってきていた。手にはオリオンビールの瓶とコップ二つがあった。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。佳境は去ったよ。晴人の相手をしてくれてありがとう」
話しつつ、グラスにビールを注いで、俺に手渡した。
「サンキュ」
俺らはグラスをカツンと鳴らして、シボシボと金色の液体を一気に流し込んだ。うん。うまい。
「はは。いい飲みっぷり」
そういう迅助はチビチビとビールに口をつけていた。相変わらず綺麗な飲み方だな。夢子・朋代とは大違いだ。
ふぅっと大きく息を吐いた。外からは涼し気な風が吹いてきた。いい感じの夏模様となっていた。しばし二人とも黙って海を眺めていた。
「どうだった? 旅行してみて見て?」
「うーん」
今回で三箇所目。見て聞いてしてみたが、「死」について理解が深まるとも、恐怖がなくなるともなかった。ただただ謎が深まるだけだった。それでも、
「みんな大変なんだな、って感じ」
と、しか言いようがなかった。
「なんだそれ?」
「うーん、上手く言えないけれど、旅行前は俺だけが折り合いがつかないと思って悶々としてたけれど、旅行してみて彼奴等も悶々としてることがわかったって感じ。自分の中で折り合いはまだつかないけれど、まあ他の人も折り合いがついていないんだって、わかったところ」
「なんか難しいな」
「なんか難しいんだよ」
実際問題、解決するとは思ってもなかったし。ダメで元々みたいなところがあった。多少は気が楽になっただけでも儲けものだ。そういう意味ではプラマイプラスだな。
「ってことは、夢子も朋代もなんか悩んでんだな」
「ああ。人生について悩んでるみたいだ」
テキトーなことを言ってるように聞こえるが、意外とこの言葉が一番適当だな。友人は「へえ」と軽く驚いた顔をした後、
「まあ。そりゃ俺らの歳になるとそうだよな。俺もそうだし」
聞こえるか聞こえないかぐらいのボリュームでポツリとつぶやいた。それでも俺の耳に入ったので、
「お前はどんなことで悩むんだ?」
当然、俺は聞き返した。そもそも人生の悩みを解消に来たんだ。ここで尋ねなきゃいつ尋ねるんだってんだ。
友人は口を開いてなにかいいかけようとし、閉じた。そんな動作を二三回繰り返した。そりゃそうか、この国ではそんなことを話す文化ないしな。そういう場合はまずは自分から話さなきゃな、ということで、
「俺の場合はな、死が怖いんだよ」
こっちの喫緊の悩みを吐露した。
「死が?」
「そっ。寝る前とかボーッとしてるときとか、人間は死んだらどうなるのか、永遠の無とはなんなのか、って考えるとブルーになるんだよ。それで仕事のミスが増えて、上司からバカンスを勧められたってこと」
改めて言語化すると情けない限りだが、まあ仕方ない。今更こいつの前で飾ったってしょうもない部分もあるしな。
「ああ。なるほど」
友人は一言つぶやき、
「確かに冷静に考えると怖いよな。自分の死んだ後とか全くイメージがつかないし」
俺に同調してくれた。
「そっちはねえのか?」
「ああ。幸か不幸かそういうのに悩んだことないな。というより悩む暇がなかったというのが答えかな」
「悩む暇がなかった?」
「ああ」
そしてチラッと気持ちよさそうに眠っている晴人に目を向けた。
「この子の世話をするのに日々大変でね。やれお腹空いた。やれ眠い。やれ頭痛い。良くも悪くも他人のことで精一杯。そういう意味で、誰かのことを考えなくて楽だね」
落ち着いた顔で微笑みを見せた。
「でもね、」
今度はわずかに憂いを見せた表情で、
「中みたいにもっと自分のことを考えればよかったなとも思うよ。もちろん良い意味でだよ」
気を悪くさせまいと慌ててフォローした。そこまでナイーブにならなくていいのに。
「俺は迅助が羨ましいよ。人生の終わりを考えたって、はっきり言って答えなんて出るものでもない。どのアイディアもアイディアのままだ。ただただ苦しい」
迅助は今度こそ申し訳無さそうな顔をした。……参ったな。そんなつもりじゃなかったのに。
「中、晴人に本を読んでくれたんだね?」
「あ、ああ。うまくできたか自信はないが」
「それは気にしないでいいよ。気持ちよさそうに寝ているから楽しんだみたいだし」
迅助は息子の髪をそっとなでた。
「どの本を読んだの?」
「えっと。こいつだな。『ざしきわらし』」
なるほど、という顔を友人をした。
「息子はこの本が好きなんだ。だからお前にお願いしたんだろうね」
やっぱり晴人はこの本が好きだったのか。
「ずいぶん渋い趣味してるな。こんだけメジャーどころがあるなかで」
この中だと俺は『はらぺこあおむし』と『ぐりとぐら』が好きだったな。母さんもこの二冊を気に入ってた記憶がある。
「ああ。それは俺が何度も読んだからだろうね。絵本を読むとなると、だいたい『ざしきわらし』を選んでたからね」
ほう。そりゃまた。
「めずらしいな。この本を選ぶなんて」
やっぱ本の趣味は人それぞれなんだな。そう思って迅助を見ると、逡巡しているような、戸惑っているような、言いよどんでいるような微妙な表情をした。……あれ? ひょっとして俺、地雷ふんじまった?
迅助は決心したように顔を整え、
「さっき、中は『死が怖い』って言ってたよな?」
「ん? あ、ああ。言ったが?」
相手の言葉をくみあぐねていると、
「実は俺も同じく『死が怖い』んだよ」
「えっ!」
それは意外だ。勝手なイメージだけれど、迅助は死に対して淡々と受け流すタイプかと思ってた。
「といっても、俺自身の『死』については、あんまり気にしてないんだよね。自分のことについては鈍感なのか、まだ遠い先の話だから楽観してるのか」
軽く苦笑いした後、オリオンビールを口にした。気持ちこいつの顔が赤みを帯びてきた。
「それじゃ、どういう意味で怖いんだ?」
やつは息子がグッスリ眠っているのを確認すると、
「……この子が死ぬのが怖いんだ」
「……ああ。なるほど。大切に育ててるみたいだしな」
「……いや、そうじゃないんだ」
さっきから友人はどこか迷いながら、なんて言えばいいのか探しがなら、話をしている。「正確に言えばこの子がこの世から去って、この子の残り香が何一つ存在しなくなるのが怖い」
たしかに。突拍子もないと言えば突拍子もないな。
「もしそうなったら、お前が覚え続ければいい。っていう問題じゃないんだろうな」
それでも友人は静かに首を振って、
「そういう事じゃないな。魂の在り処とかそういう話なんだ。ちょっと中が気にしていることと被るかな」
俺が恐れを抱いているのが、突き詰めれば「無」の感覚だから似ているな。ただ、
「ただ、君は自分自身の恐れで、俺は息子の恐れ。君のは切実な恐れだけど、俺のはただぼんやりとした恐れっ違いはあるけどね」
「そんなことはないんじゃねえのか……?」
お前のも切実さがあるんじゃないのか? わざわざ俺に言うくらいだしさ。それでも友人は頭を振り、
「俺は心配とか杞憂しているだけさ。ただ頭の中で悶々としているだけで、なにか具体的な行動に向かおうとはしていないんだよ」
そこまで言われるとこっちも何も言えない。押し黙っていると、
「失礼ながら聞くが、お前の家は子どもいる?」
本当にぶっこんできたな。俺たちの世代間では聞かないのが暗黙のルールとなってんのに。
「なんか今はいいかな、って感じで作ってない。武美も俺も今は自分のことについて考えようって。二人の時間をもう少し暮らそうかなって思ってる」
それでも聞かれたことにはナチュラルに答えよう。俺は俺で普段言わないことを言ったし、この質問にはちゃんと答えないとまずい気がした。
迅助はまた晴人の方に目を向けた。まるでちゃんと寝ているか、起きる気配がないか確認するみたいに。
「ちょっとベランダ出ようぜ」
オリオンビールの瓶とグラスを持って立ち上がった。俺も異議申し立てる理由もないので付き従った。
いつの間にか薄暗い空になっていた。外はカラッとした風が吹き、都会と違って蒸し暑い感じはなかった。友人は後手で窓を閉めた。よほど息子に聞かれたくないんだな。友人はポケットから電子タバコを取り出し、うまそうに吸い始めた。
「晴人には悪いんだけど、最後の最後まで子どもを作ろうか迷っていたんだよね」
へ?
「迅助ほどではないにしても、俺も人生に悩んでた時期があったんだよね。この世は生きるに値するか、ってね。どんなに楽しいことがあっても、どんなに素晴らしい時間を送っても、結局は最後はゼロになる。それでも人生は素晴らしいのか? 人一人にその苦しみを負わせることが出来るのか。なかなか答えは出なかったな」
てか、俺とほぼ一緒じゃねえか。こいつもそんなことを思っていたんだな。
「じゃあ、なんで晴人を生んだんだ?」
「はっきり言って成り行きだ。お客様で家族連れの人たちが来て、仲良く話してる姿を見て、『俺も子どもがほしい』って思った。妻も自分の子どもを見てみたいって言ってたな。百億パーセント俺らの都合だな」
子どもを産むというのは親のエゴ、というのはどこかで聞いたことがある。考えてみればそうか。どんなに理屈をつけても、親が生みたいと思わなきゃ始まらないものな。
「それでも現金なもので、生まれたらやっぱり嬉しいものだな。自分の子どもは可愛いし、この子が幸せになるために人生をかけるのも悪くないと思うようにもなった。くさいけど、『この子のために死んでもいい』とも思うことあるな。そういう意味で、『自分の死』というのは悩みの対象じゃなくなった」
世の中には星の数ほど物語があり、星の数ほど誰かのために生きる物語がある。それは人間が人間として在るのに自然な姿なのかもしれないな。
「それでも『死の恐怖』ってのは残ってるらしく、この子が俺より先に死んだらどうしよう、っていう気持ちは正直ある。だから座敷わらしの本を何度も読んでるのかもしれないな」
「ん? なんで?」
いまいち繋がりが見えなかった。
「俺さ。幽霊がいてほしいと思うんだよ。死んだら無になるんじゃなくて、怨念でもなんでもこの世に何らかなの形で残り続ける、そいういうのに惹かれるんだよな」
「そういうのだったら、成仏して極楽で来世をまったり送る、っていうほうが良いような気はするがな」
「たしかにな。でも俺は具体的な実感の湧く物語を欲してたのかもしれない。幽霊だったらたまに何か感じることあるだろ? そういうような肌感覚のもののほうが安心できたんだ」
また友人はタバコを吸った。言うべきことを言って、安心したように肩をリラックスさせた。
「結果的には俺は子どもを作ることで、死後の恐怖はなくなった。よくもわるくもね。マンガやドラマにありがちな『誰かのために生きる』っていうのが、人間にとって一番自然な存在意義なのかもしれないね」
確かに。生物とは最終的に子孫を残すのが目的なら、他者のためというのが一番の生きる理由になるかもしれないな。
「でもね」
友人は続けてこうも口にした。
「中は仮でも何でもいいから、自分の中で答えを見つけたほうが良いと思う。うまく言えないけど、この先の人生を過ごす中で、その問いについては考え抜いたほうがいいと思う。それが『善く生きる』というのに続くんじゃないかな」
なかなか哲学的なことを言うなと思ったが、考えてみたら俺はずっと哲学的な対話をしていたな。大学生時代にも真面目に考えていなかったのに、おかしなものだ。いや、人生がある程度カタチになったからこそ、俺らは考え始めてるのかもな。
ガラガラと後ろから響いた。振り返ると、息子君がキョトンとした顔で俺たちを見ていた。大人ふたりが外で立っているのが気になったのか、
「パパたち、なにしてるの?」
と、尋ねてきた。
「星を見てたんだよ。中お兄ちゃんのところだと、あまり見えないみたいだから」
つられてみると、確かにポチポチと星が点滅していた。わざわざ見上げるのも久しぶりだな。
「今日はちょっと多い」
ぐっすり寝たからか、また元気に外に出ていった。
「走るなよ。転ぶぞ」
とりあえず言っとくようなトーンで口にした。
「はーい」
晴人も返事だけはとりあえずしとく、といった口調で言った。それでもあまり遠くには行かず、大人が走ったら追いつける場所で夜空を眺めていた。
「……中は願い事とかある?」
「願い事?」
そう言えばここ最近は特に考えなくなったな。欲しいものは頑張れば手に入るし、頑張っても手に入らないものは欲しくなくなった。
「……そういうお前は?」
「……月並みだが、あの子が悔いなく生を全うすること。かな」
それは気取ってるわけでもなく、自分に言い聞かせるのでもなく、ただただポロッと出た本音なのだろう。
「パパ! こっちこっち! 星が綺麗だよ」
晴人は手をブンブン振り、父親に呼びかけた。
「はいはい。今行くよ」
そういいつつ嬉しそうな足取りで、近寄った。そうして一緒に顔を上げた。迅助が空を指さしながら、息子に対して何事か言っていた。さしずめ星座を教えているってとこか。二人が並んだ姿は仲のいい親子の姿に見えた。