幕間
とある旅館の一室にて。
「王様の命令です! 三番のやつがおとなしくブリッジをしろ!」
「イエーイ! ブリッジだあ! 三番は誰だ!」
すでに酔が回った夢子と朋代が大はしゃぎで叫んだ。まだシラフだった俺と武美は「ははは」という乾いた笑みを浮かべていた。そして手元のトランプを見ると、三番は俺だった。
「しゃあねえな。すりゃいいんだろすりゃ」
「やれー。やれー」
体育以来だよ。まったく。さっさと終わらせるか。中学生の頃の動きを思い出して、仰向けになって両手足をつけたまま、腰をおもいっきり突き上げた。
『グキッ』
あまり聞こえちゃいけない種類の音が鳴った気がした。その瞬間、腰に激痛が走った。
「グワッ!!!!」
慌てて腰を落とした。痛みが消えないので思わずのたうち回った。
「あはは! やるな!」
「中いいよ! いいよ!」
「ふふ。おもしろい」
こちらの苦しみなど全く理解だにせず、女どもは笑いながら俺を見下ろしてた。くそ。コイツらめ。目にものを見せてやる。
ホスト役の夢子がパッパッパッと滑らかな手付きでカードを切っていった。終わったらすかさず参加者は各々一枚ずつトランプを引いていった。
「それじゃ、」
と夢子が言い、
「「王様だ~れだ?」」
周りのメンツも続いた。
「クックックッ」
俺はすぐに殺される雑魚キャラのような笑い声をあげ、周りにジョーカーのカードを見せた。
「うげ!」
「うわあ」
「あーあ」
三者三様残念な声を上げた。天は我に味方せりだ。先程の恨みをどうやって晴らしてしんぜよう。
「じゃあ、一番のカードのやつが!」
そしてぐるりと一周した。復讐の火蓋を切ろうとするも……やばい。何も思いつかねえ。ポクポクと考えていると、
「おいおい兄ちゃん。早くしねえと夜が明けちまうぞ」
ホストが定番の煽り文句を言ってきた。ええと。ええと。どうする。焦って考え、
「……最近あった恥ずかしいことを話す」
一瞬沈黙が走った。
「お、おう」
「う、うん」
「ふ、ふーん」
三者三様拍子抜けした声を上げた。俺自身なんてソフトな罰ゲームなんだと内心突っ込んでいた。
「おっし。一番誰だ誰だ? とっておきの話頼むぜ」
盛り上げ役は気を取り直して聞き始めた。武美はちょこんと手を上げて、
「私だよ」
ハートのエースを俺たちに見せた。
「よ、来た。さあ、どうぞ!」
パチパチと手をたたき、周囲も合わせて拍手した。
「えっとね」
言葉を探すように視線を中に浮かせていた。俺らはダラッとした姿勢で話し手に目を向けていた。当たり障りないことを言うんだろうなと思っていたら、
「この前ね。彼氏に振られちゃった。てへ」
瞬間、女子二人は前のめりになった。瞳には今日一番の輝きが宿っていた。
「いつ?」
「どこで?」
「誰と?」
「どうして?」
出来る限り5W1Hに沿った質問を次々と朋代にぶつけていった。もう彼女たちは王様ゲームのことなんてどうでもいいようで。
「うーんと。一週間前に新宿で。彼と二人で通りを歩いていたら、ハデな女の人とすれ違ったんだけど、彼の方が『あっ』って言ってね。女の人も彼のことを見て驚いた顔をしたんだ。てっきり高校の同級生とかかなと思ったんだけど、ふたりとも軽く会釈しただけで、でも顔には偶然会えてよかったっていう怪しい笑みを浮かべててね」
ほう。
「それは」
「なかなか」
各々の感想を漏らすと、
「におうよね」
武美が後を引き取った。
「私もそう思ってファミレスで聞いてみたんだ。さっきのあの人って誰? 知り合いって? そしたら浮気相手だって白状した」
あちゃあ。
「そいつは」
「イケナイね」
それぐらいしか俺らは言いようがなかった。武美は淡々とした表情で、
「まさかとやっぱり、ていう気持ち半々だったかな。彼って遊びたそうな雰囲気があったし」
聞き手役の俺ら三人は完全に沈黙。茶化すにも茶化しにくい内容であった。ぎこちない間が十五秒ほど続いた後に、
「よっしゃ。武美の慰め会のスタートだ! 飲むぞ!」
「イエーイ! 飲むよ!」
夢子が武美のグラスにとくとくと続き始めた。
「カンパーイ」
朋代が音頭を取り、
「「カンパーイ」」
他の三人が続いた。
「あはは。ありがとう」
そう言って武美はグラスに口をつけた。そういや良くこの二人についていけるな。俺も付き合いで一緒に飲み始めた。
スゥと夢子が俺のそばに近寄って、
「今度こそ逃がすなよ」
耳元でボソッと言った。心の底を見られたような気分でヒンヤリしたが、
「はて? なんのこと?」
なんとかとぼけることはできた。
ぐぉー。がぁー。散々騒いだ女子二人はあっさりと寝入ってしまった。俺と武美はタイミングを失って、しょぼしょぼとグラスに口をつけていた。
「大変だったな。振られるなんて」
「終わってみればそんなでもないかな。一緒にいて疲れることも実は多かったし。悪い縁が消えてホッとしたし」
そう言って笑顔を見せたものの、若干かげりは合った。
「とは言っても寂しいところもやっぱりあるかな。ぽっかりと身体の中に穴が開いた感覚があるや」
「そっか」
しばしば、沈黙した後に武美は誰に聞かせるまでもなく、一篇の詩を暗唱した。
千山鳥飛絶
万径人蹤滅
孤舟蓑笠翁
独釣寒江雪
コイツの口から普段あまり耳にしない音が聞こえた。
「……ひょっとして中国語か?」
「あったり。チャイ語だよ」
二外がドイツ語の俺には道理で馴染みがないわけだ。
「江雪っていう漢詩だよ。ちなみに日本語で言うとね」
千山鳥飛ぶこと絶え
万径人蹤滅す
孤舟蓑笠の翁
独り釣る寒江の雪
今の語り手の気持ちを表してるからか、詩の内容そのものからかどこか寂しげな音色に聞こえた。
「まあ、雪の中でひとり釣りをしてるお爺ちゃんの話なんだけどね」
「相変わらず良くそんな詩を知ってるな」
俺なんて本すら全然読まねえのに。
「なんか覚えたくなっちゃうんだよね」
そういった後、
「結局、どんなに恋をして一緒になったって、こんな感じじゃないかな? ひとり雪の中でポツンといるような」
スカしたこと言ってんなと思いつつも、興味深く思ってた。大したことない男に振られた事よりも以前から諦観が在るように見受けられた。それはどこか子どもじみて、どこか大人びた感性に俺には見えた。