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三章 信仰

 写真で見た通りニューヨークはバカでかいビルで溢れかえっていた。交通量も半端なく、街中に観光客が行き交っていた。看板はアルファベットだらけで、異国情緒が溢れていた。

 ここカフェテリアでも早口の英語が耳に入り、THE・アメリカという雰囲気に飲まれていた。メニューに書かれている単語を脳内で翻訳するだけで精一杯だった。向かいに座った栗色の髪のの女性が柔和な笑みを浮かべて、そんな俺を眺めていた。

「いやあ、朋代はすごいところで暮らしてるんだな。気疲れしそうだ」

 連れは面白そうに軽く笑った後、

「あたしが東京に来たときも、よくあんなたころで生活できるなっておもったよ。中も長くいたら慣れるよ」

 アメリカに来て浮足立っている俺と対照的に、朋代は落ち着いてアイスコーヒーを飲んでいた。

「こっちに来てどれくらいになる?」

「去年の春に大学院に通うために来て、ちょうど一年くらいかな。ふふ、そういえばその頃はあたしもあたふたしてたな」

 昔を懐かしむ様な表情をしていた。

「へえ。院でなに勉強してんだ?」

「人文科学だよ。アメリカ文化やユダヤ人の歴史、あとは現代美術とかも勉強してるよ」

 お、おう。なんか久しぶりに聞くような単語ばかりだな。

「あ。いい年して遊びみたいなことできるな、って思ったでしょ」

 今度はイタズラめいた顔をして問いかけた。

「い、いや。べつに」

「ふふ。いいよいいよ。あたしもよく思ってるし。中なんか偉いよね、ちゃんと働き続けて。しかも結婚までしてるんでしょ? 素直にすごいなって思う」

「そう言われと照れるな。こっちは普通の人生を送ってるだけだし」

 あまり気負ってないことを褒められると恥ずかしくなるな。

「最近思うのは普通の人生を送るってどれだけ大変で、どれだけすごいことなんだって。中は心の中で自慢していいと思うよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」

 分かったような分からないような。俺の戸惑いを見てか、

「まあまあ。真っ昼間から難しいことを考えるとヘコんじゃうよね。せっかくニューヨークに来たんだからパッと遊ぼうよ」

「たしかに。朋代の言うとおりだな」

 わざわざアメリカまで来たんだ。見ていかなきゃ損だな。

「そうそう。言ってくれたら案内するよ」

「助かる。っで、ニューヨークってどういうところが観光地なんだ?」

「えっ。そこから?」

 こいつは何を言ってるんだ? という表情を若干しつつも、

「うーん。いろいろ。……じゃあ、あたしのおまかせコースでいいかな?」

「おお。まじ助かるわ。それで頼む」

 朋代は苦笑いしつつ、

「わかった。任された」

 胸を軽くトンと叩いた。こうして俺の有給旅行第二弾がスタートした。



 高層ビルが並んでいるこの街でセント・パトリック大聖堂はひときわ目立っていた。巨大な構造、石造りの外壁に、荘厳なステンドグラ、という俺が思う教会そのものの形をしていた。入り口に近づくと体温が二℃ほど下がった気がした。

「こんなのニューヨークにあるんだ」

「そうそう。みんながよく行く観光スポットだよ」

 中は観光客だけじゃなく、お祈りをしている人たちも見られた。俺の視線に気づいたか、

「ここはお祈りとかでも使われるんだ。あたしも日曜の礼拝をここでしてるんだ」

 そう言えば朋代もクリスチャンだっけ。五人で遊びに行ったときも遅れたり外れたりしてたな。

 俺たちは一番奥まったところへ歩いていった。そこは教会の中で一番静粛な雰囲気に包まれていた。信仰ということをあまり意識しない俺ですら、ここは他と違うということを肌で感じた。

 友人は目をつむり軽く首を下に下げた。俺も右にならって瞳を閉じて少しうつむいた。感覚的にはニ三秒ほどしか経たなかった。あるいはそれよりも短いかもしれない。特に誰かに祈るということを意識はしなかったが、身体中が落ち着いている感覚があった。

 朋代は俺よりも長めに黙祷しており、横を向いてもそのままの姿勢のままだった。数秒後に目を開けて、

「ニューヨークは広いよ。どんどん次に行こうか」

「ああ」

 俺はコクっとうなずいた。二人して出口の方へ歩いてった。

 死について考えたとき、天国か地獄に行くのではとオーソドックスに想像した。死後の世界の話で定番中の定番だからごく自然に頭に浮かんだ。

 そしてすぐにこの考えを捨てるに至った。科学という名の宗教にどっぷり浸っていた俺は、死後の世界というのにどうしても馴染むことができなかった。そういうのがあるということを思い込もうとしても、どうしても嘘くさく感じてしまった。

 ふと、袖をつかまれて身体を右側の方に引っ張られた。われに変えると目の前に柱がデンと構えていた。

「まったくもう。あぶないよ」

 困った子を見るような目をして微笑んでいた。

「なにか考え事?」

 なんでも聞いてあげるよという、おおらかな雰囲気を出していた。

「いや。朋代を羨ましいなって思って」

「へえ。それはまたどうして?」

「いや。何かしら死後の世界が決まっててさ。なんかそういうのが」

 友人は眉をひそめた。やべ。怒らせちまったかな。アメリカだから忘れたが、日本人だと政治と宗教と野球の話はタブーだったな。

「いや。悪い」

 下手に言い訳せずに謝罪した。朋代は慌てて、

「うんうん。特に気にしてないよ。ただビックリしただけ。そんなこと言われたことなかったから」

 手のひらを顔の前でブンブン振った。

「それに。そう単純なものでもないし」

「単純なものでもない?」

「うんうん。なんでもない」

 そういって軽く左右に首を振った。

「宗教の話はこれでオシマイ。ニューヨーク巡りに戻るよ」

 と言ってニッと笑った。俺もわざわざ外国で友人と険悪になる気もなかったので、特に深追いはしなかった。

 気づいたら俺らは外へ出て、ぶらぶら歩いていた。今日はいい感じに晴れていて、絶好の観光日和だった。

「で、次はどこに行くんだ?」

「ふふ。ニューヨークといえばココという場所だよ。楽しみにしておいで」

 ほう。そんなに言うなら期待してしんぜよう。



 少し移動したところにやってきた。高い建築物が並んでいることに変わりはないが、こちらの方は年季の入った色合いを醸し出していた。配色も落ち着いているところから、どこか高級感が出ていた。

「ようこそ。ここはニューヨーク五番街よ」

 聞いたことのあるフレーズだ。

「ニューヨークの中心地で、よくテレビに写ったり、歌のモチーフになったりするよ。ブルックスブラザーズとかコーチ、ラルフローレンの本店があるんだ」

 よく耳にするブランド名ばかりだった。それでか。言われてみるとこの景色は何らかの絵として見たことある気がした。

「そして特に有名なのが、」

 といって、てくてくとあるき出したので、俺もついていった。すれ違う人たちはアジア系、中東系、アフリカ系と様々であり、聞こえる言葉も韓国語、アラビア語、聞いたことのない言語とこれまた様々だった。名実ともに国際都市の貫禄を見せていた。

「ついた。ここよ」

 歴史のある街並みの中でも、特に風格を感じる建物の前に来た。そちらには多くの人々が出入りしていた。扉には時計を背負ったブロンズ像が構えていた。ええとロゴに書いてある文字は、T・i・f・f・a・n・y?

「そう。ティファニーの本店なのよ、ここ」

 へえ。そうなんだ。そういや俺も婚約指輪はティファニーだったな。こういうものは無難が一番と決めたっけ。

「オードリー・ヘップバーンが主役を演じた『ティファニーで朝食を』って知ってるでしょ? 撮影されたのはここなんだ」

 なるほど。文化的にも泊がついた場所って訳だ。

「そりゃ確かに観光客が多いわけだ」

 さくっと見回して次のところへ回ろうと歩を進めようとしたら、いきなり首根っこをつかまれた。

「中くん? 一体どこに行こうとしてるのかナ?」

 口はニコーっとしていたが、目は全くといっていいほど笑っていなかった。これ結構怖い表情だな?

「えっと。どうして?」

「ティファニーだよ? 本店だよ? オードリーヘップバーンだよ? やるべきことがあるんじゃないのかナ?」

 さてなんで私は不機嫌なのでしょう、という最高にハードなクエスチョンが飛んで来た。これは外したらメチャクチャ怒られるやつだ。伊達に新婚生活を送ってきた俺じゃない。

 うーんうーんと知恵を絞れるだけ絞って、ピコっと頭の上で電球が光った。

「ああ! 朝飯を食べるってことか!」

 バチーンと思いっきり頭を叩かれた。何もそこまでしなくてもいいのにって思うくらいに叩かれた。

「おみやげよ。お・み・や・げ! 武美に買ってあげなさいよ」

 ああ。そういうことか。

「武美ってそんなアクセサリー興味ないって言ってたしいいんじゃないかな?」

 憐れむような表情で俺を見下ろし、

「あのね。女の子はね、みんな心の中にお姫様がいるんだよ。大切にされたいんだよ。宝石とかをプレゼントされると嬉しいんだよ。シンデレラも白雪姫もそんなシーンばっかでしょ? オーライ?」

 流暢な英語で尋ねられた。

「は、はあ。いえす」

 朋代はじれったそうに唸った後、

「もう。ほら。とにかく行くよ。観光にもなるから!」

 強引に手を引っ張られて店の中に入っていった。内部も変わらずに観光客っぽい人たちで溢れていたが、同時にシュンとした静粛さも秘めていた。

 ああ。そう言えば武美の婚約指輪を買いに行ったときもこんな感覚だったっけ。あのときは溢れ出る高級感と目の前にあるアクセサリーに圧倒されて、借りてきた猫のような気分になっていたな。

 二回目になると周囲を見渡す余裕ができた。試しに入り口そばのネックレスを見ると、

「……値段書いてないけど?」

「うん。ココはそういうところだよ。あといくらあたしでもそのネックレスは勧めないから安心して」

 朋代は中心部の方へと慣れた足取りで向かった。俺は友人にトコトコとついていった。着いたエリアは抑えめのデザインのアクセサリーが並べられていた。このあたりだったら俺でも買えそうな値段だ。

「(なにかお探しですか?)」

「えっ。あっ。その」

 突然英語で店員に話しかけられてビックリした。なんとか聞き取れたものの、慣れていないためおっかなびっくりしてしまった。助けを求めて朋代の方を見たものの、薄情にもいつの間にか俺から距離を置いていた。口元にはニヤニヤした笑みを浮かべてるから、絶対にわざとだ。

「(えっと。妻のプレゼントを探しているのですか)」

「(良いですね。どのようなものをお探しですか)」

「(あの。落ち着いた形のものを)」

「(わかりました。予算はどれくらいでしょうか?)」

「(うう。二~三万ドルくらいで……)」

 大学生ぶりに使う英語でたどたどしく答えていった。思ったよりもコミュニケーションが取れているみたいで内心驚いていた。なんだかんだ十年も勉強しているとなんとかなるもんだな。

「(では、こちらなんかはいかがでしょうか?)」

 差し出されたのは一個のネックレスだった。付いている形はなんだ?

「(『インフィニティ』になります。こちらは無限の形をしており、永遠の絆・エネルギー・生命を象徴しております。シンプルなデザインなので、使いやすいと思われます)』

 永遠ねえ。人間にそんなものがあるとは思えねえが。ただ灰になって消えるのが落ちだろ。いつか死ぬ俺らにそんなものを祈ってなんになるんだと思わねえでもないな。

 無粋にシニカルにケチつけようと思えばいくらでもできる。それでも店員の方が見せてくれたブレスレットに対して惹かれるものがあった。アイツがつけている絵があっさりとイメージすることができた。

「(それじゃ、これください)」

 店員さんは袋に注文した商品を詰め込んでいた。

「いい買い物をしたね」

 連れはいつの間にか俺のそばにしれっとした顔で立っていた。

「朋代ちゃん。ひどいぜよ。俺を助けてくれよ」

 泣き言をつぶやいても、『ふふ』といつものように笑い、

「外国語で一生懸命コミュニケーション取るのも、海外旅行の楽しみだよ。中すごかったね。久しぶりの英語なのに全然普通に話せてたよ」

「そ、そうか。俺しゃべれてたか」

 現金なものでストレートに褒められると調子に乗り、最初の憤りを忘れてしまった。我ながら扱いやすいというか。まいっか。

「(おまたせしました。商品はこちらになります)」

 渡されたのは白いリボンに包まれた空色の小さな箱だった。この箱を見ると妙にワクワクとした気分にさせられた。婚約指輪をティファニーの方から渡されたときに同じ気持ちになったっけ。

「サンキュー」

 朋代はドヤ顔しつつ、

「どう? 買ってよかったでしょ」

 なんかエラソーだなと思わなくもないが、

「そうだな。礼を言う」

「ユアウェルカム」

 当初の目的は達成できていないが、ひとまず日本に帰る楽しみができた。冗談めかして言ってみるか。俺らの永遠をかってきたぜって。って、冷たい目でまた見られるだけか。それはそれで日常に戻ったみたいでいいかもな。



 ボロロンボロロンというウッドベースの音が響き渡っていた。室内は薄暗く抑えられており、強めの酒の香りが漂っていた。客は周りに聞こえないようにヒソヒソと話していた。目の前のバーテンダーは流麗な動きてシェイカーを振っていた。

「ニューヨークのバーでお酒を飲むってのも乙なものでしょ?」

「ああ。雰囲気だけでも酔えるな」

 俺たちはバンドが演奏している正統派なバーに来た。席は結構埋まっていて、小さな声で歓談していた。マスターは俺と友人の前に二つのカクテルを置いた。俺のはモヒート、友人のはギムレット。

「おいおい。ギムレットには早すぎるんじゃねえか?」

 調子に乗って軽口を言うと、

「そのセリフ、何回も聞かされて飽きちゃった」

 冷たい目でテキトーにいなされた。それでもニコっと笑い、

「とにかく。ようこそアメリカへ」

 お互いに軽くグラスを傾けた。口の中にはひんやりとしたミントとアルコールが染み渡った。

「いやあ、アメリカに来るものだ」

「調子いいこと言っちゃって」

 友人も軽くカクテルを口につけた。大学時代の女子陣たちは強い酒が意外と好きだよな。

「ふふ。朋あり遠方より来たる。また楽しからずやだね。来てくれて楽しかったよ」

 軽く頭を下げた。

「こちらこそ。一人で巡るより張り合いのある旅だったよ」

 俺は手に持っているブルーの紙袋を見て、

「永遠の愛を買えたしな」

 といってまた寒いことを言った。いつもの冷たい目が来るのを待っていると、朋代は眉間にしわを寄せて黙っていた。ヤバい。面白くなかったか。

「あ、いや」

「永遠なんて。そんなものあるのかな」

「は?」

 友人はカクテルグラスを無造作に揺らして液体を眺めていた。

「知ってる? アメリカだと葬式を盛大に祝う文化なんだ」

 何を言おうとしているのか見当もつかなかったが、

「へえ」

 と相づちを打った。

「みんな亡くなっても、誰もが神様の元でまた会えるってね」

「ああ。世界史の授業で習った覚えがある」

 でもね。ちょっとカクテルを口にして、

「中は神様を感じたことがある? 神様の存在を見たことある?」

「……。いや、ないが」

 言葉を濁させない迫力が朋代から出ていた。

「そうだよね。あたしもない」

「キリスト教徒がそういうことを口にしていいのだろうか」

「さあ。どうだろう。あんまりよくないんじゃない」

 また酒を一口。友人の頬はほんのりとした赤みを帯びてきた。

「なぜあたしたちは他の生き物を殺して食べないと生きていけないのか? なぜあたしたちは同じ仲間である人間を殺し合わなければいけないのか? なぜあたしたちは死ななければならないのか? たとえこれが神様の試練だとしても、ひどいと思わない? ちっとも全知全能じゃないよ」

 絞り出すように吐き出すように言葉を紡いでいた。

「さっきの言い方だと中は神様を信じていないよね?」

 念を押すように尋ねてきた。

「……。ああ、ない」

「ひとまとめするのも良くないけど、日本人って信仰を持ってないような気がしない?」

「そうだな」

 高校生の頃に、

『海外では決して神を信じていないと口にするな』

 とよく言われていたっけ。裏を返すと信じていない日本人は少なくないってことなんだろうな。

「あたしも日本人の一人なんだなって思う。神様を信じなきゃ信じなきゃと思っても、どうしても神様なんているわけないって思っちゃうんだ」

 朋代はカクテルを口に運ぼうとし、グラスが空であることに気づいた。マスターにカティサークのストレートを注文した。俺もついでにロンドンヒルをトニックで注文した。

 隣の友人は物思いにふけっていた。少し疲れたのかもな。そういや俺も身体がポーとしていた。信仰について友人と話すなんて初めてだから、エネルギーを使ったようだ。

 マスターからウィスキーをもらうと、グッと口の中に流し込んだ。おいおい、いくら俺でもそんな飲み方はしねえぞ。

「それがお昼の質問の答え。死後の世界なんて、あたしも決まってるわけじゃない。信じたいのに信じられないっていうのも、これはこれで辛いんだ」

 俺に気遣ってか、いつもの柔和な笑みを浮かべつつ絞り出した。だいぶ深く飲んだためか、ろれつも怪しげになってきた。そして世の酔っぱらいと同じように酔っているのに、いや酔っているからこそコンスタントにアルコールを運んでいた。

「とはいえ、こんなあたしでも神様みたいなものを近くに感じられるときがあるんだ。二日酔いを覚ますためにセントラルパークを歩いていると、若葉が萌えた木々、歌うような鳴き声の小鳥、スカッとするほどの青い空。どれもこれもが気持ちよくて、大げさだけど在るだけで奇跡なんじゃないかと思うんだ。そういうときは神様のことを信じちゃうかな。自分は生かされてるんだって」

 その感覚こそが信仰を持っている人たちが抱くイメージだった。その時の朋代は俺からはよくイメージするキリスト教徒に見えた。

「言葉は悪いけどなんか気まぐれなんだな」

「そうそう。気まぐれな信仰。信じるときもあれば信じないときもある。あたしはどちらかというと不良気味なキリスト教徒だよ」

 そう朋代は嘯いていた。

「やっぱり俺は羨ましいな」

「うん?」

「ときには神を感じられるってことだからな。俺は一度もない。常にこの世ぽっきりだけだし、常にこの世は無味乾燥だ。来世なんて想像すらできないし、この街だって偶然の産物でしかない。誰かが『神は死んだ』と言ったが、神を殺した奴らを恨むよ」

「そう」

 俺はロンドンヒルをグッとかき込んだ。ジンの熱さが身体中に駆け巡っていった。スマートな飲みっぷりじゃないな。これじゃ、人のことを言えないな。

「それは今まで神様はいるかどうかとかを考えなかったからだよ」

「考える?」

「そう。あたしは日曜日に教会に行くたびに、問いかけられる気がしたんだ。貴様は神についてどう思うのか、ってね。頭の隅にはいつも神様の存在について気にしていたんだよ。だからメッセージを受け取ることができたんだよ」

「はあ。メッセージ」

「そう。メッセージ。ほら。ユーミンがなんかで歌ってたでしょ。『目に映るすべてのものがメッセージ』って。意識して見ると時々そういうことがあるんだよ!」

 さっきまで『神を信じられない』と言ったのを想像できないほど、力説していた。

「そんなものなのか?」

「そんなものなの。じゃあ、神様が身近になる取って置きの方法を教えてしんぜよう」

 朋代は今日見た中で一番の笑顔を向けて口にした。

「……なんだ?」

 さっき大ヒントをいってたような気がする。果てしなく嫌な予感を抱きつつも問い返した。

「それはね、二日酔いをするほどお酒を飲むことだよ! ということで。マスター、バランタインのストレートを二つちょだい」

「(かしこまりました)」

 おいおい。ちょっと待てよ。

「だいじょうぶ。中はちゃんとあたしが送ってあげるよ。気にしないで☆」

 しかも俺が酔いつぶれるのかよ。こんなアメリカに来てまで。

「(どうぞ)」

 律儀に俺と朋代の分のスコッチ・ウイスキーが運ばれた。連れは早速手に取り、美味しそうに口に運んだ。

「ほら中も飲もうよ。すごくおいしいよ」

 ったく。ホント、コイツは楽しそうに酔うような。呆れ気分半分、まあたまにはいいか気分半分。俺も目の前のショットグラスを口にした。うん。確かにうまいな。そんな俺の表情を見て取ったのか、

「でしょ? おいしいでしょ。さあ、どんどん飲むわよ。ニューヨークの夜は長いわよ」

 さらにハイになって、朋代は騒いでいた。

「おっしゃ! とことん付き合うぜ!」

 気づいたら俺もハイになっていた。これは絶対に明日後悔するやつだ。ヘベレケになってしまうやつだ。理性の部分ではかろうじて認識していたが、こうなってはもう止められなかった。

 まあ、お互い胸の内につかえがあるだろう。酒で洗い流して今後のエネルギーにするのも悪くはあるまい。若干言い訳めいてはいるが、自分に納得させてウイスキーを口に運んでいた。



 後悔先に立たず。昔の人はよく言ったものだ。過ぎ去ってこそ、自分の過ちに気づくことができる。なぜこんなことを思うのかというと、

「うぅ……。キモチワルイ」

 絶賛二日酔いになった。頭はズキズキし、目がボーっとする。おなじみの症状がはっきり出ていた。

「ああ。これは来るねえ……」

 朋代も頭を抱えてフラフラとしていた。

「ホント、俺ら何やってんだろうな」

「ちょっとあたしも思う……」

 俺らはニューヨークのセントラルパークのベンチに座っていた。敷地内ではハトがクックルーと鳴き、老若男女がランニングをして、チビっ子どもがキャキャとボールを追いかけていた。グロッキーな俺からすると随分と眩しい光景が広がっていた。

「とりあえず……。はい……」

 友人からミネラルウォーターを渡された。

「サンキュー……」

 素直に礼を言ってごくごくと飲んだ。水は身体中に染み渡る感覚あった。

「ふう……」

 少しは気が楽になった。ついでに芝生の上で寝転んだ。チクチクとした感触が若干気になったが、全体的にまるでベッドみたいにふんわりとしていた。

 確か神を感じるとか感じないとかを朋代と話してこんなことになったんだっけ。特に何もないけどな。アイツの飲む口実だったんじゃないか。

 そんな俺の上を小鳥たちが飛んでった。チュンチュンと歌い、俺の耳を楽しませた。そよ風がひんやりと俺の頬をなでた。空には小さな雲がふわふわと漂い、真ん中に飛行機雲が一本引かれていた。

 こうしてみると不思議なものだ。それぞれがただ在るだけなのに、人間に心地よい空間ができている。そもそもなぜ雲なんてあるのだろう。カナリアは歌うのだろう。人間が生まれたのと同じように、彼らがなぜ生まれたのか不思議だった。

 以前なにかの本で読んだことがある。現在、観測される星々は生物が住む環境には適さず、地球そのものも絶妙なバランスのもので動いているらしい。そう考えるとそもそも人は誰でも生まれた事自体が奇跡というのも、あながち間違ってないのかもな。

 これだけの秩序を作った自然をそのものが神なのかもしれない。いや、もしかしたら本当に神がいるのかもしれないな。そのことに考えが言った時、

「なあ。朋代」

 俺は隣に座っている友人に声をかけた。

「うん? なに?」

「確かに二日酔いだと神が近くにいるような気がするな」

 最初にキョトンとした顔になり、昨日の会話を思い出したのか「あっ」という顔になり、最後にニヤリとした顔になった。

「でしょ!」

 横目で見つつ俺は思った。これからも具体的な信仰を持つことはないだろうが、この不可思議な感覚は悪くはないと思った。

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