幕間
少し懐かしい夢を見た。俺らが大学生だった頃の夢だ。ちょうど俺は授業のコマが空いたため、キャンパス内をぶらぶらしていた。涼しい風が吹く初夏の頃で、校内は鮮やかな若葉が萌えていた。
武美はちょっとした広場で本を読んでいた。黒く長い髪と合わさって、優等生的な雰囲気を醸し出していた。俺が近くに寄るとにこやかに手を振った。
「休み時間にわざわざ本を読むなんて勉強家だな」
「でしょ。『文学少女』って感じでしょ」
俺の茶化しを気にした風もなく、木漏れ日のような笑顔を振りまいた。
「何を読んでるんだ?」
たぶん聞いてもわからないが社交辞令で尋ねた。
「じゃーん。これ」
そう言って手に持っているくすんだグレーの表紙を見せてくれた。そこには井伏鱒二の『厄除け詩集』と書かれていた。マジで文学少女っぽいな。
「へ、へえ。難しそうなの好きなんだな」
コメントを言うだけの理解が全然なかったので、機械的なセリフを口にしたが、
「そんなことないよ。普通におもしろいよ」
武美は変わらずに笑みを見せた。
「井伏鱒二が中国の詩を訳しているんだけど、本当にいいんだ。特にこれとか」
明らかに興味がなさそうな俺に対しても、嬉しそうに話していた。本当に好きなんだ。せっかくなので覗き込んだ。
勧酒
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
古風な字面の詩が目に飛んできた。
「よくこんな本を見つけたな」
「私ね、漢詩が好きなんだ。この詩って有名だから、せっかくだから読んでみようと思って」
漢詩って。
「また渋い趣味してるな」
俺の周囲にはまずいないだろうな。
「高校時代に白楽天の『長恨歌』を強制的に暗唱させられてね。もうホント地獄だったよ。できない子たちは国語の準備室に並ばされだたなあ」
でも、と。
「そのおかげで妙に好きになっちゃったんだ。不思議なものだね」
―キーンコーンカーンコーン
敷地内にチャイムの音が鳴り響いた。そして武美はちらっとキャンパスの時計を見て、
「そろそろバイトだ。じゃあね中君」
すっと立ち上がり、玄関の方に立ち去っていった。変な女だな。そのときの俺の印象はちょいと失礼だった。自分とは異なる価値観を持っているソイツを異星人のように見ていた。にしても、
『さよならだけが人生』か。
彼女のことと、彼女が読んでいた詩は妙に印象に残っていた。