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単発短編

風の吹きぬけた先に……

作者: 茅野 遼

お時間潰しにどうぞ、ご覧下さいませ。

 空が、何処までも青く澄んでいる。 風は冷たく、身体へぶつかり二手に別れ、身体を抜けたその先で、また一筋の空気の塊と成り、吹き抜けて行く。

 コートの前を掻き合わせて、自分よりも大きな、人という動物が、すっかり葉の落ちてしまった街路樹の脇の歩道を、急ぎ足で過ぎて行く。


 その様子を、古い雑居ビルの外、非常階段の陰に隠れてじっと動かないままで、彼女は見ていた。

 同じ様に急ぎ足で通り過ぎていく人影は、決して多くは無いけれど、彼女はたった一人の青年がやってくるのを、今日も待っている。


 彼は、何時も食べ物を持って来てくれる。 アパート住まいで、ペットを飼えないんだと、何時か言っていた。 そして彼女のことを褒めてくれた。

「お前は、野良なのに何時も綺麗にしているんだな。 お前の青い目を見ていると、気持ちが落ち着くよ。こんなに器量良しなんだから、誰かが連れ帰ってくれても良さそうなんだけどな」

しゃがみ込んで、彼女の食事風景を、のんびりと観察しながら、そう言ってくれた。


 青年は、彼女のことを「しろ」と呼んだ。 耳から四肢、少しだけ先端の曲がった長い鍵尻尾の先まで、彼女の身体は真っ白だった。 彼女は食事を終ると、青年のしゃがんだ膝先に、身体を摺り寄せ、鼻先をこすり付ける。 

 そうされると彼は、彼女の耳の間や首筋を、優しく撫でてくれた。



 ある雪の日、彼は何時も通り彼女の元へ訪れた。 彼女に傘を差しかけてくれた。

「こんな雪の降っている日まで、おれの事、待っててくれたのか」 そう言って、彼は彼女を抱き上げた。

「ここじゃ、寒すぎるよ。 ……一緒に、行こうな?」 彼は少しだけ躊躇って、それから彼女を、自分のコートの中に入れて、歩き出した。


 せめて、この雪が消えるまで、何とかして自分の部屋の中へ、彼女を置いておく方法を、考えながら歩く。 今日の雪は、中々、止みそうもない。 朝までに、十センチは積雪するだろうと、天気予報では言っていた。



 青年は、大人しく自分の懐に蹲っているしろを、誰にも見付けられないように抱え込み、片手でコートのポケットに入った部屋の鍵を探り、そっと自分の部屋の鍵を開け、少しだけ周りを気にしてから、急いで玄関扉の中へと、滑り込むようにして入った。


 部屋に入ると、青年は初めに、懐の中に居る彼女の身体を乾いたタオルで拭いてくれた。 エアコンのスイッチを入れ、彼女を拭き終わってから漸く、自分のコートを脱いで、ハンガーへ掛ける。 冷蔵庫から冷たいミルクを出して、鍋に移して、本の少しだけ暖めた。

 平たい小振りの皿へ温めたミルクを半分注ぎ、残りの半分は自分のマグカップへと注ぐ。

 彼女は少しはなれたところで、小首を傾げている。

「飲んで良いんだよ? ほら」 

 そう言って、彼女の鼻先へ、ミルクの入った皿を置いた。

 おずおずと、彼女がミルクに口をつけるのを嬉しげに眺め、あ、と小さな声を上げる。

「キャットフード、他の皿に入れてやるよ」

 立ち上がり、食器棚代わりに使用しているカラーボックスの中から、別の皿を取り出して、何時ものキャットフードを、ザラザラと音を立てて、もう一つの皿へ入れてくれた。



 彼女は、少し落ち着かない。 部屋の中はエアコンのお陰で随分と暖かくなってきたけれど、自分をこの暖かい場所へ連れてきてくれた青年は、扉を隔てた先へ姿を隠してしまい、さっきから、水音がしている。

「ちょっと、風呂へ入ってくるから、大人しくしていろよ?」

そんな言葉を残して、行ってしまったのだ。


 彼女はキョロキョロと、部屋の中を見回してから、色々な場所を確認して周った。 どうやら中に青年が居るらしい扉を見つけて、小さくカリカリと、爪を立てて音を出す。

「しろ?」 と言う声がして、扉が少しだけ開いた。 中から白い湯気が漏れ出してくる。

「お前も入りたいのか? ……そんな訳、無いよな。 猫は水に濡れるの、嫌いな筈だから」

 少し可笑しげにそう言って、湯船の中から、彼女の様子を観察している。


 彼女は風呂場のタイルに、そっと前足を下ろした。 水に濡れるのは、やはり好きではない。 一歩踏み出して、直ぐにタイルから足を浮かせて、プルプルプルっと足についた水を払い落とす。 もう一歩、同じ動作をして、少しずつ、風呂場の中へ進んで行く。

 青年は面白そうな顔をして、しろに手を伸ばす。 素直にその手に捕まって、彼女はバタバタと、もがいて、後ろ足がお湯に浸かって慌てて足を縮めた。 

 青年は笑いながら、彼女を洗い場へ降ろしてあげた。



 風呂から上がり、部屋へ戻った青年は、部屋の隅々までウロウロしているしろの姿を見た。

 カリカリ、と微かな音を立てて、部屋の隅や、家具の影や、何かを探している様子だ。その落ち着かない行動を見て、青年は気付いた。


「トイレ、かな?」 そう言いながら、ベランダへの戸を開けて見た。


 狭いベランダには、以前、この部屋を借りていたらしい人物の、ガーデニングの跡がほったらかしにしてあった。 冷たいベランダへ、そっと足を踏み出した彼女は、今は土しか入っていない、プランターを見つけた。  

 邪魔だと思っていながら、面倒臭くてそのままにしてあったプランターだ。こんな事で役に立つとは、青年も思いもよらなかった。

 

 彼女はチラリと青年を振り向いてから、そっとプランターの端に前足を掛けた。

 プランターの中に土を見つけたしろは、何と無く周りを気にしている様子を見せる。

「そうか、俺が居たら、トイレ出来ないのかな?」 そう呟いて、青年は、彼女の出入りできそうな分だけ戸をあけて、彼女に声を掛ける。

「終ったら、部屋の中に、入って来いよ」

 そう言って、自分は部屋の中へと戻って行った。



 その夜、青年はしろが足元で丸くなって眠っているベッドへ入り、安らかな気分で就寝した。



 翌朝、青年はどうしようかと考える。 一人暮らしのアパートで、しかもペット禁止のこの部屋で、昨夜つれてきた彼女を置き去りにして、ベランダの戸だけを少し開けておくべきなのか? それとも、今日も懐へ彼女を入れて、何時も自分を待っていた、あの雑居ビルの非常階段下へ連れて行っておこうか……?

 そうするのなら、帰りにまた彼女を連れてくれば良い。 けれど、それでは雪の積もった外の冷たい空気の中、しろは夕方まで待たなければならない。


 青年は、実家から送られてきた荷物が入っていた、確りとしたダンボール箱を見つける。 このまま、ベランダの窓を開けていくのも不安がある。 それなら、近くにこのダンボールで、雪と風を避けられる場所を作ってあげようかと考えた。

 けれど、一瞬で考えが変わる。 下手な所へしろの入った段ボール箱を置いてしまったら、捨て猫、と判断されるかも知れない……、それでどうなる?


 それでもこのまま部屋へ置き去りにしていくのも問題がある。 結局、青年は、しろを昨日のように、コートの懐へ隠す様にして、何時もの場所へと連れて行った。


「夕方、また来るからな? 待っていろよ」

 そう、小さく声を掛けて、人通りのそれほど多くない街路樹脇の歩道に面した、何時もの、雑居ビルの非常階段下へと彼女を降ろした。 段ボール箱は潰して、持って来ていた。

 彼女の佇むその下へ、敷いて置こうと考えた。 それなら、積雪の上に直接居るよりも、余程、暖かいだろう。


 風がまた、冷たい空気を運んでくる。 今は二月。 その内、直ぐに暖かくなってくれるだろう。 青年は、一日も早く、春の気配を見つけ出したい気分になった。



 夕方、青年は何時も通り彼女が居る筈の、雑居ビルの非常階段下へと急いで向かった。

 けれど、朝、確かに潰した段ボール箱の上へと、彼女を降ろした筈なのに、彼女の姿はそこには無かった。




 あの日から、一ヵ月半の時を数える。 春一番は、とうに吹き抜けて行った。 今年の春一番は、二月の終わりに、吹き過ぎた。


 青年は、彼女のことを心配しながら、時に「しろ!」と、声に出して呼びかけながら、あの日から数週間を過ごしていた。

 それでも、彼女を見つける事は出来ずに、随分と暖かくなってきた日差しに、目を細める。


 そして、あの場所で。 彼は久し振りに彼女の姿を見つける事が出来た。

 彼女の後を、子猫が二匹、追いかけるようにしてついて行く。 一匹、一番小さな子猫の首根っこを銜えて、合計四匹の猫の親子。 彼女に銜えられている一匹は、彼女の尻尾と同じ、先っぽだけが鍵尻尾になっている。 他の二匹は薄い灰色のトラ猫だ。 けれどその内の一匹は、やはり彼女の尻尾と同じ鍵尻尾。 

 彼女は注意深く辺りを見回してから、人通りと共に、車の通りも少ない道を、急ぎ足でわたって行った。

 道の向こうには、小さな公園があった。 猫の親子の引越しかも知れない。

 



 春風が吹き、過ぎ去って行く。 暖かい空気に触れた青年の頬には、微かな笑みが浮かんでいた。



                ( E N D ) 

ご一読、ありがとうございます。 もし宜しかったら、感想など残してくだされば、幸いです。

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[一言] こんにちは、はじめまして。樋山紅葉と言います。 「風の吹きぬけた先に……」の感想を書かせていただきます。 私の大好きなほのぼのストーリーで、青年としろ(彼女)の暖かな空気に和まされました!…
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