春夏秋冬水のシリアスな成果
「……さっきから、アンタ達を見てたんだけどさ……」
その謎の女性は、首をポリポリ掻きながら、ハスキーボイスでダルそうに言う。
「――全然ダメだな」
――いや、知ってるよ。春夏秋冬の泳ぎが壊滅的な事ぐらい……。でも、だからって、そこまでハッキリぶった切る事もないんじゃない?
「うう――やっぱり……」
ほら、春夏秋冬が傷ついちゃったじゃないか! 何て事を言うんだ、この女は――!
「……あ、いやいや、アンタじゃなくって――」
女性は、今にも涙のダムが決壊しそうになった春夏秋冬に向かって、慌てて横に首を振ると――俺の事を指差した。
「ダメダメだ……って言ったのは、オマエの方だよ、オマエ」
「――――は?」
多分、その時の俺の顔は、鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていたのだろう。女性は、呆れたような表情で、念を押すように言った。
「は、じゃねえよ。オマエの教え方がダメダメだって言ってんだよ、カレシさんよぉ」
「……は? 今、何つった?」
俺は、聞き捨てならない事を聞いて、思わず聞き返した。
女性は、俺の剣幕にたじろいだ様に半歩下がりながら、言葉を繰り返した。
「何つった、って……オマエの教え方がダメダメだ――って」
「違う! その後!」
「……そ、その後? ……えと――『カレシさん』……?」
そう、ソレ!
「……見えるの? ――俺がこの――」
「あははー、そんな訳ないじゃあん。違うよぉ!」
「…………」
俺の風船のように膨らんだ期待は、他ならぬ春夏秋冬によって粉砕された。
「あたしとシリウスくんは、同じ部活のお友達なだけだよ~」
「……そうなのか?」
「……あ、ああ、そう……です」
ああ、そうだとも。紛れもない事実だ。――なのに、何故こんなに胸が痛いのか……?
なぜだか知らないが、悶々とする俺を尻目に、女性はハッとしたように、俺の後ろで事の成り行きを見守っていた撫子先輩の方を向いた。
「ああ……じゃ、アンタのカレシか! すまねえ! 早とちり――」
「…………誰が、誰のカレシですって……?」
「!」
俺は、静かな撫子先輩の声と共に、背後の空気が一瞬にして極北並みに冷たくなったのを感じ、全身の肌が粟立った。
「――貴女。……ちょっと、潜水の世界記録を狙ってみないかしら? 私がお手伝いしてあげるから――」
「だーっ! 撫子先輩、落ち着いて! この人、悪気はないんだから、赦してあげて下さいッ!」
「あれ? 違うのか?」
「アンタも黙っててぇっ!」
咄嗟に、撫子先輩の前に立ち塞がって、女性を守ろうとする俺。――の顔面を鷲掴みし、ギリギリと締め上げてくる撫子先輩!
「イッ……イデデデデッ!」
撫子先輩渾身のアイアンクローを食らい、メリメリと音を立てて、俺の頭蓋骨が軋む。
――あ、死んだわコレ……。
俺は悟り――ふと気付くと、キレイな花の咲き乱れる河原の中にポツネンと立ってい――
「あ。ごめんなさい、田中くん。……あまりの事に、つい本気で――」
――か、還って来れた――!
俺は、痛みで歪む視界の中で、生きている事実に感謝するしかなかった――。
……に、しても――、
そんなに俺がカレシ扱いされた事が嫌でしたか、撫子先輩……。
「え、えーと……盛大に脱線したけど、要するにアンタは、俺の教え方がダメダメだって言いたいんだな」
「ああ。そういう事」
ようやく、アイアンクローのダメージが抜けて、意識がはっきりしてきた俺が、女性に訊くと、彼女はあっさりと頷いた。
俺は、さすがにカチンときて言い返す。
「ダメダメ……って、どこら辺がだよっ?」
「えー……強いて言うと、全部」
――全部かいっ!
「アンタさあ、まあ、言ってる事は間違ってないんだけどさ。肝心のこの娘に、それが全然伝わってないんだわ。言っちゃえば、『教え方が雑』って事。そうじゃなくて、この娘が直感的に理解かるような教え方してあげないと、時間の無駄だよ――って言ってるのさ」
「ぐ……ぐううう……」
ズバリ指摘されて、ぐうの音も出ない俺……。
「じゃ――じゃあさ! アンタだったら上手に教えられるのかよぉ!」
うわ、ダサッ……と、自分でも内心思わないでもなかったが、一旦口から出た言葉は戻らない。
が、女性は、俺の言葉を受けて一瞬考えた後、あっさり首を縦に振った。
「――うん。出来ると思うぜ。そうだな……今は遠泳用レーンも、変なヤツが占拠しちゃってて空いてないし……。良かったら、私が教えてやろうか?」
「え? マジで?」
意想外の答えに、俺は目を丸くした。
だが、肝心の春夏秋冬は、困ったような顔をしてモジモジしている。
「――どうしたの、アクアちゃん? 教えてもらうのが嫌なのかしら?」
「う……ううん。そうじゃないけど――せっかく、教えてもらってるシリウスくんに悪いなぁ……って」
春夏秋冬……アンタいい子や――!
俺は、ブンブンと首を横に振りながら、春夏秋冬に言った。
「――春夏秋冬、大丈夫だよ。俺なんかに遠慮しないでいいから、お言葉に甘えて、この人に教えてもらいな」
その言葉を聞いた春夏秋冬は、パアっと顔を輝かせて頷いた。
――悔しい。悔しいけど上手い。
彼女のクロールの教え方は、自分で言うだけあって、とても巧みだった。
口で説明するよりも、自分の身振り手振りを多用して、春夏秋冬に手本を示し、その後は手取り足取りで、動かし方を刷り込む。元々運動神経が良い春夏秋冬が、動きのコツを掴んだら、そこから先はあっという間だった。
最終的には、多少ぎこちない動きではあったが、何と彼女は、クロールで25メートルを泳ぎ切る事が出来たのだ。
「シリウスくーん、なでしこセンパーイ! 泳げた! 泳げたよ~!」
完泳した後、水面から飛び上がって喜ぶ春夏秋冬。
「……凄いな、アンタ。本当に、あの春夏秋冬を泳げるようにしちゃうなんて……」
俺が、素直に賞賛の言葉を贈ると、女性は、気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「いや……元々、あの娘の運動神経が良かったおかげもあるぜ。――なんにせよ、泳げるようになって良かったな」
彼女はそう言うと、ゴーグルとキャップを外した。
キャップに収まっていた、鮮やかな金髪が露わになる。――意外と長い。
彼女は、ぱっちりとした目元を細め、顔を綻ばせた。
「じゃ――、私はもう時間だから上がるわ。――頑張れよ」
「あ――! ちょっと待って!
金髪を梳き上げながら更衣室へ向かおうとする女性を、春夏秋冬が引き止めた。
女性は、怪訝な顔で振り返る。
「――何? まだ何か?」
「ね、名前教えて! ――あたし、アクアって言うの! あなたは?」
「…………え、ええと――わ……私は」
奇妙な事に、女性は、それまでの快活さが嘘の様に言い淀んだ。しばらく逡巡してから、目を逸らして、
「…………名乗るほどの者ではありません――」
と、呟くように言うと、踵を返して、逃げるようにプールサイドから去っていった。
「あれ……? あたし、何か怒らせちゃったかな……?」
「いや……そんな事は無い……と思うけど……」
俺と春夏秋冬は、首を傾げて、彼女の去ったプールサイドを見つめるだけだった。




