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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第一章 田中天狼のシリアスな煩悶・再開編
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田中天狼のシリアスな水泳

 俺の住む総倉市の隣に位置する七街道市。ただただ広い田園風景のまっただ中に、七街道市立温水プールがある。

 隣接するクリーンセンターの焼却炉が発する熱を再利用した温水プールで、25メートルプールと、幼児用の浅いプールがあるだけの、シンプルなプールだ。

 まあ……ハッキリ言ってボロい。煤けた建物の壁面に描かれた、満面の笑みを浮かべるイルカのイラストが、黒い涙を流しながら鮮血を吐いている様な、おどろおどろしい怪奇画と化しているくらいには……。

 ただ、辺鄙な立地で、設備も古く、流れるプールも波のプールもウォータースライダーも無いような、このプールを利用する市民は少なくない。それはひとえに、昨今の健康ブームと、『1時間200円』という、リーズナブルな利用料金のお陰だと言える。

 本日土曜日も、親子連れやお年寄りの利用客で、ここ七街道市立温水プールは混雑していた。



 俺は、更衣室でハーフスパッツの水着に着替え、シャワーを浴びた後、プールサイドで念入りに柔軟体操を行う。

 一生懸命平静を保とうと努めるが、俺の心臓の鼓動は、さっきから微妙に早い。

 もちろん、そんなにハードな柔軟体操をしている……という訳では無い。……これから現れる人物に対する期待と背徳感(・・・)によるものだ。

 ――と、俺の前のプールの水面が盛り上がり、派手に水飛沫を上げながら、人影が飛び出してきた。


「よっ! シリウス~! お前、いつまで柔軟体操し続けるんだ~?」


 ……いや、俺が心待ちにしてるのは、矢的先輩(コイツ)じゃないからね!


「早く来いよー、シリウス。――あ、ひょっとして、お前もカナヅチだったのか?」

「違いますよ! これは……じゅ、柔軟体操は大事だから、念には念を入れてしっかりしないといけないっていう、ひいじいちゃん以来の家訓を守ってるだけなんで!」


 俺は、冷やかす矢的先輩に、咄嗟に言い返した。……まあ、家訓云々というのは、真っ赤な嘘なのだが。


「ふ~……ん」


 矢的先輩は、分厚い度入りのゴーグルの奥で、ニヤア……と、粘ついた笑みを浮かべた。


「な……何ですか! そのいやらしい薄笑みは!」

「いやぁ……『いやらしい』って、お前が言うのぉ~? 言っちゃうの~?」

「――ぐ……!」


 矢的先輩に、核心を突かれ、俺は言葉に詰まった……。

 矢的先輩は、そのリアクションが面白くて仕方ないように、顔のニタニタ笑いを更に強くする。


「いやいや、いいんだよぉ。健全な高校一年男子なら、そりゃ気にならないはず無いよねえ~。いいんだよぉ、恥ずかしがらなくてもさぁ」

「……いや、俺は別に……そんな下心は……その――」

「だからさぁ。隠さなくて言いってばよ。曝け出しちゃおうぜぇ、包み隠さず、ホントの自分をさっ!」

「――さらけ出すって、何を~?」

「――ひッ!」


 矢的先輩との言い争いに夢中になっていて、完全に注意が疎かになっていた俺は、背後からかけられた声に肝を潰された。


「ひ……春夏秋冬(ひととせ)――!」


 俺は、心臓をバクバク言わせながら、恐る恐る、ゆっくりと背後を振り返る。


「おまたせ~、アンディ先輩、シリウスくん!」


 スクール水着に身を包んだ春夏秋冬(ひととせ)が、俺たちに手を挙げて、ニコニコ笑って立っていた。


「あ…………!」


 俺は、その姿を見て、思わず絶句する。

 シャワーを浴びて、濡れた彼女の白い肌。濃紺のスクール水着が覆う、控えめな身体の線。水が滴り、照明の光を浴びてキラキラと輝く、濡れていつもよりウェーブがかかった、少し栗色の入った黒い髪――。

 ――――か……かわ――!


「――遅くなってごめんなさい、ふたりとも」


 言葉を失って固まる俺の前に、今度は撫子先輩が姿を見せた。


「おおう……」


 今度は、思わず嘆声が出る。

 長い黒髪をキャップに収めながら歩いてくる撫子先輩の、スラリとした長い脚に、地味なスクール水着からも分かる、メリハリの効いたボディーラインに、その場に居た全ての男性が目を奪われた。

 たまたま横を歩いていた、小さい子供を連れたお父さんが、撫子先輩の姿に心と視線を奪われ、臑を強かに足元の長椅子にぶつけて悶絶し、今まさに飛び込み台から飛び込もうとしたムキムキのお兄さんが、彼女に見惚(みと)れたせいで足を踏み外して、無様な格好で水中へと転落した。


「あー……痛そう~……」


 それを見た春夏秋冬(ひととせ)が、まるで自分の事のように顔を顰める。


「そうね。余所見してたら危ないわよね……」


 撫子先輩は、他人事のように(……まあ、他人事なのだが)言いながら、首を傾げて俺たちに微笑みかけた。


「お待たせ、みんな」

「いえいえ! 全然待ってないッス!」


 俺は、自分でも驚く程の大声で、撫子先輩に答えた。

 そして、微妙に視線を逸らしながらも窺い見た、ふたりの水着姿を、己の網膜と脳に深く深く焼きつけるのだった――。

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