田中天狼のシリアスな煩悶
「あの……さ、さっきはすみませんでした、田中さん」
部室棟に着き、213号室へ向かう俺に向かって、黒木さんが頭を下げてきた。
「つ……つい、頭が真っ白になっちゃって……気付いたら、カバンで……。だ、大丈夫でしたか、ほっぺ?」
「あ……う、うん。大丈夫……です」
まだジンジンと熱を持っている左頬をそっと擦りながら、俺は首を横に振る。
本当は、何がそんなに気に障ったのかを、黒木さんに訊いてみたかったのだが、そんな事をしたら、今度は右頬が腫れあがる事になりそうだったので、そっと口を噤んだ。
――つか、そういえば、前にもあったな……。良く分からない内に、黒木さんにぶっ叩かれた事。あれは確か――。
と、以前の件を思い出そうとしている内に、俺たちは213号室――奇名部の部室の前まで着いていた。
「さて……と、行きますか」
「あ……は、ハイ! ちょっと待ってて下さい……」
黒木さんは、緊張の面持ちで制服の襟や皺を調える。
……何だか、そんな彼女の様子を見ている俺の方も、つられて緊張してきた。
俺は、彼女が身なりを調え終わるのを待ってから、声をかけた。
「――じゃ、開けるよ」
「は、ハイッ! お願いします!」
「……いや、だから、ウチの連中相手に、そんなに緊張する事無いから」
そう言って苦笑すると、俺は引き戸の取っ手に手をかける。
そして、ゆっくりと引き戸を開ける。
と、次の瞬間――
「「ようこそーっ!」」
「「わっ!」」
陽気な声と共に、パンパンという破裂音が鼓膜を打ち、俺たちは思わず驚きの声を上げた。
次いで、ぱらぱらと何かが頭上から降ってくる。
「こ……これは……?」
「ルナちゃーん! 奇名部にようこそ~!」
戸惑う黒木さんに、明るい声をかけてきたのは、発射したてのクラッカーを持った春夏秋冬だった。
黒木さんは、頭からクラッカーのリボンを垂らしたまま、事情を呑み込めないといった顔で、目をパチクリさせている。
そんな彼女の様子を見ながら、両手にクラッカーを持った矢的先輩が、苦笑しながら言った。
「どうしたの、クロちゃ~ん? そんな、鳩がガトリングガンを食らったような顔をして?」
「……いや、鳩がガトリングガンなんて食らったら普通に死にますけど。……つか、普通にビックリしてるんですよ。いきなり耳元でクラッカーをぶっ放されたから」
能天気に笑っている矢的先輩に、抗議半分にツッコむ俺。
その言葉に、いつものクールな表情のままで、撫子先輩が答える。
「そりゃ、黒木さんは、奇名部の部存続の貢献者だからね。このくらいの歓迎はするわよね」
「そうそう! 『ヨッ! 待ってました大統領ッ!』って感じよ、マジで!」
そう、調子の良い事を言いながら、どこからともなく取り出した『本日の主役』と筆書きされたタスキを黒木さんにかける矢的先輩。
「そうだよ~。それに、あたしにとってルナちゃんは、初めて出来た同級生の女の子の奇名部員だからねぇ。あたし、とっても嬉しいんだ~!」
春夏秋冬も、ハワイ旅行に行った時にタラップでもらう様なレイを、黒木さんの首に掛けながら言った。
メガネの奥の目を真ん丸にしたまま、呆然と立ち尽くす黒木さんは、まるで着せ替え人形の様に為されるがままだ。
「さ。大統領閣下! こちらにどうぞ~」
矢的先輩はそう言って、棒立ちになったまま、レイとタスキで万艦飾の如く飾り付けられてしまった黒木さんの背中を押して、普段自分が座っている窓際の席へと彼女を誘う。
長机の上には、ポテチやチョコや〇まい棒などのお菓子が盛られた紙皿と、お茶やジュースのペットボトルが並んでいた。
「こ、これって……」
「今日の部活動は、新入部の黒木さんを迎える歓迎パーティーですって」
唖然として呟く俺に、撫子先輩がそっと囁いた。
それを聞いて、俺は驚いた。
「え? 何ですかそれ? 俺、そんな事、一言も聞いてない……」
「うん、でしょうね。――だって、田中くんだけには言ってないもの」
「は――?」
撫子先輩の答えを聞いて、俺は口をあんぐりと開けた。
「な……何で、俺だけ……?」
「ごめんね、シリウスくん」
問い返す俺に、片目を瞑って両手を合わせた春夏秋冬が言った。
「……でも、シリウスくんが歓迎パーティーの事を知ったら、絶対に隠し切れない。そのうちルナちゃんにバレちゃうだろうから、はじめから知らせない方がいいって、アンディ先輩が……」
「な……」
春夏秋冬の言葉に、俺は思わず絶句する。
「だってよお、お前、嘘つくのヘッタクソなんだもん! クロちゃんとは同じクラスだし、絶対素振りで事前バレしちまうだろうから――ってな。どうだ、慧眼だろ?」
そんな俺に、矢的先輩は悪びれる事も無く言い放った。
俺は口を尖らせ、握った拳をプルプルと震わせながら、矢的先輩の顔を睨みつける。
……が、
「あ……確かに、田中さんって、色々と分かりやすいような気がします。態度に出やすいっていうか、何て言うか……」
「く、黒木さんッ?」
まったく想定外な方向からの追撃に、俺は思わず声をひっくり返した。
その声に、ちょこんと“お誕生日席”に座った黒木さんがたじろぐ。
「あ……っ! ご、ごめんなさい! で、でもこれは、別に貶してるとかじゃなくて、むしろ田中さんの良い所というか、このま――ぁっ!」
黒木さんは、何かを言いかけてから、慌てて両手で口を塞ぐ。そして、何故か真っ赤に染まった顔を伏せてしまった。
「え? あ、だ、大丈夫だよ、黒木さん! 俺は別に気にしてないから――」
「あれ? ルナちゃん、ど、どうしたの? 何かあったの?」
「どうしたクロちゃん! シリウスのセンシティブな顔面を見てたら気分が悪くなっちまった感じかっ?」
「――って、おいぃぃぃっ! 誰の顔が18禁だコラアアアッ!」
突然の黒木さんの様子にたじろぎ、騒ぎ立てる俺たち三人。
――と、
「はぁぁぁ~……」
ひとり、醒めた顔をしていた撫子先輩が、盛大な溜息を吐いた。
そして、黒木さんの肩をポンと叩くと、優しい声で言った。
「……ごめんなさいね。ウチの部の人たち、誰も彼もが鈍くって」
「おいぃっ、ナデシコ! こいつらとオレを一緒にすんなよ~!」
「――お黙りなさい、鈍感大将軍」
「ヒッ――!」
不満の声を上げた矢的先輩だったが、すぐさま撫子先輩に殺気の籠もった視線を向けられ、顔面を恐怖で凍りつかせる。
一睨みで矢的先輩を黙らせた撫子先輩は、再び黒木さんの方へ顔を向けると、先ほどの般若の如き表情から一変した、穏やかな微笑を湛えてみせた。
「ま、これからは何かあったら、私に相談してね。この部長はこんな感じで、人の相談に乗るには向いてないし、アクアちゃんは同級生だから相談しづらいでしょうし、田中くんには絶対相談できないでしょうから……ね」
「……」
「どうしたの、田中くん。そんな仏頂面で?」
「いや……」
「――『何で俺には“絶対相談できない”んだろう?』とでも言いたげな表情ね。それは――」
「わ――ッ! ちょ、ちょっと待って下さぁいッ!」
慌てて喋り続ける撫子先輩にしがみついて、その口を塞いだのは黒木さんだった。
彼女は、血相を変えて撫子先輩の耳元で何かを囁くと、撫子先輩は微笑みながら頷いた。
「うん、分かったわ。頑張ってね、黒木さん……」
「も、もう……本当にお願いしますよ……」
「?」
何だか納得顔の撫子先輩の様子に、相変わらず状況が掴めないままの俺は首を傾げるが、まあ、何か話が纏まった様なので良しとしよう。これ以上、迂闊に訊いたりしたら、撫子先輩のあの目で睨みつけられそうだし……。
と、撫子先輩がパンパンと手を叩きながら、豆鉄砲を食らった鳩状態になっている俺たち三人に向かって声をかけた。
「――という事で、本題に戻りましょう」
「いや……『という事で』って、オレ達は何が何やら分から――」
「本題に戻りましょう」
「――ッ! い、イエス・マムッ!」
空気を読まずに訊き返した矢的先輩だったが、すぐに顔を蒼白にしてピンと背を伸ばした。
それを横目で見ながら、俺と春夏秋冬は紙コップを並べて、いそいそとジュースとお茶を注ぎ始める。『障らぬ神に祟りなし』ってヤツだ。
やがて、全員に紙コップが行き渡ったのを確認して、撫子先輩は矢的先輩に目配せした。
「はいッ! 了解っス!」
撫子先輩に向かって、千切れんばかりの勢いで、激しく首を上下に振った矢的先輩は、わざとらしい咳払いをしてから口を開く。
「え、え~っ。本日はお日柄も良く……」
「ぷっ! 何だか、結婚式の挨拶みたいだよ、アンディ先輩!」
「……うっさいなぁ」
春夏秋冬の冷やかしの声に、矢的先輩は口を尖らせながら、長机の上の紙コップを手に取った。
それを見た俺たちも、自分の紙コップを手に持ち、矢的先輩の方に注目する。
俺たちの視線を一身に浴びた矢的先輩はニカッと笑うと、手にした紙コップを頭上高く掲げた。
「――何か、こういう挨拶は慣れてないから、手短に行くぜ。……ええと、本日から奇名部の仲間になったクロちゃ……黒木瑠奈さん!」
「あ……は、はい!」
「ようこそ、奇名部へ! これからヨロシクな!」
「あ……ありがとうございます……!」
矢的先輩の言葉に、黒木さんは心なしか涙ぐみながら頭を下げる。
そんな彼女の事を見て、満足げに頷いた矢的先輩は、次いで撫子先輩、春夏秋冬、そして俺の順番に目線を移し、そして大声で言った。
「では――クロちゃん含めた、俺たち奇名部の前途を祝して――カンパーイッ!」
「「「「かんぱーい!」」」」
矢的先輩の音頭に合わせて、俺たちも手に持った紙コップを高く掲げ、乾杯した――!
……………………
こうして、俺たち奇名部は、その仲間を一人増やし、その日常を過ごしていく。
願わくば、穏やかに過ごしていきたいものだが……、この面子では、そうもいかないだろうな。
多分、これからも、俺の身には色々な難題が降りかかり、その度に俺は煩悶する事になるのだろう。
それを思うと、俺はウンザリする。
……だけど、その事に対して、ワクワクしている自分もいるのだ。
何でだろうな……?
――そして
今日も、田中天狼のシリアスな煩悶は、続くのである――。
――『田中天狼のシリアスな煩悶』・完――
これにて、『田中天狼のシリアスな煩悶』は完結です!
二度の連載中断を経ての、ようやくの完結です(汗)。
正直、数字的には、色々と反省点の多い作品となりました。今回得た教訓を活かし、次作へと繋げていきたいと考えています。
いつの日にか、シリウス達の夏休みを描いた続編も書きたいと考えておりますので、その際にはお立ち寄り頂ければ幸いです。
ここまでお読み頂きました読者の皆様、本当にありがとうございました!
――2021年3月20日 朽縄咲良




