野球観戦のシリアスな打ち上げ
矢的先輩たちと合流した俺たちは、駅前のファミレスに入り、生徒会の面々と合同で、少し早めの夕食を摂る事にした。
「では、とりあえず……行方会長の推薦を受け、この武杉大輔が、乾杯の音頭を取らせて頂く。あー、ゴホン! ――では……かんぱーいッ!」
「「「「「「かんぱーいッ!」」」」」」
妙に緊張した面持ちの武杉副会長の音頭の声に合わせて、広いテーブル席についた俺たちは、互いにドリンクバーのグラスを打ち合わせる。――一名を除いて。
フグの様に頬を膨らませて、テーブルの上に置きっぱなしにしたグラスとにらめっこしたまま、矢的先輩は微動だにしない。
そんな先輩を見かねて、隣に座った行方会長が、その肩を軽く叩いて声をかけた。
「……どうした矢的? 君は乾杯しないのか?」
「……何で、オレが乾杯なんてしなくちゃいけないんスか? 何にもめでたくねえっていうのにさっ!」
行方部長の問いかけに、不貞腐れた態度で素っ気なく答える矢的先輩。
その姿を見た武杉副会長が、目を吊り上げて怒鳴りつける。
「おい矢的ッ! キサマ、会長に対して、何という口の利き方を――!」
「うるっせえなぁコノヤロー! スギのクセに生意気だっ!」
咎める武杉副会長に対し、どっかのオンチなガキ大将のような罵詈雑言をぶつける矢的先輩。
「――まったくよぉ! 9回表さえ無けりゃ、乾杯どころかビールかけまでしてやったっていうのにさぁ! 中浦のヤローが余計な事するからぁ! 空気読んでゲッツーでも打ってろってんだよチクショーめー!」
矢的先輩は、口を3の字にして、溜まりに溜まった京の試合の憤懣……いや、逆恨みをぶちまける。
「おいおい。ダメだぞ、矢的」
お、さすがに最高学年にして生徒会長。この我儘坊主を、キチンと諭してくれるようだ。
「私たちはまだ未成年なんだから、ビールかけなんてしちゃいけない。やるなら、コーラかけにしとくんだな」
「いや、そこかいっ!」
行方会長の、ピントがボケまくった発言に、俺は思わずツッコミを入れる。
そして、呆れ果てた顔をして、矢的先輩の顔をジト目で睨んだ。
「……ったく。矢的先輩、自分の贔屓が試合に負けたからって、そんなにグジグジグジグジ引きずらないで下さいよ。子供ですか」
「う……うるせえよ! シリウスのクセに生意気だ!」
「アンタこそうるせえよジャ〇アン」
思わず売り言葉に買い言葉で、強い口調で返してしまう俺。
と、矢的先輩は口中に梅干しを頬張ったような顔になって、頭を抱えた。
「同じプロ野球ファンのお前なら、今のオレの気持ちが分かると思ったのにさ……。最後の最後で5点差をひっくり返されるのを見たオレの気持ちが……」
「ま……まぁ、それは確かに、ちょっとは不憫だと思いましたけど……」
「……去年の8月2日。神宮スパローズ対中二ドラグーンズ戦の『真夏の夜の悪夢』を知っているお前なら――」
「ぶはぁっ!」
矢的先輩に、『真夏の夜の悪夢』――スパローズが8点リードしていたにもかかわらず、最終回に一気に10点取られて逆転負けした、スパローズファンのトラウマのひとつを不意打ちでほじくり返された俺は、思わず口に含んでいたトマトジュースを噴き出した。
俺は、口の端から真っ赤なトマトジュースをぽたぽたと垂らしながら、さっきまでとは打って変わった涼しい顔でメロンソーダを啜っている矢的先輩に毒づく。
「……こ、この野郎。なんて事を思い出させやがる……!」
「へーんだ! シリウスのクセに、偉大な先輩様に向かって偉そうに説教垂れるからだよーだ!」
「……どこに“偉大な先輩”なんかが居るんですかねぇ?」
俺は、さっきまでの誰かさんの様に口を尖らせて、目の前の“永遠の精神年齢五歳児”を睨みつけた。
――と、その時、
「あらあら大丈夫、田中くん? はい、これで拭いて」
そう言いながら、撫子先輩が紙ナプキンを差し出してくれた。
「あ……ありがとうございます」
俺はお礼を言いながら、撫子先輩の手から紙ナプキンを受け取る。
すると、撫子先輩が、俺の手元のグラスに目を落とし、
「飲み物無くなっちゃったわね。注いできてあげるわ」
と、俺に言ってくれた。
「……あ、いや、大丈夫です。自分で――」
恐縮した俺は、感謝しつつも断ろうとするが、
「別にいいのよ。私もおかわりしに行くつもりだったから」
そう言った撫子先輩はニコリと微笑むと、俺のグラスと自分の空になったグラスを持って、ドリンクバーの方に歩いて行ってしまった。
「――あ、す、スミマセン……ありがとうございます」
俺は、その背中に向けて、お礼の言葉を言ったのだった。
一方――、
「でもさ! アンディ先輩だって、いい事あったじゃん! ホームランの球をゲットしてたじゃん!」
春夏秋冬が、しょげかえる矢的先輩を元気づけようとするかのように声をかけた。……いや、春夏秋冬の事だから、素なのかもしれないが……。
彼女の問いかけに、頭を抱えたままの矢的先輩の耳がピクリと動く。
春夏秋冬は、更に言葉を続ける。
「ボールがバウンドした時にぴょーんって跳び上がってキャッチしたの、あのおっきなモニターで見たよー! すごかったよ!」
「あ、ああ、まあ、凄くなくないな、うん」
春夏秋冬の賛辞に、明らかに機嫌を良くする矢的先輩。そんな彼に、春夏秋冬は更に言葉を重ねる。
「ねえ、アンディ先輩? あのボールって、今も持ってるの?」
「お……おお、もちろんだともさ!」
春夏秋冬の問いかけに、さっきまでの仏頂面が嘘のような福々しい表情を浮かべながら、脇に置いたリュックサックをまさぐり始める矢的先輩。
そして、その中から、真っ白なボールを取り出した。
「ほら、これだよ!」
「わぁ! すごい! ホンモノだ!」
矢的先輩の掌の上に乗った硬球を前に、春夏秋冬は目を輝かせた。
そして、ひょいっとボールを手に取ると、その感触を確かめるように握り締めてみたり、指先でつついてみたりする。
「へえ、結構硬いんだね……」
「当たったら痛そうですね……」
春夏秋冬の隣に座っていた黒木さんも、興味深い様子で、ボールを観察している。
――と、その時、
「――お待たせ、田中くん」
ドリンクバーに行っていた撫子先輩が戻ってきて、俺にグラスを渡してくれた。
「何がいいのか分からなかったから、私が勝手に選んだのを――」
「あ、大丈夫です。何でも」
俺はそう言いながら、何の気なしに受け取ったグラスを口元に運ぶ。
そして、グラスの中の液体が俺の口の中へ――。
「――混ぜてみたわ」
「……ふぁ?」
撫子先輩の最後の言葉が引っ掛かった俺は、思わず聞き返そうとして――
「――ッ!」
次の瞬間、思わず左手で口元を押さえた。
な……何だコレは? この、甘い様な苦い様な酸っぱい様な……まるで、地獄の釜の中身みたいな味は――ッ?
口の中から鼻にかけて激しく刺激する味と匂いに悶絶しつつ、俺は手元のグラスを見た。
グラスの中には――様々な液体のいろんな色がごったに混ざり合った結果、鼠色になったジュースのような何かがなみなみと注がれている……!
そ……そうだ。この人……撫子先輩は――!
「――ええとね。取り敢えず、コーラとグレープジュースとメロンソーダとコーヒーとジャスミン茶を混ぜて、その上に……」
嬉々としながら、俺に渡した闇黒液体のレシピの説明をする撫子先輩の顔が次第にぼやけていく……。
朦朧とした意識の中で、俺は利根川よりも幅の狭い、いわゆるひとつの三途の川を渡る幻覚を見ていた――。
……いや、幻覚だったのか、アレ……?




