矢的杏途龍のシリアスな不機嫌
「すごかったねぇ」
白熱した試合の余韻が未だ残るスタンドを後にしながら、春夏秋冬がしみじみと言った。
「すごかったですね……特に、あのホームランは……」
そう答えながら、黒木さんはバックスクリーンのオーロラビジョンに顔を向ける。
そこには、9回表一死満塁の場面で、代打中浦が打った起死回生の逆転満塁ホームランの映像が流れていた。
と、黒木さんは、ニコニコ笑いながら、その傍らに立つ者に向けて語りかける。
「ねえ、秋原さん? カッコ良かったですよね、あのナカウラさんっていう、代打の人……」
「――ま、まあな……」
食い入るようにオーロラビジョンに見入っていた秋原は、黒木さんの言葉にハッと我に返ると、ぎこちなく頷いた。
彼女は、白球をレフトスタンドに放り込み、無表情のまま片手を挙げて、ガッツポーズをとりながらベースをゆっくりと一周する中浦を映したリプレイ映像から視線を外さぬまま、静かに言葉を継ぐ。
「ま……まあ……中浦は『満塁神』だからな。あの場面で、必ず打ってくれると信じてたよ――」
「ちょい待てぃ!」
秋原の言葉に、俺は思わずツッコんだ。
「今年の成績がどうのとか、どうせ三振かゲッツーかで終わりだとかなんとか、さんざんネガってたのは、どこのどいつだっけ?」
「い……いや、アレは……その……あれだ……」
秋原は、俺のツッコミにしどろもどろになりつつ目を白黒させていたが、やがて、萎れた花の様な顔になって、俺に向かってコクンと頭を下げた。
「まあ……その、ゴメン……」
「あ、いや……」
素直に頭を下げた秋原を前に、調子が狂って逆に戸惑う俺。
俺は頭をポリポリ掻いて、目を明後日の方向へと彷徨わせながら、暫しの間口にする言葉に迷った末に、
「ま、まあ……分かれば宜しい! ほ、ほらっ、行くぞ!」
結局何も言えずに、くるりと背を向けて、足早にコンコースへ続く入り口をくぐるのだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
入場ゲートから外に出た俺たちは、ごった返す人混みの中から、ライトスタンドの方で観戦していた矢的先輩たちを見つけ出そうとしたが、すぐにその必要は無くなった。
「おらぁっ! テメエら、遅えぇぞっ! チャキチャキ走ってこいコノヤローッ!」
すぐに、矢的先輩の怒声が、露店が並んでいる通りの辺りから聞こえてきたからだ。
その怒鳴り声を聞いた俺たちは、思わず顔を見合わせた。
「矢的部長さん……何か……怒ってます?」
「確かに……イライラしてる時の声だよねぇ……」
不安げな表情で言葉を交わす黒木さんと春夏秋冬。
――一方、
「……子供かよ」
矢的先輩の不機嫌の理由を瞬時に悟った俺は、顔を顰めて頭を抱えた。
「え? ど……どうしたの、シリウスくん? そんな、苦み走った顔しちゃって……?」
「……それを言うなら、『苦々しい顔』だよ、春夏秋冬……」
俺は、春夏秋冬のボケに苦笑いを浮かべると、通路脇に立つ電光掲示板を指さす。
「――矢的先輩が不機嫌な原因は、アレだよ」
「あれって……さっきの試合結果の――って、ああ~……」
「そういう事か……」
「そういう事ですね……」
俺の指摘に、一瞬キョトンとする三人だったが、すぐに俺の言わんとする事を理解すると、皆俺と同じような顔になる。
そして、電光掲示板に表示された『S6-7L』というスコアを見上げると、一様に溜息を吐いたのだった……。
「おら! 遅い! 遅いっ! 集合が遅いッ! 集合遅いよ、何やってんのっ!」
「……取り敢えず、キャラを鱗〇さんにするか、ブラ〇ト艦長にするかハッキリして下さい」
呆れ顔で近付いてきた俺たちに向かって、開口一番文句を言ってきた矢的先輩に、俺はジト目で返した。
そして、大きく溜息を吐き、肩を竦めて言葉を継ぐ。
「やれやれ……。まったく、いっくら贔屓のロッチシーガルズが鮮やかな逆転負けを食らったからって、そのイライラを後輩にぶつけないで下さいよ、大人げない」
「な――何だとォっ! お……オレは冷静だぁっ!」
俺の言葉を聞いて、更に激昂した様子の矢的先輩は、手にしていたロッチのメガホンを、アスファルトの地面に向けて思い切り叩きつける。――まるで、親友だと思っていた赤い彗〇に裏切られた事を悟ったガ〇マ・ザビが、付けていたインカムをコンソールに叩きつけた時の様に……。
そして、涙目になった矢的先輩は、俺の胸倉を掴んできた。
「こ、このぉ! そんな後輩、修正してやるっ!」
「こ……今度はカミー〇ですかっ! ちょ、ちょい待ち! ぼ、暴力反た――!」
「――はいはい。それくらいにしなさい、矢的くん」
「ン、んがぐぐっ!」
最後は、次回予告の最後のサ〇エさんみたいな声を出しながら、矢的先輩が後方へ吹っ飛び、そのまま道脇の植木の中に突っ込んだ。
胸倉を掴まれていたせいで、巻き添えを食らった形の俺は、その場で尻餅をつく。
「け、けほっ……」
「大丈夫かしら、田中くん?」
「あ、すみま……ッ!」
差し出された手を掴もうとした俺だったが、その声と手の主が誰なのかを思い出し、思わず伸ばした手を引っ込め、即座に立ち上がる。
そして、ピンと背筋を伸ばし、直立不動になった。
「あ、だ、大丈夫であります! な……撫子先輩殿ッ!」
「……どうしたの、そんなに改まっちゃって?」
俺の態度に、目を丸くしながら苦笑を浮かべている撫子先輩。いや……、目の前で矢的先輩の襟首を掴んで、後方に吹っ飛ばした怪り……お手並みを見せられたら、こうもなりますって……。
一方――
「――オイッ、矢的! キサマ、公共の植木に身体を突っ込みおって、一体何をしているのだ! これ以上、東総倉高校の生徒として恥を晒すなあッ!」
「……ぷっ! あははは、まったく、面白い男だなぁ、キミは!」
――頭から突っ込み、まるで『犬神家の一族』のスケキヨの様に、ピンと伸ばした足だけをにょきりと出した格好で逆さになっている矢的先輩。
――それを、まるで不動明王のような顔をしながら引っ張り出そうとしている武杉副会長。
――そして、そんな二人の様子を見て、その端正な顔立ちをクシャクシャにしながら笑い転げる行方会長……という一種異様な光景が、幕張コーストスタジアムの脇の小道で繰り広げられるのだった……。




