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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第四章 田中天狼のシリアスな煩悶・応援編
35/45

北武ファンのシリアスな興奮

 「オオオオオオオオオオオ――――ッ!」


 天川が弾き返した白球が、レフトスタンドの座席を破壊して跳ねた瞬間、球場に詰めかけた全北武ファンが上げた大歓声で、文字通り球場が揺れる。


「きゃーっ! 打ったよ! あのおっきな人が、ホームラン打ったよっ!」

「はい! すごいかったです! カッコイイです! ……って、あ、あの、春夏秋冬(ひととせ)さん、ちょっとく……苦しいです……」


 興奮する春夏秋冬(ひととせ)に抱きつかれた黒木さんが、目を白黒させている。うら若き少女ふたりが密着してイチャイチャしている……うん、悪くない!

 ――と、ふたりの少女の喜ぶ様を、目尻を下げながら見守っていた俺だったが、ふと隣の席に座る秋原の事が気にかかって、チラリと横目で見てみた。

 秋原は、目を大きく見開いて、今のホームランのリプレイ映像を流すオーロラビジョンを凝視していた。――心なしか、彼女の口角が上がっている様な気が……。


「……! な、何だよ田中! 気持ち悪ぃ目でコッチを見やがって! 通報すんぞ!」

「あ……す、スミマセン。通報は止めて……止めて……」


 俺の視線に気が付いた秋原に睨みつけられた俺は、その剣幕に首を竦めると、座席の上で小さくなった。

 そして、おずおずと秋原に尋ねかける。


「……あの、秋原さん。どうですか?」

「あ? な、何がだよ?」

「いやぁ……反撃、始まったみたいですけど……」

「……ハン! どうもこうもねえよ!」


 秋原は、一瞬虚を衝かれた様に目を丸くしたが、すぐに仏頂面に戻って、吐き捨てる様に答えた。


「つ、ツーランホームラン打ったところで、まだ3点差あるんだ! こういうのを『焼け石に水』って言うんだよ! ……まったく! 三者凡退してくれれば、少しでも早く帰れんのによ!」

「……でも、満塁ホームランで逆転できる点差になりましたよ?」

「ぐ……! そ……そんな上手くいく訳ねえだろ! ――ほら、見てみろよ!」


 秋原は、俺の言葉に一瞬言葉を詰まらせるが、すぐに眉を吊り上げ直すと、一塁側のベンチから出てきたロッチの監督が、主審に何かを告げる姿を指さした。


「今ので、ロッチはピッチャーを代えるぜ。クローザー登場だ。――それで、おしまいだよ!」

「――!」


 彼女の言う通り、ひとりの投手を乗せたリリーフカーが、ゆっくりとファールグラウンドを進んできた。


『ロッチシーガルズ、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャー・鮒木に代わり、幕田(まくだ)。背番号52』


 場内に、ウグイス嬢のコールが響き、同時に静まり返っていたライト側外野席のロッチ応援団が気勢を上げた。

 ――ロッチの守護神(クローザー)・幕田の登場である。


「え? ピッチャー代わっちゃうの? ねえ、シリウスくん? あの人強い人なの?」

「い……いやぁ、“強い”っていうのとは、ニュアンスがちょっと違うかなぁ……」


 無邪気な顔で訊いてくる春夏秋冬(ひととせ)に苦笑いを向けながら、俺は答える。


「まあ、一番最後に投げて、試合を終わらせるのが役目の投手だから、チームの中継ぎの中で、一番手強い人だって言うのは間違いないな」

「ふええ……じゃあ、ピンチじゃん!」


 俺の答えを聞いた春夏秋冬(ひととせ)は、目を丸くして驚く。


「……ああ、そうだよ」


 そんな春夏秋冬(ひととせ)の言葉に頷いたのは、秋原だった。

 彼女は大きく息を吐くと、足を組んで椅子に深く腰を沈めながら、北武のキャップを目深に被り直して、憮然とした顔を隠しながら言葉を継ぐ。


「どうせ、勝てっこねえんだよ。さっさと負けちまえばいいんだよ……ったくよ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 10分後――。

 三塁側スタンドは、8回裏までの雰囲気とは打って変わった、異常なテンションに包まれていた。


「わぁ! 今度はコッチが満塁だよー!」


 春夏秋冬(ひととせ)が、敬遠気味のフォアボールを選んで、ゆっくりと一塁に向けて歩き出した8番バッター金雄(かねお)を指さしながら、興奮した声で叫ぶ。

 彼女の言う通り、これで塁は全て埋まった。

 あの後、5番殿崎(とのざき)が、幕田の初球をレフト前に弾き返し、6番久木山(くぎやま)が12球粘って四球を選び、7番山部(やまべ)が堅実に送りバントを決め、1アウト2.3塁――からの、今の四球である。

 試合の流れは、完全に北武へと傾いた。


「これは……ひょっとしたら、ひょっとするかもしれませんよ!」


 黒田さんが、眼鏡の奥の瞳を輝かせ、祈る様に手を組みながら言った。

 俺も、彼女の言葉に頷く。


「うん、そうだね。ここで一発出れば……逆転だ」

「……」


 だが、隣の秋原は、俺たちの興奮をよそに、口をへの字に曲げたままだ。目深に被ったキャップのせいで、その表情も良く見えない。

 堪りかねて、俺は秋原に声をかける。


「――ほら、秋原。ちゃんと見てろよ。燃えるシチュエーションだぜ」

「……うっせえなぁ。興味ねえって言ってんだろうが!」

「お前なぁ……」


 何だか、ガキの様に不貞腐れた秋原の態度にカチンときた俺は、さすがに一言物申してやろうと、声のトーンを上げる。――が、


「ワアアアアアアアアアアア~ッ!」


 俺たちの座る三塁側内野席、そして外野席から、先ほどに倍する地鳴りのような大歓声が巻き起こった。


「な……何だぁ……?」


 突然の大歓声に驚いた俺は、周りをキョロキョロと見回したが、三塁側のベンチからゆっくりと出てきた、ずんぐりとしたシルエットの選手の姿を見て納得した。

 そして、ウグイス嬢のコールが、球場に流れる。


『北武ライオネルズ、選手の交代をお知らせいたします。バッター志村に代わりまして、代打・中浦――』

「オオオオオオオオオッ!」


 アナウンスが流れた瞬間、三塁側スタンドのテンションは最高潮になる。


「ふぇっ? な、なに? どうしたのっ?」


 大きな打ち上げ花火が炸裂したかのような、凄まじい歓声に思わず耳を塞ぎながら、春夏秋冬(ひととせ)が目をパチクリさせる。

 俺も、異様な雰囲気に呑まれて首を竦めながら、春夏秋冬(ひととせ)に向かって、この大興奮の理由を伝える。


「チャンスだから、北武の中浦って選手が、代打に出されたんだよ。それで、こんなにみんな喜んでるんだ。……そっか、まだ残ってたんだ、『満塁神』――」

「ま……マンルイシン? 何それ?」


 俺の言葉の意味が分からず、キョトンとしている春夏秋冬(ひととせ)に、俺は更に詳しく言った。


「――『満塁神』っていうのは、あだ名……っつうか、異名だよ。べらぼうに満塁の局面に強くて、通算満塁本塁打の日本記録を持ってる中浦剛矢(なかうらたけや)の――ね」

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