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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第四章 田中天狼のシリアスな煩悶・応援編
33/45

矢的杏途龍のシリアスな奇行

 バットで“打った”と言うよりは、“しばいた”と言った方が相応しい轟音が球場にこだました。


「あ――!」


 俺は慌ててマウンドの方へと目を凝らすと、ファイブが棒立ちになって、上空を振り仰いでいる姿が目に入る。

 彼が見上げた方向に俺も目を向けると――高々と打ち上がった白い球が、外野の方に向かってみるみる飛んでいくのが見えた。

 打球の勢いを見た俺は、あんぐりと口を開けて、呆然と行方を見守る。


「あ……行ったわ、コレ」


 俺は、思わずそう呟いた。


「あぁ――っ!」

「ぎゃあああ――っ!」

「行くな――! 落ちろ――ッ!」


 俺の周囲の三塁側のスタンドからも、一斉に悲鳴と絶望と懇願の叫びが上がる。

 そして――全北武ファンの願いも空しく、高々と上がった打球はその勢いを殺す事なく、ロッチファンで埋め尽くされたライトスタンドに飛び込み、大きく弾んだ。

 その瞬間、


「オオオオオオオオオオオ――ッ!」


 ライトスタンドのみならず、一塁側内野席、そして三塁側に陣取ったロッチファンの歓喜の声が一斉に上がり、そのどよめきで、文字通り“球場が揺れた”。


「ああ~! 入っちゃったよぉ! これってアレでしょ? ホームランってやつ!」

「え、ええ……そうみたいです……しかも――」

「――満塁ホームラン。グランドスラムってヤツだね」


 野球の事はほとんど知らない春夏秋冬(ひととせ)と黒木さんでも、今起こった事の重大さは感じられたらしい。


「あーっ! 四点入っちゃったよ~! 何で? ホームラン打っただけでしょ? どうして一気に四点も入っちゃうの?」


 ……あ、でも春夏秋冬(ひととせ)は、まだルールが良く分かってないっぽい。


「えっと、それは――」

「ランナーが三人溜まってたからな。ホームランだと、ランナーが一気に本塁まで戻ってきて、全部得点になるんだよ」


 説明に困る俺を差し置いて、秋原が春夏秋冬(ひととせ)に言った。


「あっ、そうなんだぁ……ふーん……?」


 秋原の説明に、春夏秋冬(ひととせ)はしたり顔でうんうんと頷いているが……こりゃ、まだ良く分かってないな……。

 ――と、その時、


「あ――ッ!」


 突然、黒木さんが素っ頓狂な叫び声を上げた。

 俺は驚いて、黒木さんの顔を見る。


「ど……どうしたの、黒木さん? 物凄く驚いた声を出して――」

「あ、アレです! あの……おっきなモニターに――!」


 ズレた眼鏡を直す余裕も無い程に狼狽えている黒木さんが、真っ直ぐに指さしたのは、バックスクリーンのオーロラビジョンだった。


「え……?」


 彼女の剣幕に驚きながら、俺もオーロラビジョンの方に目を遣る。

 バックスクリーンの巨大な液晶画面に映し出されているのは、今しがた猪上が打ったホームランのリプレイ映像だ。

 ファイブの投げた速球が甘く入り、それを見逃さなかった猪上がバットを一閃。いい角度で上がった白球が、ストライプの入ったロッチのレプリカユニフォームを羽織ったロッチファンの居るライトスタンドに突き刺さる――。


「あ! そ、そこです! ボールを取った人!」

「……え?」

「あ――っ!」


 『ボールを取った人』という、黒木さんの言葉の意味が分からずに戸惑う俺。それとは対照的に、何かに気付いた春夏秋冬(ひととせ)が、さっきの黒木さんと同じような驚きの声を上げた。


「あれ……アンディ先輩じゃん!」

「――はぁ?」


 春夏秋冬(ひととせ)の叫びに驚いた俺は、慌ててオーロラビジョンを凝視する。


「――あ」


 そして、ようやく彼女たちの叫びの意味が分かり、俺は呆けた声を出した。

 オーロラビジョンにデカデカと映し出されたのは、スタンドに飛び込み、大きく跳ねたボールを、まるで猿のような、人間離れした跳躍力を発揮して捕球したひとりの男の姿だった。

 眼鏡をかけ、髪を茶色に染めた男の、いかにも軽薄そうな顔は――はなはだ不本意ながら、非常に良く見知った顔だった……。


「……何やってんだ、あの人……あのバカは……」


 俺は、オーロラビジョンをを凝視しながら、思わず呟いていた。

 見事ボールをキャッチした矢的先輩が、喜びのあまりに奇妙なダンスを踊り出したからだ。

 身体を仰け反らせてリンボーダンスの真似事みたいな事をしたり、後ろを向いてケツをプリプリと揺らしたり、どこかのマイケルみたいにムーンウォークしてみたり……。

 つか、お前はマイケルじゃなくて杏途龍(アンドリュー)だろうが……。


「あははは! 何やってんの、アンディ先輩ったらぁ」


 オーロラビジョンに映し出される、まるでMPをごっそり吸い取られそうな、矢的先輩の“ふしぎなおどり”を見て、春夏秋冬(ひととせ)は笑い転げているが、俺は呑気に笑っていられる余裕なぞ無かった。


「ちょ……ヤバいって! この試合って、テレビで中継されてるんじゃないの?」

「え……。あ、そういえば……」

「ヤバいよ! あの、矢的先輩の奇行が全国中継されたら……俺たち奇名部の――いや、東総倉高校の汚点になる!」


 俺は、危機感に苛まれながら声を荒げる。

 それを聞いた黒木さんも、オロオロしながら頷いた。


「そ……そうですよね……な、何とかしないと……。会長と副会長は一体――」

「あ、見付けた! あれじゃない? 左上の端っこ……」

「へ……?」


 春夏秋冬(ひととせ)がそう叫んで、オーロラビジョンの一点を指さし、俺と黒木さんは彼女の指の先に目を遣った。


「「――居たっ!」」


 すぐに見慣れた顔を見付けた俺と黒木さんは、同時に声を上げた。


「行方会長と、撫子先輩――!」


 何せ、宝塚の花形スターだと言われても違和感を感じないほどのイケメン顔である行方会長と、黙って座っていれば絶世の美女と呼んでも差し支えない撫子先輩である。密集したライトスタンドの観客の中にあっても、ふたりはまるで浮き出ているかのように目立つ。

 ――が、 


「……何ケタケタ笑っとんねん、ふたりとも……」


 暴走する矢的先輩を止めるでもなく、それどころかにこやかな笑みすら浮かべて見守っている体の二人の姿に、俺は絶望を感じる。

 と、


「あ――っ! ダメ! ダメですぅ!」


 顔を真っ赤に染めた黒木さんが、悲鳴に近い絶叫を上げた。

 見れば、周りに囃されて、すっかりイイ気分になってしまった矢的先輩が、おもむろに着ていたレプリカユニフォームを脱ぎ捨て、上半身裸になった。

 ……いや、それだけではない。

 矢的先輩(バカ)は、周囲の観客のコールを受けながら、ズボンのチャックに手を伸ばす。

 そして、更に、ズボンの下のパンツのゴムに指をかけ、びょーんと前に伸ばそうとする。

 それを見た俺の焦りは頂点に達する。


「いや! 止めろバカ! それ以上はいけない。それやっちゃったらお前、ガチの前科持ちになる――!」


 ……まあ、正直、矢的先輩がオーロラビジョン越しに己の貧相なバットを披露して、ブタ箱にぶち込まれても別に構わないのだが、それが元で奇名部が廃部になるのは困るのだ。

 俺は、何とかしてバカの暴走を止めようと思うが、今からライトスタンドに向かっても、とても間に合わない。……そもそも、チケットが無いと、一塁側スタンドには入れないし……。

 そんな感じで、俺がオロオロしている間にも、矢的先輩のストリップショーは遅滞なく進んでいく――。

 と、その時、


「やぁまぁとぉ~ッ! 何やっとるんだ、キサマぁぁぁッ」


 三塁側スタンド(ここ)まで聞こえるような大音声が響き渡り、唐突に乱入してきたひとりの影が、今まさにパンツをずり下ろそうとしている矢的先輩の頭を殴りつけた。


「貴様! 我が東総倉高校の看板に泥を塗るつもりなのかァッ? こんな、大勢の公衆と会長、そ、そして何よりも! 撫子くんの目の前で、この様な痴態を晒そうなどと……恥を知れぃ!」


 ぐったりしたパンツ一丁の矢的先輩の首根っこを掴んでブンブンと振りながら、球場に響き渡るような大声で説教し続ける武杉副会長。


 ……ああ、良かった。向こうのスタンドに武杉副会長が居て……。


 と、俺は胸を撫で下ろしながら、顔を振り仰ぎ、真っ青に晴れ渡った初夏の空を見上げ、顔を引き攣らせながら言葉を継いだ。


「……でも、アンタの大声のせいで、そのバカ野郎が東総倉高校(ウチ)の生徒だって事が駄々漏れになっちゃいましたけどね……あははは、お空キレーイ♪」

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