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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第四章 田中天狼のシリアスな煩悶・応援編
32/45

北武ライオネルズのシリアスなピンチ

 カ――ンッ!


「えッ?」

「――ッ!」


 勝手にとんでもない濡れ衣を着せられかけた俺が、慌てて反論を試みようとした時、乾いた音が球場を劈き、俺と秋原はハッとしてグラウンドに注目する。


「あ――っ! 打たれちゃったよ~っ!」

「外野の人……追いつけません!」


 春夏秋冬(ひととせ)と黒木さんが悲鳴に似た声を上げる。もちろん、ふたりだけではなく、三塁側のスタンドに詰めかけた北武ファンたちの間からも、地鳴りのような嘆きの声が巻き起きる。


「ワ~ッ!」


 三塁側とは対照的に、一塁側のロッチファンからは、まるで爆発でも起こったかのような大歓声が上がり、メガホンが打ち鳴らされ、振られたフラッグがあちこちではためいた。

 フェンスまで到達したボールにようやく追いついたセンター金尾(かねお)が、バックホームの為、中継にボールを返した時には、バッターは悠々と二塁に到達していた。


「……本塁まではいかれなかったか」


 俺は、三塁塁上を回ったところで帰塁した一塁ランナーの姿を見止めて、安堵の息を吐く。


「……ランナーがレナードだったからな。そんなに足が速くないから、今の打球じゃ戻れねえよ」


 難しい顔をしながら、秋原が答える。

 彼女はペットボトルを手に取り、口元に持っていくが、もう空になってしまっている事に気が付き、苛立たし気に舌打ちすると、ペットボトルを乱暴にボトルポケットに突っ込んだ。

 そして、肘掛けに肘を置いて頬杖をつくと、憮然とした顔で言葉を継ぐ。


「――とはいえ、これでノーアウト2.3塁だ。……だから言っただろ? 『先頭四球は点が入りやすい』ってよ」

「……」


 俺は、よっぽど「随分野球にお詳しいんですね? 嫌いなのに」とツッコもうと思ったが、グラウンドの状況が状況なので、水を差すような真似をする事は差し控えた。

 ――と、


「あれ? ベンチの方から、誰か出てきましたね?」

「あ、ホントだ!」


 その声を聞いて、ベンチの方に目を向けると、背番号79をつけたユニフォーム姿の人が、ポロシャツを着た人を伴い、小走りでマウンドまで行くのが見えた。


「あれは……投手コーチと通訳さんだな。――交代するのかな?」

「いや……」


 俺の呟きに、秋原は首を横に振りながら、三塁側のファールグラウンドの方を指さした。そこには、中継ぎ投手が肩を作るブルペンがある。


「……中継ぎの多比良(たひら)が、ようやくキャッチャーを座らせて投げ始めたばっかりだから、まだ全然肩が出来てねえよ。――もともと、先発をこの回まで投げ切らせるつもりだったんだろうな」

「じゃあ……今すぐに交代するのは無理か」

「……うん」


 俺の言葉に、秋原は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。そして、「……何やってんだか」と呟くと口を尖らせた。

 秋原の言う通り、マウンドに行った投手コーチは、通訳を通してピッチャーのファイブに声をかけただけで、そのままベンチに戻っていく。

 同様に集まっていた内野陣も、各々の守備位置へと戻っていった。


「……続投、だな」


 俺は、ゴクリと唾をのむ。

 右打席に7番バッターが入り、主審が右手を上げ、プレイ再開を告げる。

 一塁側外野席に陣取ったロッチ応援団から、リズムに乗ったラッパと太鼓の音が上がるのと対照的に、一塁側では重苦しい緊張が、絹糸の様に張りつめた。

 そんな雰囲気の中、マウンド上のファイブはセットポジションから、キャッチャーミット目がけて、投げ込め――


 ――ボスッ


 ……なかった。

 ファイブの投げた球は、大きく右に逸れ、鈍い音を立てて、右打席に立つバッターの背中に当たった。


「あ――ッ!」

「何やってんだよぉっ!」

「おおおおおおおいっ!」


 一塁側と三塁側から、一斉に怒声が上がる。……もっとも、その怒声の中身は、微妙に違っていたが。


「わ! 痛そう……」

「だ、大丈夫なんですか? 打つ人……」


 春夏秋冬(ひととせ)と黒木さんも、思わず悲鳴を上げる。


「いや……背中だし、抜け球だから大丈夫だよ。――多分」


 俺は、ふたりにそう言うのと同時に、ボールが当たった背中を擦りながら、バッターが一塁へと歩き出した。


「あ……大丈夫そうですね。よかった……」


 それを見た黒木さんが、安堵の息を漏らした。

 と、秋原が皮肉気な笑みを浮かべながら、吐き捨てるように言う。 


「……とはいえ、これでまたノーアウト満塁だ。北武側は、あんまり大丈夫じゃねえな」

「でも、ししょー。さっきも同じだったけど、0点で済んだじゃん。だから、今度も大丈夫じゃない?」


 秋原の悲観的な言葉に、春夏秋冬(ひととせ)が楽観的な言葉で返す。

 そんな春夏秋冬(ひととせ)の声に、秋原は苦笑いを浮かべ、小さくかぶりを振り、


「いや……こういうのって――」


 と口を開きかけたところで、一際大きな地響きが球場を震わせた。


「ひゃ……! な、何ですか……?」


 驚いた様子の黒木さんが、眼鏡の奥の瞳を真ん丸にしながら小さく叫ぶ。

 俺も驚きながら、向かいのスタンドに向けて指を伸ばした。


「――あれだよ。ロッチ応援団名物『ジャンプエール』さ」


 見れば、一目瞭然だった。

 ロッチの外野席のみならず、内野席のファンたちもみんな総立ちになって、太鼓のリズムに合わせて応援歌を歌い、一斉にジャンプしていた。

 数万の観客が一斉にジャンプするのだ。その着地の衝撃は凄まじく、比喩抜きで球場が揺れる。


「うわわ……す、スゴいねぇ~」


 春夏秋冬(ひととせ)は、驚きと興奮で顔を上気させながら、ロッチの応援につられて足でリズムを取り始めていた。本来、俺たちは北武を応援しなくちゃいけないので、それはやっちゃいけないなぁ……と思いながらも、ついつい圧倒されてつられてしまう気持ちも分かる。

 それほど、この『ジャンプエール』は迫力と一体感が凄いのだ。……そして、プレイしている敵チームへの威圧感も……。


 そんな異様な雰囲気の中、ロッチの8番バッター・猪上(いのがみ)が右打席に入った。彼は、しばしば四番にも座るスラッガーだが、最近スランプ気味で、下位打線に入る事が多くなっている。

 だが、不調とはいえ、ボールをバットの芯で捉えれば、やすやすとスタンドまで放り込める力を持っている。この、一点差で無死満塁の状況では要注意のバッターである。


「……」


 ふと横を見ると、秋原が前のめりの姿勢で、グラウンドを凝視していた。その顔には真剣な表情を浮かべ、両手はまるで祈るかのように固く組み合わされている――。

 その姿は、さながら――、


「……つか、さっきも言おうとしてたんだけどさ――」


 俺は我慢できずに、秋原に尋ねかける。頭に浮かんだ疑問の答えを訊く為に。

 ――と、その時、


 グワゴアラガキ――ン!


 グラウンドの方から、凄まじい衝突音が聴こえた――!

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