北武ライオネルズのシリアスなピンチ
カ――ンッ!
「えッ?」
「――ッ!」
勝手にとんでもない濡れ衣を着せられかけた俺が、慌てて反論を試みようとした時、乾いた音が球場を劈き、俺と秋原はハッとしてグラウンドに注目する。
「あ――っ! 打たれちゃったよ~っ!」
「外野の人……追いつけません!」
春夏秋冬と黒木さんが悲鳴に似た声を上げる。もちろん、ふたりだけではなく、三塁側のスタンドに詰めかけた北武ファンたちの間からも、地鳴りのような嘆きの声が巻き起きる。
「ワ~ッ!」
三塁側とは対照的に、一塁側のロッチファンからは、まるで爆発でも起こったかのような大歓声が上がり、メガホンが打ち鳴らされ、振られたフラッグがあちこちではためいた。
フェンスまで到達したボールにようやく追いついたセンター金尾が、バックホームの為、中継にボールを返した時には、バッターは悠々と二塁に到達していた。
「……本塁まではいかれなかったか」
俺は、三塁塁上を回ったところで帰塁した一塁ランナーの姿を見止めて、安堵の息を吐く。
「……ランナーがレナードだったからな。そんなに足が速くないから、今の打球じゃ戻れねえよ」
難しい顔をしながら、秋原が答える。
彼女はペットボトルを手に取り、口元に持っていくが、もう空になってしまっている事に気が付き、苛立たし気に舌打ちすると、ペットボトルを乱暴にボトルポケットに突っ込んだ。
そして、肘掛けに肘を置いて頬杖をつくと、憮然とした顔で言葉を継ぐ。
「――とはいえ、これでノーアウト2.3塁だ。……だから言っただろ? 『先頭四球は点が入りやすい』ってよ」
「……」
俺は、よっぽど「随分野球にお詳しいんですね? 嫌いなのに」とツッコもうと思ったが、グラウンドの状況が状況なので、水を差すような真似をする事は差し控えた。
――と、
「あれ? ベンチの方から、誰か出てきましたね?」
「あ、ホントだ!」
その声を聞いて、ベンチの方に目を向けると、背番号79をつけたユニフォーム姿の人が、ポロシャツを着た人を伴い、小走りでマウンドまで行くのが見えた。
「あれは……投手コーチと通訳さんだな。――交代するのかな?」
「いや……」
俺の呟きに、秋原は首を横に振りながら、三塁側のファールグラウンドの方を指さした。そこには、中継ぎ投手が肩を作るブルペンがある。
「……中継ぎの多比良が、ようやくキャッチャーを座らせて投げ始めたばっかりだから、まだ全然肩が出来てねえよ。――もともと、先発をこの回まで投げ切らせるつもりだったんだろうな」
「じゃあ……今すぐに交代するのは無理か」
「……うん」
俺の言葉に、秋原は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。そして、「……何やってんだか」と呟くと口を尖らせた。
秋原の言う通り、マウンドに行った投手コーチは、通訳を通してピッチャーのファイブに声をかけただけで、そのままベンチに戻っていく。
同様に集まっていた内野陣も、各々の守備位置へと戻っていった。
「……続投、だな」
俺は、ゴクリと唾をのむ。
右打席に7番バッターが入り、主審が右手を上げ、プレイ再開を告げる。
一塁側外野席に陣取ったロッチ応援団から、リズムに乗ったラッパと太鼓の音が上がるのと対照的に、一塁側では重苦しい緊張が、絹糸の様に張りつめた。
そんな雰囲気の中、マウンド上のファイブはセットポジションから、キャッチャーミット目がけて、投げ込め――
――ボスッ
……なかった。
ファイブの投げた球は、大きく右に逸れ、鈍い音を立てて、右打席に立つバッターの背中に当たった。
「あ――ッ!」
「何やってんだよぉっ!」
「おおおおおおおいっ!」
一塁側と三塁側から、一斉に怒声が上がる。……もっとも、その怒声の中身は、微妙に違っていたが。
「わ! 痛そう……」
「だ、大丈夫なんですか? 打つ人……」
春夏秋冬と黒木さんも、思わず悲鳴を上げる。
「いや……背中だし、抜け球だから大丈夫だよ。――多分」
俺は、ふたりにそう言うのと同時に、ボールが当たった背中を擦りながら、バッターが一塁へと歩き出した。
「あ……大丈夫そうですね。よかった……」
それを見た黒木さんが、安堵の息を漏らした。
と、秋原が皮肉気な笑みを浮かべながら、吐き捨てるように言う。
「……とはいえ、これでまたノーアウト満塁だ。北武側は、あんまり大丈夫じゃねえな」
「でも、ししょー。さっきも同じだったけど、0点で済んだじゃん。だから、今度も大丈夫じゃない?」
秋原の悲観的な言葉に、春夏秋冬が楽観的な言葉で返す。
そんな春夏秋冬の声に、秋原は苦笑いを浮かべ、小さくかぶりを振り、
「いや……こういうのって――」
と口を開きかけたところで、一際大きな地響きが球場を震わせた。
「ひゃ……! な、何ですか……?」
驚いた様子の黒木さんが、眼鏡の奥の瞳を真ん丸にしながら小さく叫ぶ。
俺も驚きながら、向かいのスタンドに向けて指を伸ばした。
「――あれだよ。ロッチ応援団名物『ジャンプエール』さ」
見れば、一目瞭然だった。
ロッチの外野席のみならず、内野席のファンたちもみんな総立ちになって、太鼓のリズムに合わせて応援歌を歌い、一斉にジャンプしていた。
数万の観客が一斉にジャンプするのだ。その着地の衝撃は凄まじく、比喩抜きで球場が揺れる。
「うわわ……す、スゴいねぇ~」
春夏秋冬は、驚きと興奮で顔を上気させながら、ロッチの応援につられて足でリズムを取り始めていた。本来、俺たちは北武を応援しなくちゃいけないので、それはやっちゃいけないなぁ……と思いながらも、ついつい圧倒されてつられてしまう気持ちも分かる。
それほど、この『ジャンプエール』は迫力と一体感が凄いのだ。……そして、プレイしている敵チームへの威圧感も……。
そんな異様な雰囲気の中、ロッチの8番バッター・猪上が右打席に入った。彼は、しばしば四番にも座るスラッガーだが、最近スランプ気味で、下位打線に入る事が多くなっている。
だが、不調とはいえ、ボールをバットの芯で捉えれば、やすやすとスタンドまで放り込める力を持っている。この、一点差で無死満塁の状況では要注意のバッターである。
「……」
ふと横を見ると、秋原が前のめりの姿勢で、グラウンドを凝視していた。その顔には真剣な表情を浮かべ、両手はまるで祈るかのように固く組み合わされている――。
その姿は、さながら――、
「……つか、さっきも言おうとしてたんだけどさ――」
俺は我慢できずに、秋原に尋ねかける。頭に浮かんだ疑問の答えを訊く為に。
――と、その時、
グワゴアラガキ――ン!
グラウンドの方から、凄まじい衝突音が聴こえた――!




