田中天狼のシリアスな放課後
「……失礼しました-」
職員室のドアの前で、大きく頭を下げてから、引き戸を閉める。閉じきったドアの前で、俺は大きな溜息を吐く。
――疲れた。
放課後、深村先生に言われた通りに、職員室に出頭した俺だが、そこからが長かった……。
深村のグチグチと重箱の隅をつつく細々とした説教。時たま挟まれる痛烈な皮肉。そんな精神攻撃に晒され続けて一時間……。
もうね、何度途中で話を遮って、「先生、暇っすね」と嫌味の一つでもぶちかましてやろうと思った事か……。
だが、そんな事をしたら最後、説教のロスタイムがどんどん伸びていく一方だ。そう思って、唇を噛み締めながら、何とかタイムアップまで耐えきった。
俺は、艱難辛苦の結果、やっとの思いで取り戻せたスマホの革ケースを愛おしげに撫でながら、職員室を後にする。
「――あ、田中さん! スマホ返してもらえたんですね。良かった……」
「あ……黒木さん」
俺の姿を見かけた、クラスメートの黒木さんが、声をかけてきた。左右に分けた黒髪を三つ編みに結い、大きめの黒縁メガネをかけた、地味目の女子生徒だ。
彼女は、俺にニコリと笑いかけると、俺の手に握られたスマホを指差した。
「でも、知らなかったです。田中さん、スマホをお持ちだったんですね……」
「あ……いや。実は、昨日買ってもらったばっかりで、今日初めて学校に持ってきたんだけど。――まさか初日からいきなり没収されるとは思わなかった……」
「あ……そうだったんですか。――それは、運が悪かったですね……でも」
黒木さんは苦笑して肩を竦めると、一転して、厳しい顔になった。
「――授業中に、スマホを弄っちゃ駄目です! そりゃ、深村先生も怒りますよ!」
「……あ、はい! す、スミマセンでした!」
彼女の迫力に圧されて、思わず直立不動になって素直に謝る俺。……そういえば、彼女は生徒会の書記でもあるんだった。彼女の立場なら、俺を叱るのは当然だ。
と、黒木さんは、俺の直立不動っぷりを見て、口に手を当てて笑い出した。
「ウフフフ……分かればよろしいっ! ……なんて、冗談ですよ」
「あ……そうなんだ。これから説教第二ラウンドが始まるのかと思って、覚悟しちゃったよ……」
「うふふふ……」
黒木さんは、そんなに俺のリアクションが可笑しかったのか、口に手を当ててクスクス笑っていた。
――ふと、笑いの止まった黒木さんは、心なしか顔を赤くしながら、
「……それで、あの……その……」
今度はモジモジしながら言い淀む。
「え……? 何? どうしたの、黒木さん?」
「あの! もし、もし宜しければ……なんですけど……。た、田中さんの、れ……レーンID……教えて……くだ……さい!」
「へ? れーんあいでぃー? ……て?」
俺は、聞き慣れない言葉にキョトンとして首を傾げた。
黒木さんは、ハッとした様子で、目を見開いた。
「あ……? もしかして、『レーン』って知らないんですか?」
「れーん……あー、はいはい! レーンねレーン!」
それなら知ってる……名前だけ。
確か――。何か、色んな相手とメッセージのやり取りをしたり、複数の人が見れる掲示板みたいのを作れるスマホのアプリだ。
風の噂では、ウチのクラスにも専用のグループがあるとか無いとか……。というか、それに参加しないとと思って、買ってもらったんだった……スマホ。
「――レーンIDっていうのは、メールアドレスみたいなもので……それを教え合う事で、レーンを使って、連絡を取ったり、通話したりも出来るんです。……あ、もしかして……」
黒木さんは、メガネの奥の目を大きくして言った。
「……その様子だと……レーンを、まだインストールしてない……ですね」
「あー……そうみたい。いやぁ……何せ昨日買ったばっかりなんで、全然いじってないんだよね……」
「あ……ゴメンなさい。私ったら、そんな事にも気付かないで……」
そう小さな声で言うと、黒木さんはしょんぼりして下を向いてしまった。
……何となく、これはマズい気がする。
廊下を行き交う他の生徒達が、怪訝な顔をして通り過ぎていくのが、視界の端に認められる。……もしかしなくても、この絵面は、『気弱そうな女の子を泣かせる鬼畜男子の図』にしか見えないのではないだろうか……?
「あ、あの……。レーンは、今日帰ったらすぐに入れとくから……明日、黒木さんに教えるよ。今日は……そう! 電話番号なら教えられるから……それで――」
「――電話番号……? いいんですか!」
『電話番号』という単語に反応した黒木さんが顔を上げて、食い気味に詰め寄ってきた。心なしか、瞳がギラギラと輝いている。
俺は、彼女の勢いに気圧されながら頷く。
「う――うん。……俺なんかので良けれ――」
「ありがとうございます!」
またも、俺の返事を食い気味に、感謝の言葉を述べながら、黒木さんはスカートのポケットからスマホを取り出す。
彼女のスマホは、女の子のスマホ……らしくない、漆黒のスマホケースに包まれていた。
……! いや、違う……これは!
「……か、棺桶……?」
「――あ、気付いちゃいました? これは、パニックホラー映画の傑作『ドラキュラ伯 最期の聖戦リターンズ』の主人公が、ラストで封印された聖なる棺桶をモチーフにしたスマホケースなんです! でも、日本では売ってなくて、海外のサイトから直輸入したんです! カッコイイでしょ!」
「へ? あ……ああ。そうだね……」
黒地の革の中央に大きな十字架が打たれて、まるで血しぶきのような赤いワンポイントが所々に施されている、おどろおどろしいスマホケースを誇らしげに見せながら、熱狂的オカルトマニアの黒木さんは、嬉々として早口で捲し立てる。
そのマシンガントークに、俺は完全に飲まれて、まるでおもちゃの水差し鳥の様に、機械的に首を上下させるだけだった……。