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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第三章 田中天狼のシリアスな煩悶・観戦編
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田中天狼のシリアスな役回り

 幕有コーストスタジアムのチケット売り場は、黒いキャップと紺色のキャップを被った大勢の人々でごった返していた。

 売り場の窓口は、『ファンクラブ専用』と『一般販売用』が分かれていたり、十数個のブースに分かれていて、少しでも混雑を緩和しようという努力は見受けられたが、それでも各々の窓口にはズラリと行列が並んでいた。

 そんな売り場の大混雑を一瞥した矢的先輩は、ウンザリした顔を見せたかと思うと、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ――俺の肩を叩いた。


「――よし、シリウス! お前、ちょちょいとこの行列に並んで、全員分のチケット買ってこい!」

「は――はぁ?」


 矢的先輩の無茶ぶりに、当然俺は納得できず、眉を顰めた。


「お……俺ひとりでですか? 何で――」

「つっても、オレたち全員が雁首揃えて並んでても意味ねえだろ? 誰か一人が並んでればいいじゃないかよ。その方がコーリツ的だろ?」

「――だから、何でソレが俺なんですかッ?」


 あまりにも俺ひとりに優しくない理屈を捏ねられ、思わず俺は声を荒げる。

 ――と、


「あら? じゃあ田中くんは、この炎天下で、私やアクアちゃんや秋原さんに向かって、あの行列に並んでろって言うのかしら?」


 撫子先輩が、間に入ってきた。

 俺は、慌てて首を横に振る。


「い……いや。そ……そういう訳では無くですね……」


 撫子先輩の圧に押され、途端にしどろもどろになる俺。


「あ。シリウスくん、ひょっとして寂しいの? じゃあ、あたしもシリウスくんと一緒に並んであげるよー!」


 ……ああ、良い()だなぁ、春夏秋冬(ひととせ)は。俺を気遣って、一緒に並ぼうって言ってくれる。

 ――でも、女の子にそう言われたら……、


「あ! いや、大丈夫! 寂しいとか無いから全然!」


 こう言っちゃうのが、男って生き物なんだよ。

 俺は、コッソリと溜息を吐くと、


「はあ……じゃあ、行ってきますよ」

「おう。 ――あ、そうそう! 買うのは、三塁内野自由席四枚と、一塁側外野席一枚な! 間違えんなよ!」

「……ホントにロッチ側に行く気なんか、アンタは……」


 呆れて、矢的先輩をジト目で睨みつける俺。

 矢的先輩はキョトンとした顔をして、首を傾げる。


「は? そりゃ当たり前だろ? さっきから言ってんだろうが。この格好で、三塁(ビジター)側にいれるかよ?」

「いや……それはそうですけど」


 元々、今回の野球観戦の趣旨は、北武ライオネルズアレルギーの秋原に生の北武ライオネルズを観てもらって、少しでも自分の獅子(ライオネル)という名前に対するコンプレックスを克服してもらおう――そういうものだったはずだ。

 それなのに、言い出しっぺの奇名部部長が「ロッチのファンだから」って動機で、単独行動をして、全力でロッチの応援をしに一塁側外野席に行きたいというのは、全く趣旨に反しているのではないか?


「別に、私はどっちでもいいぜ。ソイツがロッチ側に行こうがどうしようが」


 そう言ったのは、今回の主賓である秋原だった。


「……そんなに行きたいって言うんだったら、みんなで一塁外野席? ってトコに行けば良いじゃん」

「……いやぁ」


 ケロリとした表情でそう言う秋原に、俺は顔を引き攣らせた。


「……さすがに、その格好で、よりによってロッチの外野席に行くのはちょっと……」


 そう言いながら、俺は秋原の格好を上から下まで見る。

 秋原は、北武のキャップ・北武のレプリカユニフォーム・北武のメガホン・北武のフラッグ……と、全身北武一色だった。

 正に、“筋金入りの北武ファン”だ。いや……寧ろ、“フリーク(狂信者)の域にまで到達した、選ばれし者にしか見えない。

 そんな格好をした人間が、プロ野球ファンの中でも、熱狂的で荒っぽいことで知られるロッチ応援団のお膝元である一塁側外野自由席に現れたら――どうなるのかは想像に難くない。

 が……、


「こ……これは別に……北武ファンだからじゃないぞ! パパ……親父に無理矢理着させられたから、仕方なくだな……!」


 秋原は、俺の考えを読んで、顔を真っ赤にして反論した。

 そういえば、彼女の名前の“ライオネル”は、お父さんの命名だって言ってたっけ……。娘と違って、父親は今でもライオネルズのファンらしい。

 ――多分、娘がライオネルズの試合を観に行くと聞いて、嬉しくてレプリカユニフォームを押しつけたんだろうな。……で、秋原も断り切れず、父親の望み通りに、不承不承ながら着てきた――そういう事なのだろう。


 ――何だ、やっぱり、タダの良い奴なんだな。


「な――何だよ! 何をニヤニヤしてるんだよ! 気持ち悪ぃなぁ!」

「あでッ!」


 心の中が表情に出てしまっていたのか、更に顔を紅潮させた秋原に頭を叩かれた。

 俺は、叩かれた頭を押さえながら、頬を膨らませて嘆息した。


「はぁ……分かりましたよ。三塁側を四枚と、一塁側外野席を一枚買ってくれば良いんでしょ? まったく……」

「あ、田中くん」


 ぶうたれながら、矢的先輩から金の入った封筒を受け取り、チケット売り場の前でとぐろを巻く行列の尻尾につこうとした俺の事を、撫子先輩が引き止めた。


 ――お、さすがに不憫に思って、撫子先輩が引き止めてくれるのかな?


 俺は、微かな希望を胸に抱いて、撫子先輩の方に向き直った。


「あ、はい。何でしょう、撫子先輩?」

「一塁側外野席は二枚でお願い。私も矢的くんと一緒に行くから」

「はい?」

「――何か問題でも?」

「……いえ! 滅相もございません!」


 俺は、クルリと踵を返すと、この場から一目散に逃げ出そ――走り去ろうとしたが、


「やあ、やっと見付けたよ、奇名部の諸君」

「げ――! お前は……いや、あなたは――!」


 突然、“奇名部”の単語を耳にし、驚きに満ちた矢的先輩の声も聞こえたので、その足を止めた。


「驚かせてしまったかな? 矢的には言っていなかったのかい、武杉?」

「……ええ、すみません。極力、この(バカ)とは会話を交わしたくなかったので、撫子くんにだけしか話していませんでした」

「……ああ、そういえば、矢的くんに伝えるのをすっかり忘れていたわ。皆さんが、私達の監視(・・)の為に、ここに来るって事を」


 聞き覚えのある、中性的な涼やかな声と、それに応える糞真面目な声色。

 俺は、声の主を見止めて、思わず声を上ずらせた。


「な……行方(なめかた)会長――と、武杉副会長……!」

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