田中天狼のシリアスなキャップ
目的地の幕有コーストスタジアムは、最寄りの海浜幕有駅から徒歩で15分ほどした所にある広い公園の中にある。
「……暑っちぃ……」
俺は、被っていたキャップを取ると、額に浮かんだ汗を腕で拭いながら、眼前に見えてきた幕有コーストスタジアムの外壁と、真っ青な空を仰いだ。
たったの十数分で、すっかり汗だくだ。
梅雨の合間の晴れとはいえ、今まさに中天に輝いている太陽は、もうすっかり夏の顔をしている。
地表に照りつける太陽光線は、殺意を感じるまでに熱く、鋭く、俺たちの肌を刺しまくっていた。
「……ふぅ」
俺の横を歩いている春夏秋冬も、さすがに辟易した様子で、手で仰いで風を送ろうとしているが、正に“焼け石に水”だった。
――と、
「……おい、お前。これ使え」
「え……?」
突然、目の前に濃紺色のうちわを差し出され、キョトンとした表情を浮かべる春夏秋冬。
彼女は、驚いた表情のまま、うちわを差し出した秋原に問い返した。
「……いいの、ししょー? っていうか、ししょーも暑いんじゃ……」
「私は平気だ。ちゃんと、暑さ対策はしてあるから。……っつーか、お前の格好、野外球場で観戦する格好じゃねえぞ。そんな肩出した服なんかじゃ、日焼けになって、風呂に入る時に地獄を見るぞ」
「そう……? ちゃんと日焼け止めは塗ってきたよ?」
「そういう事じゃ無くてよ……」
そう言うと、秋原は困ったように春夏秋冬の格好を見て、彼女の頭に自分の掌を載せた。
「……熱っ! お前、帽子持ってきてねえのかよ?」
「帽子? そういえば、被ってくるの忘れちゃったぁ。えへへ……」
「えへへじゃねえよ! お前、夏の直射日光ナメんなよ! 熱射病になっちまうぞ!」
真顔で春夏秋冬に怒鳴る秋原を見て、俺もハッとした。
俺は慌てて、被り直していた自分のキャップを脱いで、春夏秋冬に向けて差し出した。
「――ほら、春夏秋冬! これ被って!」
「え? ――でも、それって、シリウスくんのじゃ……」
「いいっていいって! 俺は男だから平気だよ!」
戸惑う様子の春夏秋冬に、半ば強引にキャップを押し付けた。
春夏秋冬は、キョトンとした顔をして、手元のキャップと俺の顔を交互に見る。
俺は、内心でドギマギしながら、言葉を付け加えた。
「……ま、まあ、俺のが嫌だって言うのなら、アレなんだけど……」
「――ううん! 全然嫌じゃないよ~! じゃあシリウスくん、ちょっと借りるね!」
そう言って、彼女はニッコリと笑うと、俺から受け取ったキャップを頭に乗せてみせた。
「えへへ……似合うかな、シリウスくん?」
……似合うも似合わないもない。
ちょっとぶかぶかのキャップを被ってはにかみ笑いを浮かべた、ワンピース姿の春夏秋冬は、いかにも女の子らしくて……可愛かった。
俺は、やにわに心臓が跳ねるのを感じながら、それを気取られぬように目を逸らして、大きく頷いてみせる。
「う――うん! すごく……いい――あ、いや……似合ってる! 似合ってるよ! うん!」
「そう? ありがと!」
幸い、春夏秋冬には、俺の心の動揺は悟られなかったようだ。彼女は、いかにも嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
その屈託のない笑顔を前に、俺の顔にも自然と笑みが零れる。
「か――っ、あっちいなぁ! 今にも人体発火を起こして、あした○ジョーみたいに真っ白な灰になっちまいそうだぜ、チクショウめー!」
……春夏秋冬の様子にすっかり和んでいた俺だったが、背後から聞こえた、飲み屋の酔っ払いのような下品な悪態に、その気分はぶち壊された。
俺は、思わずムッとして振り返る。
――と、次の瞬間、唖然とした。
「……矢的先輩、『トイレ行ってくる』って言ってましたけど……。何すか、その格好は……?」
「あ? 見て分からねえのかよ、シリウス? レプリカユニフォームにキャップ、そして手にはメガホン! 野球観戦の正装だろ?」
俺の問いかけに、矢的先輩は口を尖らせた。
そんな先輩に、俺はジト目をしつつ言い返す。
「いや……、それは見りゃ分かるんですけど……。それって――ロッチシーガルズのグッズじゃないですか?」
「ん? そーだけど?」
俺の問いに、ケロッとした顔であっさりと頷いた矢的先輩。俺は、そのあっけらかんとした態度に戸惑う。
「いや……『そーだけど』じゃなくって……。俺たちは、秋原に北武ライオネルズの試合を観てもらう為に、ここまで来たんですよね? ……何で、敵側のロッチのユニフォームを着てるんですか、アンタ……」
「は?」
矢的先輩は、眉を顰めて首を傾げる。……何か、絶妙にムカつくな、その表情……。
「敵側ぁ? いつ、オレがロッチが敵だなんて言ったよ?」
「……はい?」
矢的先輩の物言いに、俺は唖然とした。
「え? ……そ、それって――」
「だからさぁ。ロッチファンが、ロッチのユニフォーム着て、ロッチの応援して、どこが悪いんだよ?」
「……ていうか、矢的先輩、ロッチファンだったんですか?」
「あ? トーゼンだろ?」
俺の問いに、矢的先輩は胸を張って答える。
「そりゃ、地元のチームだもんよ、ここの県民は、みんなロッチを応援しなきゃならねえだろ、常考! ……て、あ」
「……」
矢的先輩の目が、春夏秋冬の頭の上に乗った俺のキャップに移り、その口元に、嫌な笑みが浮かんだ。
「――そういうお前こそ何だよ。そのキャップ、よく見たら、神宮スパローズのキャップじゃねえかよ」
「……う、そ、それは……」
痛いところを衝かれて、しどろもどろになる俺。
「……これは別に……他意はなくって……ウチには、他にキャップが無くて……しょうがなく……」
「ふーん、パリーグの試合でセリーグのキャップ被ってくるような奴が、ロッチの本拠地に、ロッテのユニフォームを着てきたオレに何か意見するんですかぁ? へーッ!」
「……ぐぬぬ……」
嫌みったらしく、大袈裟に肩を竦める矢的先輩を前に、俺はぐうの音も出ずに、歯ぎしりするしかなかったのだった……。




