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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第二章 田中天狼のシリアスな煩悶・勧誘編
20/45

矢的杏途龍のシリアスな挑戦

 「ふえ……?」


 撫子先輩から耳打ちされた内容に、秋原は間の抜けた声を上げて、その目を大きく見開いた。


「お、おい……、そりゃ……冗談だろ? そんな――名字が“郷り――」

「それ以上は言わないで」

「――!」


 秋原は、撫子先輩の口から出たドスの利いた声を耳にして、その有無を言わせぬ迫力に満ちた声色に危険を察知したのか、慌てて口を押さえる。

 撫子先輩は、やや俯くと、


「……冗談だったなら、どんなにかいいのにね」


 と、苦笑いを浮かべた。

 その、色々な感情が複雑に入り混じった微笑を見た俺たちは、ハッとした。

 ひょっとして――その強烈な強さや性格で、普段はあまり意識してはいなかったが、本当は、この部屋に集う人間たちの中で、彼女が一番、望まずに付けられた自分の名前に翻弄され、悩んでいたのではないか――? 俺なんかよりもずっと……。

 秋原も、同じ事を考えたのだろう。神妙な顔になって、撫子先輩に小さく頭を下げた。


「そ……その、すまねえ……。『私の事なんか、お前らには解らない』……なんて言っちまって。……確かにアンタは……いや――先輩は、私と同じ……いや、私なんかよりも、ずっと大変だったのかもしれない」

「ううん。謝る事なんて無いわよ。というか、どっちが大変だったかなんて、誰にも解らないわ」


 撫子先輩は、秋原の謝罪にニコリと微笑むと、頭を振りつつ、そう言った。


「そんな不幸の大きさを比べ合う事をしたってしょうがないわ。第一、不幸なんて、受けた本人の絶対評価なんだから、他人と比べられるものでは無いし……でもね」


 そう、優しい声で言うと、撫子先輩は、秋原の金色の髪を優しく撫でながら言葉を継いだ。


「――大切なのは、自分と同じ経験をしてきた人が他にも居る事に気が付く事。同じ境遇の人が側に居れば、それだけでも随分と気が楽になるものよ。――そうでしょ、田中くん?」

「――ふへっ?」


 突然、撫子先輩から話を振られた俺は、完璧に不意を衝かれて、間の抜けた声を出してしまった。

 その、間の抜けた俺のリアクションに、矢的先輩と春夏秋冬(ひととせ)、そして秋原までもが吹き出した。

 俺は、三人の失笑が零れる中、目を白黒させながら、一生懸命言葉を探す。


「いや……ま、まあ、確かに……気が楽になったっつーか、居場所が出来たというか……いや、よく解らないけど、そのー……」

「あ、もういいわ、田中くん」


 言い淀む俺を、撫子先輩が、一片の慈悲すら無い冷たい声で遮った。


「あ……あの……」

「もういいわ。髪の毛程も思ってもいない様な事を無理矢理捻くり出そうと、一生懸命悩まなくても。話を振った私が悪かったわ、ごめんなさい」

「……あ、いや……」


 思ってもいないなんて事は無くて、俺はそれなりに、この奇妙な名前の集まり(奇名部)の存在に救われてはいるのだけれど……咄嗟には上手い言葉が出てこなかっただけで……。

 と、アタフタする俺に、メガネを光らせ、ゲスい薄笑いを浮かべながら詰め寄ってくるのは、もちろん矢的先輩。


「何だよ、シ~リ~ウ~ス~! お前、こんなに長く付き合ってるクセに、そんなに薄情だったのかよ~!」

「いや、別に思ってない訳じゃ無いし! 俺は俺なりに――」

「ん~? 何なに? ひょっとしてキミは、ぼっち不可避だった自分を引き入れてくれた偉大な矢的大先輩様に、言葉には表せない程の恩を感じてくれちゃってたりするのかな~?」

「は……はぁ~? ん、んな訳ねえだろが! だ、第一、アンタが俺を奇名部に引きずり込んだのは、四人いないと創部が出来なかったからだけじゃないか! ――今回の秋原と同じように!」

「――あ! ……そういえば、そうだった!」


 矢的先輩の恩着せがましい言葉に、思わず頭に血が上って叫んだ俺の言葉に、声を上げたのは秋原だった。

 彼女はブンブンと頭を振りながら、顔を真っ赤に上気させて怒鳴った。


「何か、いい話っぽい事言われて、危うく流されるところだった! アンタらの目的は、私をこのキミョー部に入部させて、部を存続させたいって事だった!」


 秋原は、首をブンブンと振って決然と叫ぶ。


「だが断る! ……確かに、名前で悩んでるのは私だけじゃないって事に気付けたのは……嬉しいけど。……だからって言って、あんた達の部に入るつもりは無いから! ……だって――」


 秋原は、そう一気に捲し立てると、大きく息を吸って、最後の一言を吐き出した。


「私は、水泳部に入るんだからっ!」


 ……そういえば、さっき、春夏秋冬(ひととせ)が彼女を捕まえたのは、屋上のプールサイドだった。彼女は、水泳部に入部する前段階として、見学に来ていたのだろう。


「あ……ナルホドぉ!」


 一瞬、キョトンとした表情を浮かべた春夏秋冬(ひととせ)は、ポンと手を叩いて、大きな声を上げた。


「そっかぁ。ししょーは、水泳部に入りたかったんだね。――確かに、泳ぐの上手だったし……じゃあ、しょうがないね」

「あ……うん……何かゴメンな」

「謝る事無いよー。――というか、こちらこそごめんね。もう入る部が決まってるんだったら、奇名部(ウチ)に入ってもらう事は出来ないのに、引き止めるような事しちゃって……」


 そう言うと、春夏秋冬(ひととせ)は眉をへの字に曲げて、秋原に向かってペコリと頭を下げた。

 俺と撫子先輩も、彼女に倣って頭を下げる。

 秋原は、顔を真っ赤にして、慌てた様子で掌をブンブンと横に振る。


「いや! 大丈夫だから! そんな風に改まって謝られると……困る! 分かってくれれば、私はいいから――」

「よおおおおおおおおくなああああああいっ!」


 秋原の言葉は、馬鹿でかい絶叫に遮られた。

 ぷうと頬を膨らませた矢的先輩が、地団駄を踏みながら、激しく首を左右に振りまくっていた。


「水泳部なんて止めておけ! どうせ、県大会に出ても、せいぜい三回戦で消えるような弱小なんだから!」

「は……は――ッ?」


 矢的先輩の暴言に、秋原の眉が吊り上がる。


「そんなの、お前に言われる筋合いは無えよ! どこの部活に入ろうが、私の勝手だろうが!」

「いーやっ! コッチとしても、ようやく見付けたカモ……ごほん、逸材は逃す訳にはイカン!」


 ……いや、思いっきりカモ呼ばわりじゃん。

 そんな、俺の冷めた視線にも気付かぬ程にヒートアップした矢的先輩は、人差し指を立てて、ビシッと秋原に突きつけ、どこぞの小学生名探偵の様なドヤ顔をしつつ大音声で叫んだ。


「要するに、お前は、自分の名前に自信が持てなくって、奇名を誇る我が奇名部に入るのを躊躇っている――そういう事だろうっ?」

「は……はぁあ?」


 矢的先輩の断定に、秋原は素っ頓狂な声を上げる。


「いや……ちげーって! アンタ、人の話を聞いてたのかよ! 私は、元々水泳部に――」

「いーや、口ではそんな事を言っていても、オレには何でもお見通しだ!」


 秋原の話を途中で遮り、矢的先輩は首が千切れんばかりに大きく横に振った。


「要するに、お前は、その“ライオネル”という名前の元になった北武ライオネルズに、悪いコンプレックスを抱いている訳だ! ならば、その悪い印象を払拭すれば、コンプレックスも消え、我が奇名部への入部を妨げる心理的障壁は無くなる――そういう事だな!」

「いや……そういう事では無くて――」

「――現に、そういう経緯で、すっかり奇名部に馴染んだ奴も居るしな。――なあ、シリウス?」

「――はいぃ?」


 今度は、俺が素っ頓狂な声を上げる番だった。

 俺は、激しく首を傾げながら、すっかり自分の言葉に悪酔いしている矢的先輩に訊いた。


「ちょ――ちょっと待って下さいよ! 何で、そこで俺に話が振られるんすか?」

「だって、お前の『変なBLマンガの主人公から付けられた名前が嫌だった』ってグジグジ引きずってたのを、オレが華麗に払拭してやったら、泣いて喜んでたじゃん」

「は――はあぁ?」

「ちょっと、アンディ先輩!」


 俺が抗議の声を上げるよりも早く、頬を膨らませて怒りの声を上げたのは、春夏秋冬(ひととせ)だった。

 いいぞ、春夏秋冬(ひととせ)! もっと言ってやれ!


「――『炎極』を変なBLマンガなんて言わないでッ! あの作品は……“神作”なの!」


 ――って、そっちかーいッ!

 俺は、盛大にずっこけた。

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