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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第一章 田中天狼のシリアスな煩悶・再開編
2/45

田中天狼のシリアスな文字変換

本編はここから始まります!

挿絵(By みてみん)

【イラスト・紅蓮のたまり醤油様】


 ……蒸し暑い。

 コンビニのレジカウンターに置いてある肉まんやあんまんにでもなった気分だ……。


 俺は、そう思いながら、下敷きを手に持ち、バタバタと音を立てて扇ぐ。湿気で重たくなった生温かい空気が、俺の頬を撫でていく。

 涼しいとは到底言えないが、空気の流れを感じる事で、蒸し暑さは心なしか和らぐ。

 6月も最終週に差し掛かろうという日の3時間目。教室の外では、しとしとと、陰鬱な音を立てながら、細かな雨が降り続いている。

 俺は、肌にべとつく蒸し暑さに辟易しながら、黒板の上に取り付けられた時計を見る。

 ――福音(チャイム)が鳴るまでは……あと22分。

 先程から、現国教師の深村は、無言のまま、一心不乱に白いチョークを黒板に走らせ続けている。

 一説によると、板書で飛んだチョークの粉を浴び続け、終鈴のチャイムが鳴る頃には、全身真っ白になってしまった逸話から付けられたという『ホワイトチョーカー深村』の異名は、伊達では無い、という事か。

 ただ、深村先生による渾身の板書は、全く教え子達には届いていない。彼が、黒板に向かっているという事は、即ち、生徒に対しては背中を向け続けて居るという事。彼の目と注意が逸れている隙を、退屈で倦んだ生徒達が衝かないはずが無い。

 頬杖をついて、つかの間の微睡みに身を任せる者、

 それどころか、机の上に突っ伏して、完全爆睡モードに移行した者、

 教科書と重ねた漫画雑誌をペラペラとめくる者、

 机の下で、スマホ画面に指を滑らせながら、何やら閲覧している者――。


(あ――、そうか)


 その時、俺は閃いた。このどうしようも無く気怠い授業の残り時間を、極めて有効に活用する作業を。

 俺は、机の脇に吊り下げたカバンの脇ポケットをまさぐり、それ(・・)を取り出した。

 “それ”というのは、革製の手帳型ケースに嵌め込んだ、真新しいスマホ。

 つい昨日、母から手渡されたおニューのスマホだ。

 俺個人としては、特に必要という訳では無かったのだが、何やら、スマホアプリを利用したクラスのグループ掲示板とやらで連絡事項を流したりと、持っていないとクラスから取り残される切実な危機だったので、母のスマホのファミリープランを利用して、遂に手に入れたのだ。

 昨日の今日なので、もちろんこのスマホには何の情報も入っていない。なので、この空隙の時間を利用して、データの登録をしよう――というのが、閃いた内容である。

 電源ボタンを押すと、スリープ状態だった大きな液晶画面がパッと明るくなり、カラフルなアイコンが等間隔に並んだホーム画面が表示される。俺は、その中から、電話の受話器の形をしたアイコンに軽く触れる。

 すぐさま画面が切り替わり、電話機のボタンを模したキーパッドが表示される。


「……おお」


 俺は、感動の余り、思わず声を上げ、我に返ると慌てて教壇の方を確認する。――大丈夫だ。深村先生は、相変わらずチョークを介した黒板との対話に夢中だ。

 俺は、再び目の前の小さな液晶画面に目を落とし、画面の下に『連絡先』と書かれた手帳のボタンを確認した。

 ボタンに触れると、名前と電話番号がズラッと……出てこなかった。

 現時点で登録されているのは――「母親」と書かれた、たった一行だけ。

 …………まあいい。これからだ。これから、この電話帳は友人達の名前と電話番号で埋め尽くされる……はず……。

 と、へこたれかけた気を取り直して、尻ポケットから、四つ折りにされた1枚のメモ用紙を取り出す。

 書かれているのは、俺が所属する部活「奇名部」の部員達3人の名前と電話番号だ。

 他に入れる電話番号も無――ゴホン。……一応世話になっている人たちなので、優先して入れてやろう、うん。

 先ずは……部長だな、順番としては。……一応(・・)

 俺は、慣れないフリック入力とやらに苦戦しつつ、ひらがなで入力する。


『やまとあんどりゅう』


 さて、変換してみよう……。


『大和アンド流』『ヤマトアンド流』『大和アンド龍』『大和アンド竜』……


 ――うん、予想してた。一発変換なんか出来やしないって。

 ……にしても、『大和アンド龍』……新手の男性フォークデュオグループだろうか……?

 ハア……と、俺は溜息を吐くと、一度入力を消して、一文字ずつ入れ直す。

 …………出来た、『矢的杏途龍』――、


「……って、そりゃ、こんなモン変換できねえわ!」


 ――あ、しまった。つい、我を忘れて、声が……。深村のチョークを走らせる手が止まり、振り返ろうと頭が動く――。


「――ゴホッ! ゴホ、ゴホッ! ガハッ! ゴホッ!」


 窮余の策で、思いっきり咳き込む俺。

 ――深村の頭は、45度回転したところで止まり、また黒板へと向き直った。……良かった、何とか誤魔化せたようだ。

 冷や汗を拭い、気を取り直して、俺は次の入力へ取りかかる。

 リストには電話番号と、『撫子』とだけ書いてある。

 ……………………うん。

 俺は、力強く頷くと、『撫子先輩』と入力し、確定ボタンを押した。

 ――え? 「名字は?」だって?

 Hahaha! やれやれ……これだから前作未読(ルーキー)は。

 ……いいかい? 『田中天狼』シリーズ初心者の君に、いい事を教えてあげよう!


 ――『撫子先輩の名字に言及してはいけない』……いいね。



 ごほん……。さて、次は……。

 ――う~ん、こりゃ無理だろ。……と、入力する前に諦めた感があるが、モノは試しだ。


『ひととせあくあ』


 ――さて、変換。ポチッとな!


『一歳アクア』『一年アクア』『人と背アクア』『人と瀬アクア』『ヒトとセアクア』


 ――はい、想像通り。如何にAIが進歩しようと、彼女の名前の一発変換は出来ない。

 俺は、うんうんと頷くと、改めて入力し直す。


 『しゅんかしゅうとうみず』……変換。

 『春夏秋冬水』


 俺は、無事変換できた事を確認して、最後の確認ボタンを押した。電話帳に、新たな連絡先が3件追加された。

 ――やれやれ。


「――これで良し、と」

「……ふうん、それは良かったな、田中」

「へ――?」


 俺の独り言に、想定外の相槌を打たれ、俺は間の抜けた声を出して、顔を上げた。


「あ――……」


 俺を見下ろす、深村先生の渋面が、そこにはあった。

 ……どうやら、俺がスマホを弄るのに夢中になっている間に、とっくに終鈴は鳴ってしまっていたらしい。


「私の授業で、ねっとさーふぃんとは……いい度胸じゃあないか、え?」


 「先生……今時「ネットサーフィン」は死語なのでは……」というツッコミを、慌てて喉の奥に押し込む。この状況でそんな発言をしようものなら、たちまち深村先生のレイドゲージがレッドゾーンに突入する――。

 だが……どうやら、ツッコミがどうのという以前に、先生の頭上に表示されているマスクゲージは振り切れていたらしい。


「取りあえず、コイツは没収だ」

「あ……」


 声を上げる間もなく、俺の指の間からスマホを抜き取って、ずいと顰め面を近づけてくる深村先生。「……スミマセン、口臭と加齢臭がキツいっす……」――俺は、喉まで出かかったその言葉も、必死で飲み込む……言いたい事も言えないこんな世の中じゃ……ポイ○ン。


「――放課後に、職員室の私の机まで取りに来い。いいな、田中シリアス(・・・・)

「……はい……て、いや、違う!」


 俺は、頷きかけて、違和感に気付いて、思わず大声を出した。

 深村先生は、俺の叫びに一瞬気圧されたようだったが、すぐに眉根を寄せた顔を、さっきよりも近づけてきた。


「……『違う』? お前、先生に向かって随分――」

「あ……す、スミマセン、つい。……で、でも、違うモノは違うので……」

「……あ? 何が違うんだよ?」


 深村先生は、怪訝な顔で首を傾げた。

 俺は、これ以上失言しないように、慎重に言葉を選びながら答える。


「あの……名前……なんですけど」

「名前? 田中だろ?」

「あの……そっちでは無くて、下の名前……」

「下の名前って……変……珍しい名前だから覚えてるよ。――シリアス(・・・・)だろ?」


 深村先生は、キョトンとした顔で、そう言い切る。

 いや……


「……違います。シリウス(・・・・)です……天の狼と書いて“天狼(しりうす)”……です」

「……あ」


 深村先生は、やっと気付いたらしい。顔を赤らめて、目を逸らす。


「……何だ、その……。すまん」

「……あ、いえ。――大丈夫っす」


 ……つか、何だこのやり取り! ラブコメのぎこちないやり取りかよ! 脂ぎった中年教師相手に……気持ち悪っ!

 ――そんな気持ち悪さを感じていたのは、相手(ふかむら)も同じだったらしい。

 深村先生は、ごほんと大きく咳ばらいをすると、背を伸ばして、俺のスマホを持つ手を振った。


「と――とにかく! これは預かっとくからな! 放課後に職員室まで取りに来い、いいなっ!」

「…………はい」


 俺は、不承不承頷き、教室から立ち去る深村先生の背中を恨めしげに見送る。


「…………はあ」


 俺は、椅子の背もたれに身体を預けると、大きな溜息を吐く。

 放課後が憂鬱だ……。――どうやら、


 田中天狼(しりうす)のシリアスな日常は、今日も続くらしい……。

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