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田中天狼のシリアスな煩悶  作者: 朽縄咲良
第二章 田中天狼のシリアスな煩悶・勧誘編
19/45

撫子先輩のシリアスな告白

 「……私の、獅子(ライオネル)って名前は、お父さ……親父が付けたんだ」


 秋原は、苦々しい顔をしながら、低い声で話し始めた。


「もちろん、小さい頃は名前の意味もよく分からなくて、別に名前を呼ばれても抵抗はなかった……良く覚えてねえけど。それに、周りの大人たちも『可愛らしい名前だね』とか言って、私を褒めてくれてた……はず」

「か……可愛らしい……?」


 俺は、思わず呟いたが、慌てて自分の口を塞ぐ。女の子の名前で『獅子』という漢字は、“子”が付くとは言えど、正直字面が勇ましすぎるような気がするのだが……。

 まあ、幼稚園の頃までは、名札はひらがなの『らいおねる』か、カタカナの『ライオネル』だろうから、そこまで奇異でも無かったのだろう。

 ……少なくとも『シリウス』よりは。

 そんな事を考えて、人知れず勝手にダメージを負う俺だったが、秋原の話は淡々と続いていく。


「……でも、そんな時期も、十年前で終わった。――そう、“黒獅子事件”のせいで、な!」

「……ところで、その、“黒獅子事件”って、一体何なのかしら?」


 撫子先輩の言葉に、俺と春夏秋冬(ひととせ)は大きく頷いた。

 その、俺たちの疑問に答えたのは、秋原では無く、矢的先輩だった。

 彼は、縁なしの眼鏡をクイッと持ち上げると、静かに言葉を紡ぐ。


「……十年前のドラフト会議直前に、ある週刊誌がスッパ抜いたんだよ。『北武ライオネルズのスカウトが、その年のドラフト候補の有望株に多額の裏金を渡して、逆指名させようとした』ってな」


 矢的先輩は、珍しく悲痛な表情を見せながら、言葉を継ぐ。


「……今はもう廃止されてるんだが、その当時には『逆指名制度』ってのがあってな。その選手が、事前に『この球団に入りたい』って宣言すれば、球団はドラフト会議前に、その選手を実質的に獲得できる――そういう制度だったんだ」

「あ――、もしかして……」


 俺は、矢的先輩の説明で、話が見えたような気がした。


「北武ライオネルズは、その制度を悪用しようとして、実力のある選手に裏金を――」

「そういう事」


 俺の言葉に、矢的先輩は頷く。


「それもひとりふたりでは無いレベルでな。更に、選手自身だけじゃ無くて、その所属しているチームの監督やら恩師やらにも、景気よくばらまいていたってのが、一気に明るみに出ちまった」


 そこまで喋った矢的先輩は、パイプ椅子にどっかと腰を下ろすと、皮肉気な薄笑みを浮かべて、言葉を継いだ。


「当然、北武ライオネルズは球界全体――いや、日本中から糾弾されまくって、オーナー含めた経営陣が、事態の沈静化の為に纏めて辞職する程に追い詰められた。……でも、それだけでは収まらずに、北武ライオネルズは、その年のドラフト会議の参加権を剥奪されたんだ。……ほら」


 そう言うと、矢的先輩はポケットからスマホを取り出し、操作して開いた画面を俺たちに見せた。

 それは、十年前のドラフト会議の指名選手一覧で、他の11球団には、指名した選手の名前やデータが載っていたが、『北武ライオネルズ』の欄は真っ白だった。


「……本当だ」

「……! もしかして――」


 俺と一緒に、スマホの画面を覗き込んだ春夏秋冬(ひととせ)が、何かに気付いたように顔を上げ、秋原の方に顔を向けた。


「もしかして……ししょーのお父さんが、そのプロ野球チームに居て、この問題のせいで無理矢理辞めさせられちゃったから、獅子(ライオネル)って名前が嫌になった――とか? ――うん、そうだね、そうに違いなーい!」

「え……あ、いや……違うんだ、ゴメン」


 目をキラキラ輝かせて、自信満々で自分の推理を披露した春夏秋冬(ひととせ)を前に、秋原は気まずそうな表情を浮かべながら(かぶり)を振った。


「……ウチのお父――親父は、娘の名として贔屓球団のチーム名を付けるくらいに北武ライオネルズの熱狂的なファンだっただけ(・・)の、タダのしがないサラリーマンだよ……。何か、ゴメン……」

「あ、そーなんだ……」


 自分の推理が外れて、しょぼくれる春夏秋冬(ひととせ)

 ……つか、“だけ”って……。その前につく枕詞が、大分破壊力あるんですけどね……。

 秋原は、コホンと一つ咳払いをすると、再び口を開いた。


「……で、その事件――通称“黒獅子事件”のせいで、俺は同級生のみんなからからかわれたり、苛められたりするようになってしまった……。ただ、『悪いプロ野球球団と同じ名前』だってだけで……」

「……」


 彼女の告白に、暫しの間、俺たちは言葉を失った。

 『親に付けられた名前がきっかけで苛められ、自分の名前が嫌いになった』――もしかすると、普通の人は『そんな程度で』と鼻で嗤うような話なのかもしれない。

 だが、俺は――俺たち奇名部のメンバー(・・・・・・・・)にとっては、他人事では無い話だった。

 俺はもちろん、春夏秋冬(ひととせ)も撫子先輩も、もしかすると矢的先輩でさえも、秋原と似たような体験をしているに違いないのだ。

 特に俺は――秋原と重なるところが多いと思う。

 俺の――田中天狼(シリウス)の場合は、『炎愛の極星』というBLマンガの主人公から付けられた名前だったが、そのマンガ自体の一般的な知名度は低かったのでまだ良かったが、秋原の場合は、全国的に知名度のあるプロ野球球団から付けられたと一目で分かる名前だ。

 しかも、不祥事によって、好感度は最悪。

 黒獅子事件からの十年間、秋原がどんな風にからかわれたり、苛められたりしていたのか、想像するのは難しくない。

 ある意味俺よりも、辛い体験をしているのかもしれない――。


「……そう。……それは、辛かったわね……」


 ――と、部室を覆う沈黙を破ったのは、撫子先輩だった。

 彼女は、その整った顔に、慈母のような表情を浮かべて、静かな声で秋原に語りかけた。


「貴女が……秋原さんが、その名前をそこまで嫌う理由がよく分かったわ」

「ふ――ふん! そんな訳ねえだろ! お前らは、ただ単に“変な名前”だってだけだろうが! 私の受けてきた仕打ちに比べたら――!」

理解(わか)るわよ。……私は特に(・・・・)


 ヒステリックに叫ぶ秋原の声を、撫子先輩の凜とした言葉が制した。

 その、撫子先輩の声のトーンに、俺たちはハッとして顔を見合わせる。

 小さく息を吐いて、撫子先輩は、その流れるような黒髪を手で梳き上げた。

 そして、ツカツカと秋原へと近付いていく。


「な――何だよ、アンタ……」

「……」


 秋原が咄嗟に身構えるが、撫子先輩は無言のまま、どんどん間合いを詰めていく。


「――! ヒッ!」


 堪らず、恐怖に駆られた秋原は、撫子先輩に右手を突き出すが、彼女はその鉄拳をいとも容易く避けた。

 そのまま、突き出された右腕を掴むと、逆に秋原の身体を自分の方へと引き寄せる。


「な――っ!」


 腕を引かれ、バランスを崩した秋原は、思わず撫子先輩へもたれ掛かる。

 その肩を優しく受け止め、撫子先輩は一瞬だけ目を閉じると、静かな声で言った。


「……だって、私は……私の名字は――」


 そして、ゆっくりと秋原の耳元に、その形のいい唇を近づけると、俺たちに聴こえない程の小さな声で囁いた。


「――!」


 ……俺は驚いた。

 ――あの撫子先輩が、自分から、その名字を他人に伝えた……! それは、“郷里羅(ごりら)”という自分の名字を忌み嫌い、決して明かさず、他人にも口にさせない普段の彼女からは、とても考えられない行動だった。

 驚いていたのは、俺だけじゃない。春夏秋冬(ひととせ)も、その大きな目を更に大きく見開いて、茫然と撫子先輩と秋原を見ている。

 ――そして、この男も。


「……おい、シリウス――」


 矢的先輩が、俺の背中の方から、そう囁きかけてきた。俺は、肩越しに振り返って答える。


「どうしたんですか、矢的先輩? やっぱり、矢的先輩も、まさか撫子先輩が自分から名字を打ち明けるとは思わなか――」

「いや、それはどうでもいいんだけどさ」

「――はい?」


 ――どうでもいい?

 俺の言葉をあっさりと否定した矢的先輩は、両手で四角形を作りながら言葉を継いだ。


「……お前さ、スマホ持ってない? 俺のスマホは机の向こうだからさ……あったら、ちょい貸して」

「は――? ま、まあ、一応持ってますけど、何でこの空気でスマホを?」


 矢的先輩の奇妙な頼みに、俺は首を傾げながら聞き返した。

 と、矢的先輩は、ゲスオブゲスとしか表現しようのないいやらしい表情を浮かべながら言ったのだった。


「……決まってるだろ? 見目麗しい娘ふたりが顔を寄せ合ってるんだぜ? こんなシャッターチャンスを逃す手は無いだろうが。コッソリ写真撮って、そういう(百合)ジャンルが大好物な、漫研の兄村辺りに高値で売り込んで――」

「……アンタ、本当にサイテーだよ……」

 文中の『黒獅子事件』は、2007年に発覚した、西武ライオンズの裏金供与事件を元にしてはいますが、あくまで架空の事件です。元々の事件から3倍くらい数字と規模を盛ってますので、悪しからず。

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