田中天狼のシリアスな共感
「だが、断る」
――そう、きっぱりと言い切った秋原を前に、俺と春夏秋冬は固まる。同時に、俺の傍らでタオルを被って突っ伏していた矢的先輩の肩がピクリと動いたのが見えた。
俺と春夏秋冬は、思わず顔を見合わせ、そして、恐る恐る、横の方へ視線をずらす。
が、
「――あら」
俺たちの懸念とは違って、撫子先輩は意外そうな声を上げて、小首を傾げただけだった。
彼女は、秋原に向かってニコリと微笑みかけると、
「……もし良かったら、その理由を訊いてもいいかしら、秋原さん?」
と、涼やかな声色で言った。
秋原は、やや膨らませた頬を掻きながら、目を逸らしながらモゴモゴと言った。
「理由……? そりゃ……気が進まねえからだよ。あんた等の言う”キミョーブ”ってヤツに入部るって事にな」
「気が進まない……そう」
撫子先輩は、秋原の言葉をオウム返しに呟くと、彼女の顔をジッと見つめた。
「――な、何だよッ? 何、ヒトのツラを見てやがるんだぁ? め、メンチ切ってんのかよ! やる気か、コラぁっ!」
撫子先輩に無言で見つめられ続けた秋原が、顔を真っ赤にして喚いた。本人としては、そのスケバンの格好通りに、ヤンキーっぽく凄んでいるつもりなのだろうが、全く凄味を感じない。寧ろ、大阪の何とか劇場でのコントに出てくるチンピラ役の様な滑稽さを感じる。
――と、
「何故に……ぬぁぜに、断るんだァァァァッ、チミはァッ!」
突然、ずぶ濡れでタオルを被って縮こまっていた矢的先輩が、絶叫しながら勢い良く立ち上がった。
「つ、冷たァいッ!」
矢的先輩から撥ね飛んだ水の雫を、マトモに食らった俺は、思わず悲鳴を上げる。
が、部室内の三人の意識は全て、復活した矢的先輩に向けられていて、悲鳴を上げた俺の事を気にかけてくれる娘は誰も居なかった……。
悲しい気持ちで顔を拭く俺の横で、矢的先輩は顔を上気させながら捲し立てる。
「おい、秋原ァッ! 秋原……秋原――ラ……ライ――ラオ……?」
「……ライオネルさんよ、矢的くん」
威勢よくがなり始めたものの、秋原の名前に詰まる矢的先輩に、小声で助け舟を出す撫子先輩。
その声を耳にして、「あ、そうそう」と頷いた矢的先輩は、こほんと咳払いをして、”演説”を再開する。
「えーと、秋原ライオネルうっ! 君は、その恵まれた名を無駄にするつもりなのかねエッ?」
「……恵まれた……だってッ!」
矢的先輩の言葉に、まなじりを吊り上げた秋原が、長机を拳で叩く。
そして、興奮した口調で、矢的先輩に負けじと声を張り上げた。
「アンタさあ! 私が今まで、どれだけこのクソッタレな名前で悩まされたと思ってるんだよ! 『獅子と書いてライオネル』……そう、名前と漢字を言う度に言われるんだよ、『何そのヘンテコな名前?』ってさ! そのリアクションを受ける度に、地味に傷つくんだよ、コッチはよぉ!」
……あれ?
「おかげで、小学校からずっとずっとからかわれ通しだよ……。それで、少しでもナメられないように、中学に入ったら髪を染めたり、制服を着崩したりしてツッパって……。でも、ホンモノの不良は……怖いから……連む事も出来なくて……友達のひとりも出来た事が無い……」
彼女の言葉は、だんだんと勢いを失い、語尾は微かに震えていた。俺は、彼女の血を吐くような言葉を、心の古傷を抉られるような気分で聞いていた。
――ああ、そうなんだ。
彼女は、少し前の俺と同じなんだ。
『炎愛の極星』というボーイズラブマンガの主人公から付けられた“天狼”という自分の名に人生を歪まされ、忌み嫌っていた、高校入学直後までの自分と――。
「――分かるよ!」
気が付いたら、そう叫んでいた。突然声を上げた俺に、その場にいた全員――殊に、秋原がビックリした顔で俺の事を見る。
「あ……その……」
俺は、みんなの注目を浴びてたじろいだが、奥歯を噛み締めて覚悟を決めると、一気に思いの丈を吐き出した。
「――分かる。分かるよ、秋原、その気持ち! ……俺も、同じだった。天狼なんて、他の人には絶対に初見で読めない名前を、親に勝手に付けられてさ……。しかも、名の由来なんて『絶対に言えない!』って思うレベルの酷いアレで――」
「えーっ? ステキだよ、シリウスくんの名前~!」
俺の言葉を捕まえて、春夏秋冬が不満そうに声を上げた。
……て、いや、今はそこに引っかかるの止めて……!
そんな俺の内心も知らず、頬を膨らませた春夏秋冬が、何故か自慢げに話し始める。
「シリウスくんの名前ってね~、炎極……『炎愛の極星』っていうマンガの主人公の、天狼・N・サナドアス様から取った、とっても良い名前なんだよ~」
……言っちゃったよ。
俺は、顔が火を噴いたかと思う程に熱くなるのを感じて、思わず顔を伏せる。
「……え、『炎愛の極星』……?」
――ほら、そんなドマイナーBLマンガのタイトルをいきなり持ち出されて、秋原も困ってるじゃないか……。
「――て、アレか! 今度、『月刊サファイア』で連載始まるっていう、昔のエロマンガの!」
「…………!」
ああああああああああああっ! 何で『炎愛の極星』知ってるんだっ! 秋原ァアアアッ!
と、脳内で頭を抱えて悶絶する俺を尻目に、春夏秋冬は満面に笑みを浮かべて大きく頷く。
「そう! そうなの! ――正しくは、“連載再開”なんだけどね! ……ひょっとして、ししょーも、イケる口なの、ソッチ系?」
……止めなさい、春夏秋冬! 年頃の女の子が、そんなゲス顔で“ソッチ系”とか言うの……。
「……ま……まあ……ね」
――て、否定しないんかい、秋原ぁっ!
「……良いわよね、美男子と美男子の、禁じられた純愛の逢瀬……」
……いや、撫子先輩まで、その話題に絡んでくるんすか……。
――
て、いうかさ……。
『炎極』ネタで女子たちの間で盛り上がったせいで、さっきまでのシリアスな空気が明後日の彼方にすっ飛んじまったじゃないのさ……。
せっかくの俺の見せ場……返してくれよぉぉぉっ!




