奇名部のシリアスな勧誘
それから30分後、俺たち奇名部員四人と――秋原獅子は、奇名部の部室のパイプ椅子に腰を下ろしていた。
俺たちと秋原は、暫くの間、お互いの出方を探るように口を噤んでいたが、その沈黙を破ったのは秋原の方だった。
「……で、一体どうしたんだ、ソイツ――?」
と、辟易した様子の彼女が顎をしゃくって指したのは、
「……こわいよぉ。ぷーるこわいよぉ……」
と、バスタオルを頭から被ってガタガタと震える矢的先輩だった。
彼の茶髪はグッショリと濡れて、まだポタポタと水滴を垂らしている。
――当然だ。先程、プールサイドで秋原の渾身のドロップキックを喰らった矢的先輩は、水を満々と湛えたプールの中へ、派手な水飛沫を上げながら転落したのだから。
……だが、矢的先輩が震えているのは、ずぶ濡れになった身体が冷えてしまったからだけではない。
「うーんとねぇ。アンディ先輩は、思い出しちゃったみたいなんだよねぇ」
珍しく困り顔の春夏秋冬が、矢的先輩の頭に新しいタオルを掛けて、ゴシゴシと拭きながら言った。
彼女の言葉に、「……思い出した……? 何を?」と首を傾げる秋原に、俺は詳しく答えてあげる。
「――矢的先輩は、ゴールデンウィーク前に、同じようにプールの中に蹴り落とされてるんだよ。その時は今日と違って、まだ清掃前で、プールに溜まってたのはきったない水だったからさ……」
今でも、その時の光景は鮮明に思い出せる。何せ、その日は記念すべき……いや、忌むべき、矢的先輩との初遭遇の日だったからだ。
俺は、その時の事を思い出して、苦々しい感情に心を侵されつつ、言葉を続けた。
「――その日から、何か色々と発症した矢的先輩は、病院に担ぎ込まれて、ゴールデンウィーク明けまで入院してたんだよ。……多分、その時に刻まれたトラウマが、呼び覚まされて――こうなったんじゃないかな……って」
「……なんだそりゃ?」
俺の言葉に、秋原は鼻白んだが、相変わらず「こわいよ……こわいよぉ……」と震え続ける矢的先輩の様子を見て、認識を改めたようだ。
「……まあ、この様子じゃ、あながち嘘って訳でも無さそうだな。確かにちょっと可哀相……。というか――」
と、彼女は、眉根を寄せた険しい顔になって、身を乗り出した。
「そんな汚れたプールに蹴り落とすなんて、酷い事をした奴は一体誰なんだ?」
「え……えーと……。それはぁ……」
秋原に詰め寄られた俺は、口の端を引き攣らせて、パイプ椅子に腰掛けたまま、ジリジリと後ずさりした。
――言えない。言える訳がない。
……だって、その“酷い事をした奴”が、俺の横でニコニコ笑ってるんだもん!
「そういえば、あの時、何でアンディ先輩がなでしこ先輩にプールに落とされたんだっけ……?」
て、おオイィッ! 春夏秋冬ぇぇぇっ! 止めろ! その話をこれ以上深く掘り下げてはいけないぃっ!
俺は、必死で春夏秋冬に向かって、頭を振ったり、口パクで制止を試みるが、俺の必死のジェスチャーは、目を宙に彷徨わせながら、当時の事を思い出そうとする春夏秋冬には届かない。
「そう――あの時はぁ……確か、アンディ先輩が、あたしとシリウスくんに、なでしこ先輩の事を紹介してくれてて――」
「――まあまあ。……そんな事はどうでもいいでしょう?」
まさに、記憶の核心を衝こうとした春夏秋冬の言葉を途中で遮ったのは――撫子先輩だった。
同時に、春夏秋冬が、「……あ、名字――!」と呟くや、その大きな目をまん丸に見開いて、両手で口を押さえる。……良かった。すんでの所で思い出したらしい。
そう、『撫子先輩の名字の話は絶対の禁忌だ』という事に――。
そんな春夏秋冬の慌てた様子を尻目に、撫子先輩は穏やかな微笑みを、その優しげな顔に浮かべたまま、静かに言った。
「それよりも、ここに来るまでの間にお話しした事――考えて貰えるかしら?」
彼女の言葉と共に、その背中から迸り出た何ともいえない圧が、部室の空気を一気に張り詰めたものにした。
つか、何だよ、この特殊能力……? チャ〇ラ? 竜闘気? 何とか色の覇気?
――出る作品間違えてませんか、撫子先輩……?
……コホン。閑話休題。
とにかく、撫子先輩から放たれた凄まじい何かにアテられた俺の背筋は凍りつき、矢的先輩の身体は先程までよりも激しく、ガタガタと、まるで瘧のように震え始める。
――だが、
「……何だよ、アンタ。話の腰を折りやがって」
オイィッ! 秋原ァッ! お前は、さっきの凄まじい殺気に気が付いていないのかっ? 頼むから、話を戻すな、話を――。
「俺は、そのずぶ濡れ男のメシウマ? その原因の方に興味があるんだ。邪魔しないでもらおうか」
……秋原、それ、メシウマじゃなくてトラウマな。
って、そうじゃない! 避けるどころか、何で地雷原にヘッドスライディングかまそうとしてるんだ、お前ぇ!
お前ひとりが爆死するならまだしも、この状況じゃ、確実に俺たちまで巻き添えを食らうんだよッ!
「ま、まあまあ! その――その話は、また今度、ゆっくりとするからさっ! 頼むから、今は撫子先輩の話の方を考えてくれ! な?」
俺は慌てて、剣呑な雰囲気を醸し出し始めた撫子先輩と秋原の間に割って入った。
秋原は、胡乱げな表情で、俺の顔をギロリと睨みつけるが、俺は必死の形相で、秋原に向かって(これ以上、深掘り、ダメ、ゼッタイ!)と伝える為に、ブンブンと頭を振る。
「……わ、分かったよ」
俺の渾身の表情芸は、辛うじて秋原に届いたらしい。彼女は不承不承頷いた。――良かった。俺は内心でホッと胸を撫で下ろす。
秋原は、気怠そうに首をコキリと鳴らすと、俺たちを見回して、溜息交じりに口を開いた。
「要するに――。アンタ達は、このままだと部員不足で部を格下げされちまうから、獅子なんてヘンテコな名前の私に、この“キミョーブ”とかいう部活に入ってもらいたい――そういう事なんだな?」
「――ええ。その通りよ」
秋原の言葉に、撫子先輩は穏やかな笑みを浮かべながら、小さく頷いた。次いで、俺と春夏秋冬も、慌てて彼女に続く。
――と、俺は彼女の発言を反芻して、引っかかりを感じ、首を傾げた。
(……あ、でも、この部の名前は、奇名部だからな。奇妙な部活じゃないぞ、ここ重要! ――いや、でも、言われてみれば、確かに奇妙な部だな……よくよく考えたら――)
と、頭の中で自縄自縛に陥り、よく分らなくなりつつ混乱し始める俺をそのままに、秋原はキッパリとした声で言ったのだった。
「――だが、断る」
――と。




