矢的杏途龍のシリアスな憤懣
「まったく、キミには失望したよ、シリウス……」
放課後、奇名部の部室に入るや否や、俺に向かって飛んできたのは、辛辣な苦言だった。
矢的先輩が、長机の向こう側で、脚を机の上に投げ出し、腹の上でネコのおむすびを撫でながら、ジト目で俺を睨んでいる。さしずめ、マンガを読んだか、映画でも観たかで影響を受け、「どっかの万事屋のラストサムライ」と「膝の上でネコを可愛がる悪の組織の首領」のイメージを足して、大物感を演出したかったのだろう。
が、結果として、『パイプ椅子の上で身体をくの字に曲げつつ、腹の上に乗ったネコの重さに押し潰されそうになりながら一心不乱にネコの背を撫で続ける』という、腹筋と背筋を酷使するかなり無理な体勢になっており、全身がプルプルと小刻みに震え、本人の表情にも余裕がない。
「……失望したって、何がですか?」
俺は、カバンを長机に置きながら、矢的先輩の言葉に首を傾げる。敢えて、矢的先輩の面白い体勢についてのツッコミはしてやらない。
「……そりゃ、もちろん……。今日、キミのクラスに入ってき――イタダダダダダダッ!」
矢的先輩の言葉は、途中で悲鳴に変わる。乱暴に撫で回され続けたおむすびの堪忍袋の緒が切れ、「フ――ッ!」と唸って、矢的先輩の手の甲を思いっきり引っ掻いたからだ。
「な――何しやがる、このクソ猫っ!」
さっきまでの余裕は霧散し、涙目の矢的先輩は、腹の上のおむすびを振り落とした。だが、おむすびは音も無く床に着地し、澄ました顔で、後ろ脚で耳の後ろを掻き始めた。
「あらあら……。大丈夫、矢的くん?」
読みかけの文庫本を長机に伏せて、撫子先輩が立ち上がる。慣れた様子で救急箱を取り出し、青いキャップの消毒液を取り出すと、矢的先輩の手の甲に噴霧する。
「いててててててっ! 沁みる沁みるぅっ!」
「我慢して、矢的くん。すぐ済むから……ネコのツメには、色々な細菌が住んでるんだから、早めに消毒しないと危険なのよ」
「え……さ、細菌?」
撫子先輩の一言を聞いた矢的先輩の顔色がサーッと音を立てて漂白された。おずおずと自分の手の甲を見つめる。彼の手の甲には、ハッキリと三本のツメの引っ掻き痕が、ミミズ腫れになって浮かび上がっていた。
「……ナデシコ……、何か猛烈に熱くなってきたんだけど……大丈夫かな、コレ? もう細菌がオレの身体を蝕み始めたんじゃあ……」
「――さすがに、そんなに早く細菌は増殖しないわよ。――ほら、絆創膏を貼ってあげるから、じっとしてて」
撫子先輩は、慣れた様子で、怯える矢的先輩をあしらいながら、テキパキと処置を進める。
そして、「ハイできた」と撫子先輩が言って、手を離す。矢的先輩の右手には、包帯が蚕の繭のようにグルグル巻きで巻かれていた。――あれ? ネコに引っ掻かれただけだよね? 何でそんな、複雑骨折したみたいな有様になってんの?
そう思ったのは、俺だけでは無かったらしい。しげしげと、己の左手の包帯を見た矢的先輩は、オズオズとした様子で、撫子先輩に向かって口を開く。
「……ナデシコ、コレって、ちょっと大袈裟……」
「――何か言った、矢的くん?」
「――いえ! ありがとうございます、ナデシコさんっ!」
矢的先輩の問いかけに、ニッコリと微笑って小首を傾げる撫子先輩の背後から立ち上る、威圧感に満ちた真っ赤な何かに気圧された矢的先輩は、直立不動で90度のお辞儀を以て、最大限の謝意を表した。
――そして、ゴホンとひとつ咳払いをし、パイプ椅子に深々と座り直して、両脚をドンと長机の上に投げ出した。……あ、万事屋スタイルは続けるんだ。
「……あー、どこまで話したかな……ああ、そうそう。――私が失望したのは、今日キミのクラスに入ってきたという、転校生の件だ!」
矢的先輩は、そう力を込めて言うと、包帯が巻かれていない右手で「食らえっ!」と言わんばかりに、俺を真っ直ぐに指さす。
「転校生……秋原の事ですか?」
「そう! 秋原ライ……ライ……ライララライラ? の事だ!」
「秋原獅子です。何ですか、そのどっかのパイロットみたいな名前は」
「ええい! 五月蠅い、カトンボッ!」
「誰がカトンボやねん!」
付き合うつもりは無かったが、ついついツッコんでしまう。
「ええい! そんな細かい事はいい! シリウス! キサマ、何故一人で来た?」
「……は……はあ?」
「何故、秋原ライオネルとかいう得難い人材を、我が奇名部に引き摺り込まないのか! キサマ、それでも奇名部の一員かぁっ!」
「……あー、そういう事っすか」
話の流れが大体読めた。矢的先輩は、秋原獅子の奇妙な名前に目を付けて、彼女を奇名部に勧誘したいのだろう。……しかし、何故?
「でも、別にいいじゃないですか? もう、部の成立要件の"部員四名"はキープしてるんですし、あとは本人次第じゃないですか。入りたいなら、自分から来るでしょ?」
「シーリーウース〜! お前、知らないのか? 先週、生徒会から通達された、『部活動ガイドライン細則変更案』を!」
矢的先輩はそう叫ぶと、胸ポケットから取り出した一枚の紙を、バンと長机の上に叩き付けた。
「……『部活動ガイドライン細則変更案』? 何です、それ」
俺は、聞き慣れない言葉に訝りながら、机の上のA4用紙を手に取り、内容を検める。
長々と書き連ねられている文章の中で、一行だけ紙に穴が空く程の筆圧で下線を引かれた箇所があり、俺の目は自然とその一文へと惹きつけられる。
その一文には、こうあった。
『一.所属部員5名未満の部に於いては、扱いを【准部】とし、その部活動費を、通常部費対比60パーセントでの支給とする。』




