9.あいつと
カァンッ。
俺の心の中でラウンド2のゴングが鳴った。俺はもうラウンド1の時点で心身ともに疲労困憊だ。
「ラウンド2もやってられませんのでー、お先に失礼しまーす」
俺は仰向けに倒れるティナの上から飛び降りて出入口のドアの取っ手に飛びついた。美容院のドアノブは回すタイプじゃなくレバータイプだったから、俺は先端に体重を乗せ、飛びついた勢いのままドアを押して開けた。
「という事で、また今度な!」
一度振り返って、オリガとティナに挨拶だけして走って逃げた。
こういう時は逃げるが勝ちだ。逃げてしまってほとぼりが冷めた頃に戻ってくるのが一番いい。ダメ人間の思考になってるが、正直あの状況で、また苦労してまで説明する気力は俺にはない。
「待ちなさいよお! アクトお!!」
俺に続いて、側から見ても大層お怒りだと分かるオリガが走って追いかけて来た。
「やっぱり、めっちゃ怒ってるなー、オリガのやつ」
何か知らんが、オリガとティナは張り合ってたからな。事故とはいえ、俺とティナはキスしたわけだし、そりゃあ目の前でイチャつかれたとなっちゃ悔しいとも思うのかもな。オリガには一応、ティナが飼い主って言ってるんだけどなぁ。
「お、落ち着きなよオリガ〜!」
「そうだよ! そんなかっかしたった何にも良いことないって〜」
「や、やめろお! はなせぇぇ! あの黒猫を捕まえさせろお!」
オリガは、さっきまでギャラリーだった女性冒険者達にあっと言う間に取り押さえられた。
「捕まえましたぜ! 黒猫のアニキィ!」
なんかの遊びをはじめたのか、オリガを床に押さえつけて俺をアニキと呼び出した。
「でかしたぞ、オリガの取り巻き達ー」
こういう時は乗っかっておこーっと。オリガを抑えてくれるのは助かるしこれで話し合いが出来そうだ。
「オリガの取り巻き言うな!」
「ちゃんとオリガの友達ですぅ〜!」
「まあ、こうやってオリガが暴走しそうになった時に止める係でもあるんですけどね〜」
取り巻き達は口々に言っているが、それは置いとくか。まずは取り巻き達に乗られて押さえつけられてるワンパクなこの犬っ子から対応していかないと。
「なぁ、オリガ? 期限直してくれよー。悪かったよ。何でもするからさ?」
俺は取り押さえられたオリガの方に戻り、俺より目線の低くなったオリガの頭をポンポンと撫でた。
「どうだ。この肉球気持ちいいだろ〜?」
挑発するのはオリガを余計に怒らせるのは分かっていた。分かってはいたけれど、何となく頭撫でてみたくなったし、上から物を言うの楽しそうだったからやってみた。今までやられっぱなしで受けばっかだったけど意外と俺ってSっ気があるのかもしれない。
「う、うっさい! さわんなぁ!」
オリガは頭を振って俺の手を弾き、こっちを睨みつけてくる。だが睨んでくるオリガの顔は俺への怒りというよりは、撫でられる事への羞恥心を隠している顔のように見えた。撫でられて少しは機嫌が直ったのかな……? もしそうだとしたら、可愛らしいのになぁ。多分違うよな。
「ヴヴゥーーッ……!」
今にも「グルルゥゥ……ヴワァンッ!」って噛み付いて来そうな呻き声みたいなのをあげて反撃のチャンスを伺っている。
怖っ! お前犬かよ! 犬系女子っていうか、犬だよもう。でもさ……そこからオリガに反撃なんて出来ないんだよなぁ〜。上に乗ってる取り巻き達をオリガ1人でどかす事なんて出来ないし、手1つ動かすことだって出来ないはずだ。だったらこの際ちょっとからかってやるか。
「オリガちゃ〜ん? あれれ〜? 俺がティナに取られると思って嫉妬しちゃったのかな〜? 一応飼い主ティナって君に言ってるんだけどねぇ〜? まあ、大丈夫だってばぁ〜。オリガのとこにもちゃんと遊びに来るしさ〜? 俺やる事ないし、常に暇だし? また構ってやるからさぁ〜。 ほらそんな顔真っ赤にして睨むなってぇ〜! ほらほら、よしよししてあげるからさ〜。よしよ〜し、オリガ〜いい子だねぇ〜」
「……」
「よしよ〜し、よ〜しよ〜し。偉いね〜静かになったね〜」
何これ超楽しい。我ながらなかなかひどい性格してると思わされるけど、こうやって人を弄るのってこんなにも楽しいんだな〜。新発見だわ〜。今度また、ティナにでもやってみよ〜っと。
オリガの取り巻き達の方を見ていると、凄くニヤニヤしていた。なす術なく俺にからかわれ、恥ずかしがっているオリガはレアなんだろうな。
「可愛いよ〜! オリガァ〜!」
「いいよ〜! 照れてる姿が可愛いよぉ!」
「悲しかったんだよね〜、分かるよぉ〜オリガ〜! 乙女だねぇ。可愛いなぁ〜オリガは」
日頃のオリガの暴走を止めてるって言ってたからな。その仕返しとして、適当な事言ってからかっている。からかわれているオリガはと言うと、俯いたまま動かない。
待て、この流れはまずい……嫌な予感がする。こういうのは、次に何かしらアクションを起こされたらまずいやつだ。
「お、おい取り巻き。その辺にしとこうか……?」
「だから取り巻きゆうなって!」
「そうそう〜、うちらにはちゃんと名前が〜」
「ねぇ、アンタ達……」
オリガが俯いたままボソッと言った。
「ん? オリガ、何?」
「……………………から」
オリガは取り巻きの1人に何か耳打ちした。
「ほ、ほんと!? いいの!? オリガ」
おい待てオリガ、何を言った。おい取り巻き、裏切りそうだなぁ、お前ら。
俺はチラッと後ろの逃走ルートを確認した。
大丈夫そうだ、人混みや障害物は無い。猫の素早さを持ってすれば逃げ切れる。
「ねぇ、みんな! この猫捕まえれば次のクエストの後のご飯全部オリガが奢るって〜!」
「まじ!?」
「よっしゃあ! ご飯代浮いた〜!」
「よし乗ったぁ〜!」
やっぱりな。だが甘いな。猫の方が逃げるのは早いんだよ! 俺は女性冒険者に捕まるほど甘くはねぇぞ!
「……ふふっ……だろうね?」
「え?」
オリガは俺の考えてる事を見透かしたように勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。
「すぅー」
オリガは大きく息を吸った。そして。
「みんなぁ!! そこの黒猫が美容院代払わずに逃げ出したのーー!!」
「はあぁ!?」
何を言うかと思えば、代金払ってないだと? あれはオリガがやってくれるって言うからであって。
「アクト。分かってないわね、この町の事を! さっき、毛を洗ってる時の話でアクトがこの町まだ3日目って言ってたから、利用させてもらったわ! この町の犯罪防止率とその訳をね!」
な、何言ってんだ? 確かに今日が3日目という事はちゃんと本当の事を言ったけど。
「おらぁ! どこだぁ! その犯罪猫はよぉ!」
「許せないわ! 早く捕まえましょう!」
「おうよ! みんなで捕まえて、その猫を懲らしめてやるか」
俺の後ろの道沿いの家からぞろぞろと住民達が出てきた。
「……おいおい、嘘だろ」
「嘘じゃないよ? この町の犯罪は意識の高い住民達のおかげで取り締まられてるの。だから警察達は住民達が捕まえた後に、ゆっくりとやって来て後処理だけやってるわ」
なにやってんだこの町の警察は……。
「そしてこの辺りは住宅街なの。分かる? 言ってる意味が」
「あ、ああ……充分分かったよ……!」
俺は今、若干引きつった表情なんだろう。何せ、俺の後ろには多過ぎて奥が見えない程の人達が居る。この通り幅10メートルくらいはあるんだぞ! それに幅いっぱい並んで奥にも何列も並んでるとか、何人居るんだよ! 余裕で100人は居る。いや、もっと多いな。まあ、やばい数だ。人と人の隙間を通ろうなんて無謀もしれてる。
「かと言ってなぁ……」
前方に居る女性冒険者達の方を通ろうにも、全員が活き活きして武装して待ち構えている。まさか殺す気じゃないだろうな……いや、1人殺気立ってるのが真ん中にいたわ。
「さあ、アクト。こっちに来てもいいんだよぉ?」
オリガはそう言うと、両拳を握りしめ、胸の辺りまで上げて構えた。そのオリガの両手には、鋼のナックルが装着されており、そのナックルの凸の部分は、先端から鋭利に尖っている。
「こ、ここ、殺す気じゃ……ない……よな?」
「ふふっ、大丈夫だよ」
オリガはそう言って無邪気な笑顔を見せた。いや、その笑顔の裏に怒りやら怨念やらが込められている気がする。
「いやー、良かったよ。てっきり怒りに任せて殺されるのかと――」
「1発で済ませるから」
いやそれ死ぬじゃん……。
こんないたいけな猫の体、そのナックルの一撃で四肢を割かれるか、鋭利な部分が突き刺さって死ぬかの2択しか無いんだけど。
「……」
……俺そんな悪い事したかなぁ。確かに調子乗ったけどさぁ。これはあんまりじゃないですかねぇ、神さまぁ。天罰なんだとしても、これはちょっと厳しすぎやしませんかねぇ。というか、これ、アイツの腹いせじゃ無いだろうなぁ。俺にロリ言われたのを気にして仕返しとかだったら、許さねえからな。
「まあ、神に祈ってもしゃあねぇか。自分で何とかしろって事だな」
こんな多勢に無勢な状況でも、大概の漫画やアニメの主人公なら、1人で何とかしちまうか、仲間や知り合いが応援に駆けつけて来たりして切り抜けちまうんだけどなー。
だが、俺はそんな主人公達とは違う。肩書きだけ主人公級の一般人Aだ。頑張ってもサブキャラになれるくらいのレベルなんだよ。猫になってしまった異能力持ち……それだけ聞けば十分、不運な主人公キャラだ。だが俺には主人公に不可欠なアレがない。『なんやかんやで切り抜ける』っていう主人公補正がない。
だから、俺はそうじゃない方の主人公の道をたどる事になる可能性濃厚。つまり……。
「ボコボコにされるの濃厚ってか……上等じゃねえか」
俺は不運にも神に見放され、『主人公補正? 何それ美味しいの?』な状況にも追い込まれた。この後どうするかって? 決まってる。
「うおぉぉぉぉおおお!!」
俺は雄叫びを上げ、最後の望みにかけて、まだ可能性のありそうな、武器未所持の住民の集団に突っ込んでいった。
「えっ、ちょっ……こらぁ! アクト! そっちに逃げんなぁぁ」
オリガは、俺がオリガの方に行かなかった事に少し戸惑い、少し残念がった表情をした後、全速力で追いかけてきた。力強い一歩で地面を蹴り、進行方向に跳ぶようにして向かってきた。もはやそれは走ると言うより低空飛行に近かった。ナックルを腰の位置に構えて、前のめりな姿勢で一気に距離を縮めてくる。
「アクトお! 待ちなさいよっ!」
「ハァ、ハァ、やばい、速えぇぇ! でも……なんとか間に合った……!」
オリガ達の位置から住民達のところまでは100メートルほど。俺はフライング気味でスタートし、全力の四足ダッシュでリードを作った。猫のスピードは予想以上に速く、突き抜けるような疾走感で、その約100メートルを
7秒足らずで走った……にもかかわらず、オリガはその距離を7、8歩で、俺に追いつくスピードで迫って来た。恐ろしすぎるだろ……まず、スペックからして俺と異世界人とはこんなにも差があるのかよ。猫でまだ助かった。もしこれが、そのまま転生してたなら……俺は2、3秒足らずで木っ端微塵になっていただろう。
「惜しかったな、オリガ。予想より何倍も速くて驚いたけど俺の勝ちみたいだな!」
俺は住民達の前に着く直前、走りながら振り返って、勝ち誇った笑みを浮かべてオリガにそう言った。
「ま、待っ――」
オリガが言う前に俺は、住民集団の先頭に立つ男どもの足元に滑り込んでいった。
「うわっ、この猫急に突っ込んで来たぞ! 捕らえろ!」
「なんだこの猫! すばしっこいぞ!」
「きゃっ! 足元通った!」
「どこだ! どこにいるんだ!」
「くっそぉ! 人が多すぎて見えやしねぇ!」
俺の最後の望みはどうやら繋がったようだ。
この小さい猫の体で、住民達の足の間をするすると通り抜けて、どんどん先へ進んで行く。
「思ったより人が密集してて助かった……みんな身動きが取りづらいみたいだな。って、うおっと! 危ねぇ!」
密集した人混みの中でも、何とか俺を捕まえようと伸ばしてくる手をギリギリの所でかわし続け、この足にまみれた洞窟の出口がようやく見えてきた。
「人多すぎだろ……ったく。何人住んでんだ、この住宅街には、ようやく向こうの景色が見えてきた」
と、その時。
俺の後ろ足が掴まれた。
「しまった……!」
前に気を取られるあまり、後ろの注意を怠ったその一瞬に俺の後ろ足の右足首が掴まれてしまった。ただ、掴まれた感覚が手とは違う気がする。手ならガッシリ足首の周りごと掴み持ち上げそうだがそれとは異なる。足首だけピンポイントに掴んだ。というよりは足首に括り付けられたような感覚で。
「……な、縄?」
俺の後ろ足には縄が括り付けられていた。
「一体誰が……?」
縄の先を辿っていくと、住宅街の大通りとは別の、細い脇道の方へと繋がっていた。
「何であんな道に縄……?」
俺がふと、疑問に思っていると。
ズザァァ。
ゆとりを持って置かれていた縄が引っ張られ始めた。
「え、えっ、えっ? ちょっと……! ちょっとぉ! 待てこれ引っ張られてるって、おいっ!」
ズザァァァァッ! ドタァッ。
縄は更にスピードを上げて引っ張られ、猛スピードで引っ張られた為、俺は体制を崩し転んだまま引っ張られた。
「ぬわぁぁぁぁああ!!」
あまりのスピードで引っ張られるので、俺はなされるがままに、両手はばんざい、仰向けになって上を見たまま引っ張られていた。
ズザァァァァッ!
そのまま脇道の方へ引きずられていき、気付けば俺は青空を見上げていた。
「ぅおああぁぁぁぁ! ああぁぁ……あぁ……ああ」
ズザァァァァ。
「おぉ……」
ズザァァァァ。
最初は驚いたものの慣れてしまえばなんて事は無い。ただのアトラクション感覚だ。一定の速さで引っ張られ続けてるだけで、空の景色も、この細い脇道の外観も、全然変わらない。只々、俺を引っ張る縄の音が聞こえてくるだけだ。
ズザァァァァ。
ああ、これが波の音で俺が砂浜で仰向けになって寝てるとかだったら、同じ音でも心地良いものだっただろうに。これが、どこに行くかも分からない、俺を拉致する縄の引きずる音だってなると心地良さのかけらも無い。
ズザァァァァ。
てか、どこまで行くんだこの縄は。もう長いこと引っ張られてるけど、一向に景色すら変わらないんだけど。
ズザァァァァ。
「あー、暇だ」
「じゃあ、ストップ」
ズザァッ!
聞き覚えのある、声と容姿だけは品のある彼女のその言葉で縄は止まり、いきなり空間が飛んで脇道の先に着いた。
見上げると、そこには、ある意味俺が1番会いたかった女性、いや、女子が仁王立ちで待ち構えていた。そう、あいつだ。
「よう、よう。久しぶりじゃな。3日ぶりといったところかの」
あいつは、また偉そうな態度で、俺のこの有様に何も触れずに、平気で挨拶してくるから腹立つ。せめて謝れよこのやろう。
「よお、よお。会いたかったぜ。パンツ丸見えロリっ子。死神が純白とか、似合わないぞ。やめときな」
「ほう。再開して早々にわらわのパンツをガン見するとはな。わらわのパンツが見られて幸せか? 全裸で仰向けになって全てをさらけ出してる男よ」
「「……」」
ここで先に恥じらって隠したら、なんかこいつに負けた気がして癪なので、俺は隠さないぞ。堂々として俺はこいつに向き合ってやる。
俺がそういう態度を見せると、ロリ神もロリ神で俺に屈したと思われるのが嫌なのか堂々として、パンツを隠すそぶりも見せない。
だから、俺は仰向けでフルオープンのまま、ロリ神は仁王立ちで俺にパンツ丸見えのまま、お互いに威嚇し合っていた。
「……こんな事をしてる場合では無いのじゃ。お前には用があって来た」
沈黙の中、先に口を開いたのはロリ神だった。
「俺に用? なんだよ、なんとかギリギリ平凡な異世界ライフを送ってるっていうのによぉ」
「さっきのあの騒動もお前の中ではギリギリ平凡なのじゃな……」
ロリ神は呆れながらも俺の冗談めかした話につっこんだ。
「……で、何の用なんだよ」
なんかこういう会話っていかにもラノベ主人公って感じでいいよねー。一般人Aの俺でもちょっと主人公に近づけた気がする。
「実はな……」
ロリ神は少し困ったような表情を浮かべて話を切り出そうとした。
あ、待て。待って。これダメだ。ダメなやつだ。ちょっとした冗談まじりの会話からの「実はな……」ってちょっと沈黙入れる系のやつはロクな話じゃない。
「おぉー!! あー! あー! あー! あーーーっ!」
フラグを回収したくない俺は、大声を上げてフラグ回避に勤しむ。こんな所で最悪なフラグを回収してたまるかよぉぉお! 俺の人生、これ以上狂わされてたまるかぁぁあ!!
「あーーーーーーーーっ!!」
「うっさいわ! わらわの話を聞けっ!」