6.お散歩①
「さてと、一人でお出かけでもしますか」
異世界生活3日目。
3日目の朝にしてようやく、まったりとした時間を手に入れる事が出来た。異世界に来たからとはいうものの、良くも悪くも忙しかったからな。初日はティナと出会って色々とあったり、2日目は昼起きてモンスター討伐に行って帰って来ては疲れて寝たし、ゆっくりと出来る時間が無かった。と言うわけで今日はまだティナが寝ているので、町を散歩でもする事にした。
「ティナに置き手紙でもすれば良かったかな」
まあ、手紙とペンがどこにあるか分かんないし、結局猫の手じゃ書けないからいいか。なんとかなるだろう。
アベルの町はレンガ造りの建物ばかりで、俺の元いた世界だとヨーロッパの西欧に近い雰囲気だ。
「さすがは異世界、見慣れない物ばっかりだな」
「おっ、猫ちゃんお散歩かい? よかったら、うちの魚も見ていかないか?」
魚屋店主が話しかけてきた。
「いいのか? 獣人のおっちゃん。俺は金持ってないぞ?」
「おお、喋れる猫なのかい! これは驚いた! 喋れる猫さんよ、是非うちの魚たちを見ていってくれ! お得意様になってくれれば俺もありがてえしな!」
「じゃあ見させてもらおうかな」
「おうよ! ゆっくり見ていきな」
店主は俺が喋れると分かってから、ゲスい笑みを浮かべた。いいカモが来たと思ってるんだろうな。猫は基本、魚が大好きで魚に目がない。そこにつけ込んで後々俺に金を払わせようって魂胆か。だが甘かったな、俺はそんなことでは騙されないぞ。そんな見え見えの作戦に引っかかってたまるか。見るだけ楽しませてもらって次へ行こう。
「いろんな色の魚が置いてあるんだなー」
「まあ、うちはアベルで1番の魚屋だからな!」
「へぇー、そうなのか」
魚屋の店内に並べられた魚は、当たり前かもしれないがどれも見たことがなかった。どの魚も色鮮やかで光沢があり、日本の魚と比べて横に分厚い。分厚いのに身が引き締まったようなハリがある。
じゅるり。
「おっ。食べたいかい? 猫ちゃん」
店主はニヤニヤした目で見てる。俺はまんまと店主の術中にはまってしまった様だ。
「た、食べたい……です……!」
「そうかそうか! なら……一切れだけ食べさせてやろうか?」
だめだ……罠だ。もし今食べてしまったら! 目の前に並ぶ魚たちの味を一度知ってしまったら! 俺はもう……抑えきれなくなる……!
ああ、魚たちが『たべてーたべてー』と訴えかけている様に見える……! だめなんだ。これは罠なんだ。そんな瞳で俺を見つめないでくれ……!
「猫ちゃんよ……あんた、猫なんだし本能に従っちまえよ」
「!!」
……そうか! これは猫の本能なんだ。そうだそうだ。これは俺が食べたい訳じゃない。俺の猫としての本能が食べたいと言ってるんだ。決しておっちゃんの策略にはまった訳じゃない。
それなら……! 本能のままに赴くのが正解なんじゃないのか? ここで我慢して、その先に何かあるのか、いやない! なら食べてしまったほうがいいのかもしれない。
「……ひときれだけなら」
「よしきた! 待ってな! 美味いとこを食べさせてやろう!」
店主が持ってきたのはさっきまで俺がガン見してた魚の刺身。食べたい欲望が強すぎるのか、なぜか刺身までキラキラした光沢が見えるのだが……
「さあ、食べな。こいつはこのまま味付けなしで食べるのが一番美味いんだ」
店主が俺の口の前に刺身を持ってくる。あとは食べるだけ。目の前で魚が待ってるんだ。刺身になっても『たべてたべて』と訴えかけてくるほど健気な魚が待ってる。据え膳食わぬは男の恥だ。待ってろ、今食べてやるから。
「いただきます……」
俺は口を開けるだけ開いて、店主に口に入れてもらった。
「ぁんむ」
一口で刺身を口の中に入れ頬張った。
「…………」
「どうした猫ちゃん、黙っちまって、てか、凄え幸せそうな顔だな! そんなに美味いのか?」
美味すぎる。単に美味いで済まされるもんじゃない。美味すぎてニヤけが止まらない。刺身は柔らかくてひんやりとした舌触りで、噛んだ一口目から魚の脂が溢れてくる。それでいて脂のしつこさは感じない。そして、一切れにおける食べ応え。身が分厚く引き締まっていて、厚みを噛み締めるごとに旨味が広がっていくのが分かる。噛んでいるだけであっという間に、口の中で溶けて無くなっていった。
「……ごちそうさまでした」
俺が少し名残惜しそうに店を出ようとする前に、店主に引き止められた。
「まあ待てよ! せっかくうちの魚たちの魅力を分かってもらえたんだ。この魚は、取り置きしておいてやろう」
「い、いいのか!?」
「ただし! ここにサインしてもらおう。契約だ、取り置きしといてやっぱ買わないってなっても金だけは払ってもらう」
したり顔で俺に向けてそう言った。最初からこうなる事を見越してやがったな。ほんと、試食っていうものを考えた奴には恐れ入るよ。購買欲、いや食欲をそそられて買わざるを得ない。
「しっかりしてんな、おっちゃん」
「当たりめえよ! これで商売やってるんだからな」
「じゃあ、ここでいいか?」
「おう、頼むぜ!」
ぷにっ。
サインは出来ないので、肉球に朱肉をつけてハンコを押しといた。
「お支払い人は、ティナ……さんという人でいいのかい?」
「ああ、後で払いに来るよ」
……ティナには後で謝っておこう。
「じゃあ、お散歩の続きでもして来るわ。またな! おっちゃん」
「おう、また来な! 次も美味い魚を用意しておくからよ!」
手を振って見送るおっちゃんを背に、俺は散歩の続きをしに店を出た。
「さて次はどこに行こうか」
特に目的地もなく町をぶらぶらしていた。というより、この町には色々な店があり過ぎてどこに行くか迷う。だから適当に見て回ってたのだが。早速行く手を阻まれた。
「……恐るべし……猫の魅力」
俺はすれ違う女性たちを知らぬ間に魅了し、あっという間に囲まれた。さっきの魚屋は家から近かったからそんなに女性にはすれ違わなかったみたいだ。
「きゃーー!! かわいーー!!」
「何て可愛いお顔ををしてるのー!!」
「癒されるーー!!」
「ああ、もう可愛いっ!」
俺は今、おそらく冒険者であろう女性十数人に囲まれている。なんかすごい集団が出来てしまった。
「毛並みが綺麗で触り心地がいい〜!! ずっと撫でてられるわ〜」
「ほんとだ! 気持ちいい〜」
「私にも触らせて〜!」
「私も!」
俺は1人の女性冒険者に抱きかかえられた。そして色んな方向から女性たちの手が伸びて来る。囲まれてる為逃げられない し、俺はただ撫でられ続けるしかない。本来ならこんな機会なんて絶対来ないし、とても嬉しいと思う。
ただ、これは全部猫に対する保護欲とか可愛い物を愛でるとかそんな感情だ。決して恋愛感情とかじゃない。俺が猫になっちまったんだからな。だから虚しくなるだけだし、それよりも、たかられてるような怖さがある。
「…………ぁ」
俺が声を上げようとした時、抱き抱えてた女性がぎゅっと抱きしめてきた。
「この子、もう家に連れて帰りたい〜! ねぇねぇ、あたしのお家に来ない〜?」
「ずるい! 私が連れて帰ろうとしてたのにー!」
やばい。そんなに強くぎゅっとされると胸に埋もれる……ティナよりも大きい。ティナも大きい方だがそれを凌駕し、さらにこの上なく柔らかい。前回、ティナの時は背中から抱きしめられたが、今回は前からだからダイレクトに柔らかさが伝わってくる……!
「しかも、今なら私の胸を触り放題です!」
「猫に色仕掛けしてどうすんのよオリガ……!」
「だって! この子が可愛すぎるのがいけないのよ!」
「そもそも猫に言葉通じないでしょうが!」
さ、触り放題だと……
これは、真剣に考えろ。ティナとこの巨乳、どっちを取るかだ。そんなの決まってる。普通はティナなんだ……なんだけど……この柔らかさが俺の思考の邪魔をする……!
むにゅ、むにゅ。
「……」
よし決めた。
「あのさ……オリガさんでいいんだよね……?」
「わわっ! 猫が喋った!?」
「ええ!? 猫ってしゃべるの!?」
喋る猫に驚く姿を見るのはティナ、ルル、今回で3回目だし慣れちゃったからな。さっさと言わせてもらおう。
「是非お家に連れて行って下さいですにゃ!」
何となく上目遣いで可愛く言ってみた。
「え……来てくれるの!? 嬉しい〜! じゃあ早速行こっ!」
オリガとその友達であろう女性冒険者達は、俺が喋れる事と予期せぬ俺の返答に驚いていたが、オリガはそれよりも嬉しさの方が上回っていたようだ。
そして、オリガのお家に行かせてもらえる事になった。
ーーーーーーーーーー
「じゃーん! ここがあたしのお家でーす!」
オリガの家はティナの家から10分程度の距離にある一軒家だ。そこに今、俺とオリガと何故かオリガの友達もみんな付いて来た。女性冒険者達は数えたら全部で16人もいた。そんな人数の女性に囲まれた事なんて人生18年間で1度も無かったし、その人数を引き連れる形で歩いた事も無い。正直、最近急展開過ぎて困る。ティナの暴走とかもあったけど、元はと言えば俺がティナをからかったり、今回オリガのお家訪問も断ってれば何事も無かったんだろうけど。
てか、そんな事より……
「ねえオリガ……これ1階何するところなの?」
オリガの家の1階は何故か道沿いの壁が全面ガラスになっており、外から見えるようになっている。あと、凄くお洒落な外観だ。周りの家と同じで外見はレンガ造りなんだけど中がとにかくお洒落。どこかの美容院みたいで観葉植物なんかも置いてある。
「見てのとおり美容院で〜す! 今から君を綺麗にしてあげようと思って!」
え、俺? 俺を綺麗にするのか? ふつう美容院でペットは駄目なんじゃないのか。あ、でもここ異世界だし、そもそも獣人ばっかだからみんなペットみたいなもんなのか。じゃあ猫でも問題はないのか。でも、なんで俺なんだ。
「なんで俺なんだって顔してるね? あたしね、君を見た最初からどうしても君の毛並みを整えて綺麗にしてあげたかったんだ〜!」
「猫ちゃん……オリガはそういってずっと毛並みをいじりたいだけの毛並みフェチだから、頑張ってね! 私たちは見てるだけで心が満たされるから!」
おい、見てるだけかよ。頑張ってねって何だよ。なんか嫌な予感がするだろうが。ティナの時もそうだけど、どうして俺に対して積極的な人はどうしてこうも猫バカそうな雰囲気が漂うんだろうか。男として見られてなくて凄く残念なんだけど。
俺がそんな事を考えている間にオリガは俺をシャワーの位置まで運んだ。
「普通は頭だけなんだけどね? 猫なら全身いけそうだから君は全身を洗わせてもらうね!」
オリガの目が輝いてる。ああ、どうしてこうなった。途中までいい感じじゃなかったのかよ……! なんでこうなってしまったんだ……!
「では始めまーす!」
「はぁ……よろしく……おねがいしまーす……」