第1章 美女の皮を被った野獣③
声をかけたのは、背丈だけは女よりかなり高いものの、少し痩せぎすで、どことなく頼りなげな感じのする男だった。
美男でもなければ、取り立ててブサイクというわけでもない。
いわば、どこにでもいそうな、サラリーマン風の日本人だ。
「つまんない」
声をかけた男に向けられた女の目は、実に悲しそうだ。
「こいつら、マジ弱すぎて、準備運動にもならないんだもの」
男が、黙って肩を竦める。
女の方は、見かけは可憐だが、少し前までは、CIAのトップシークレットとして扱われていた、最強の暗殺者だった。
男の方は、少し前までは、普通のサラリーマンとして、小さな商社に勤めていた。
裏の世界とは、まったく縁もゆかりもない、正真正銘の民間人である。
見てくれも、歩んできた人生もミスマッチな二人だが、なんとこの二人は、紛れもない夫婦だった。
男の名は、杉村悟。
女の名は、カレン・ハート。
悟とカレンは、ある事件をきっかけに知り合った。
当時のカレンは、眉一筋動かさずに人を殺める、冷酷無情な殺し屋だった。
男に対して、何の感情も抱いたことはない。
ましてや、弱腰な日本人なぞは、軽蔑しきっていた。
そんなカレンが、どういった訳か、日本人である悟を気に入ってしまった。
それまで恋愛の経験もなければ、恋愛したいとも思っていなかったカレンは、愛情表現の仕方がわからなかった。
しかし、どうしても、悟を手に入れたかった。
思い悩んだ挙句、カレンは思い切った行動に出た。
その事件で、腹部に銃弾を受けて入院していた悟の病室に夜中に忍び込み、ベッドに横たわる悟の額に銃口を押し付けて、「わたしと一緒になるか、ここで死ぬか、どちらかを選べ」と言って迫った。
命が惜しかったのか、悟もカレンを気に入っていたのか、悟は素直にうなづいた。
そんな、小説や映画でもあり得ないカップルだが、不思議と仲が良い。
「なかなか、良い代物ね。わたしが貰っておいてあげる」
気持ちの切り替えが早いのか、カレンの顔からは、さきほどの悲しみは消えていた。
路上に落ちているナイフを嬉しそうに拾い上げ、倒れている男の腰から、鞘を奪った。
「こんな弱っちい奴に持たれたら、ナイフが可哀相だわ」
鞘に納めたナイフをベルトに差しながら、悟に笑顔を向ける。
悟も笑顔で応えてから、路上に目を移した。
狭い路上を埋め尽くさんばかりに倒れている、さぞ凶暴であったろう方々たちを見回す。
どの輩も、軽傷の者はいない。
「よりによって、カレンに喧嘩を吹っ掛けるとはな。こいつらも、とんだ災難やったな」
悟が、憐みを帯びた口調で、ぽつりと呟いた。