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小説『メメント・モリ』の里程標  作者: 長岡まさ
第一章 スリオルト 
4/18

四 「その後の僕」は書斎で 乙

 外は真っ暗になった。自宅前の通りに在る筈の街燈が、今日はまだ灯されていない。

 上手に相槌を打ちながら一心に耳を傾けてくれた彼が、吐息を漏らす。

「きっと私はまだ先生の過去の、ほんの一握りしか、お聞きしていないのでしょうが……」

 椅子に深く背を預け天井を仰いだ彼は、微かに震えていた。

 僕は手元に置いていた六枚の紙切れを、彼に広げて見せる。

「これは?」

「先程お話しした、作品のメモです」

「ほう、これが」

 彼は一番右端の一枚を手に取った。

「『僕らはそれを“メメント・モリ”と呼んだ。そして』」

 次の一枚に彼は手を伸ばした。

「『ああいう場面で、嘘を吐く趣味は無いよ』……随分とその、断片的、ですね」

「はい。当時のことで思い出した会話やエピソードを、片っ端からこうして書き留めてあります。その内、日付が分かるものには……」

 ある一枚を手前に引き寄せて指差す。

「左下に数字を振ってあります。この四桁がそうです。まあ、あまり多くはありませんが」

「なるほど」

「それ以外は、お読み頂いて、ストーリーパズルのように組み合わせて行くよりありません」

「なるほどなるほど。では初めは、これを並べ替える作業から始めれば良いのですね。大筋の流れは今お聞きしましたし、日付のあるものでしたら私でもお手伝い出来そうだ」

 彼は納得が行ったというように繰り返し頷いた。

「そして、先生がエピソード間の繋ぎとなる部分を書き足しておられる間に、私が」

「いえ、それらの作業は、ミデルフォーネさん、あなたにお願いしたいと思っています」

 上手く状況が呑み込めないといった様子で、彼が大きく瞬きをする。

「それらと言うのは?」

「本日お話した過去の出来事と、僕の残したメモを基に、物語全容を組み上げて頂きます」

「いやいや、先生!」

 僕の言葉を遮り、彼は右腕と首を大袈裟に振った。

「幾ら何でも私では、そんな重要な部分までお手伝いなんて、流石に」

「僕があなたに期待しているのは、助手ではないという事です」

 身を乗り出し、彼の手からはらりと落ちた紙きれを手元へ集めながら、何でもない事のように言う。

「あなたに、作品を書き上げて頂きたいんです」

 彼はぽかんとした表情のまま固まった。

「あ、ああ、先生、すみません。どうも先程お聞きしたお話の衝撃で、耳が馬鹿になっている様でして。ええと、もう一度……」

 咳払いをする振りをして、込み上げて来る笑いを堪えた。そして、今度はきちんと彼に向き合い、しっかりとした口調で告げる。

「ミデルフォーネさん、あなたに、この作品の執筆を託したい」

「え、ど、どういうことですか?」

 慌てる彼の顔を見詰めたまま、僕は手に持ったメモをさっと暖炉へ投げ入れた。紙は一瞬明るく火を纏い、やがて黒い灰になりながら消えた。

「せ、先生!? 突然何を……」

「これは見本として、今日お見せするために用意したもの。一種のダミーです」

 既に固く閉じている窓を横目に、僕は立ち上がる。

「同じ内容のものも含め、きちんと別に保管してあります」

「一体……」

 彼が言い終えない内に、二階の書斎の扉が内側へそっと細く開かれた。


「スリオルト先生、不用心ですぞ」

 渋みのある落ち着いた声、そこには一人の大柄な男が立っているはずだ。

「こんな暗い時分に、玄関の鍵を開け放しのままとは」

「バ、バルフォン編集長?!」

 ミデルフォーネは驚いた様子で椅子から飛び上がった。

「編集長、いらしたんですか! 一緒には行けないとおっしゃっていたじゃないですか! 気が変わったんですか? まさか先生から直接、誓約書を取り上げるつもりじゃ」

「バルフォンさん、残念です」

 僕はまだ姿の見えない彼に、努めて温和にそう言った。

 扉がさらに少し此方側に動き、磨かれた革靴、その右足のつま先が、ゆっくり内側へ入って来る。彼らしい、大きな歩幅を思わせる一歩だった。

 胸の辺りにある彼の右手が視界に現われる。そこには案の定、僕の方へ真っ直ぐ向けられた銃口があった。

「スリオルト先生、こちらこそ残念だ」

 彼はちらとミデルフォーネの姿に目を遣り、僅かに顔を顰めた。

「編集長、一体何を!」

 ミデルフォーネが叫ぶ。

「君は黙っていなさい。全く、既に帰宅したと思っていたのだが」

 バルフォンは僕へ視線を戻すと、大きく肩を竦める。

「まあ、これは嬉しい誤算でもある。そうでしょう、先生」

「何故、ですか?」

「先生はこの編集を随分買っていたでしょう。戦犯者のあなたのことだ、この家ごと爆破するのではと警戒していたが、彼がまだ此処にいるなら、勿論そんなことはなさらんでしょうな」

 彼は口の端を持ち上げ、得意な顔をした。

「せ、先生。な、何が、どうなって……?」

「ミデルフォーネ君。君がこれ以上、この件について知るべきことは何も無いのだよ」

 冷たく射る様なバルフォンの視線に、ミデルフォーネが噛み付く。

「誓約書は! 編集長! あなたはあれにサインをしたはずでしょう!」

「誓約書? 君は一体この期に及んで何を寝ぼけたことを言っている。紙切れ一つで社会の平穏は訪れない。圧倒的な暴力を前に、精神論で道は開けない。そうでしょう、スリオルト先生」

「ええ」

 溜息を交えて僕は肯定した。

「先生まで何を!」

 ミデルフォーネの悲痛な呼び掛けに、少しだけ心が痛む。彼の払ってくれた努力に対して、僕が報いる術はない。

「まあ君が誓約書の写しを然るべきところに預けていたとしても同様だ。ダルト・スリオルト名義の新誓約書で持って、取り下げて貰えば良い。事務処理とは、所詮そんなものだ」

 頭に血が上ったせいか、ミデルフォーネはわなわなと震え始めた。その様子を意に介さず、バルフォンは続ける。

「誓約如きで社会は成り立たん。そう、我々に選択肢など、初めから無かったのだよ」

 バルフォンが本当に引き金を引くとは微塵も思っていないのだろう。僕は今にも銃口の前に飛び出しそうなミデルフォーネの腕を掴み、ぐっと部屋の奥、窓辺からも出入り口からも遠い壁際へ押し遣る。

「……軍の方々は外ですね」

「ああ。一緒に来て頂けますかな。無論、抵抗するなら発砲しても構わないと、上から許可は頂いていますがね」

「そうですか。よく彼らが許可しましたね。僕が死んでしまうと、色々と困ることもおありでしょう」

「はは。偉大な作家ダルト・スリオルトは、あの出来事の全容を世に出すおつもりとのことでしたな。その件が知れ渡れば作家人生はおろか、人生設計がご破算だ。構想段階で他人に話を振るはずがない。更にご丁寧に、打ち合わせ場所にそれまで我々業界関係者が訪れることを許されなかった自宅を指定した。小説用の草稿が既にあるのでしょう? 万が一の場合は、死体を横目に家探しすれば十分ということですよ」

「そう、ですか……」

「先生! 先生が行かれるなら私も一緒に!」

「ミデルフォーネさん、危ないですから、あなたは其処から一歩も動かないで下さい」

「そんな、せんせ……」

「動かないで!」

 叱責するような口調と共に、僕はミデルフォーネを軽く睨む。彼は唾を飲んだ。

「バルフォンさん。僕も戦争を生き延び、仲間を踏み台に命を手にした者として、ここで見す見す死にたくはありません」

「ほほう、それで?」

 バルフォンの口調が嘲笑気味に変わった。

「ここで抵抗するつもりは、初めからありません」

「はは。もう少し、悲痛な表情を作る所からやり直した方が良いのではないかね? 飛んだ大根役者だ」

「僕の言動が演技に見えますか」

「君、言葉巧みに私を油断させる算段かもしれないが、そうは行かんよ。私も昔は軍にいてね。無論、君らを盤面の駒のように使う側の人間だ。十年そこら位で腕も目も衰えんさ」

 彼は構えた右手の位置をしっかりと固定したまま、大仰に首を振った。

「そのようですね、と素直に応じたい所ですが、そうも行きません。一つだけ、呑んで頂きたい提案があります」

「命の手綱を握られた状況で、提案と来たか。条件と言わなかっただけまだ優秀だ。何だね?」

「彼を、ミデルフォーネさんの命の安全を、保障して下さい」

「先生!」

 背中にミデルフォーネの苦しげな声を浴びる。振り返らず腕を伸ばし、彼が前へ出ないように牽制する。

「彼は既に事情を知ってしまったんだろう。君が話したせいでね。既に私の権限でどうこう出来る問題ではない」

「ならば僕が誓約書を書きましょう」

「何と書くつもりだ?」

「拷問の後、全てを背負って要求通りの遺書を残し、自害する、と」

 一瞬目を見開いた後、バルフォンは冷笑した。

「面白い。それならばツェリュビャツァイ氏の心も動くかもしれんな。良いだろう。私も彼の編集者としての腕は買っていてね、此処で失うには惜しい人材だ」

 彼は一頻り乾いた笑い声を上げた後、真顔になり顎で僕を指した。

「では君、そのまま両手を頭の上に」

 僕は天井を仰ぐ。

「ミデルフォーネさん、僕はあなたと共に仕事が出来て、本当に良かった……」

 そして、ゆっくりと両手を挙げる。

「全く、安っぽい感傷で勘が鈍ったのか?」

 低く唸るように呟き、バルフォンは僕へ軽蔑の眼差しを向けた。

「失望したよ。面白い活劇が見られるものと期待していたのだが。スリオルト先生、いや、“メメント・モリ”のナナ。君はもっと賢い人間だと思っていたがね」

「そうですね。本当に」

 バルフォンの右手人差し指の動きが、視界の隅でスローモーションのように見えた。

「あの方からの指示はね、抵抗しても“しなくても”だ」

「本当に、残念です」

「先生!」

 三人の声が重なるのと、パンッパンッ、という破裂音が響くのは、ほぼ同時だった。

 ごん、という鈍い音の後、深緑色の絨毯に色濃い滲みが広がる。

「あ、ああ、あ、せ、せんせい」

 顔にこそ出さなかったが、あまりに期待外れな展開に、僕は心底うんざりした。

 久しぶりの痛みが、意識を覆う。それは僕らの少年時代の象徴、懐かしさの結晶だ。

 そう言えばミデルフォーネは、先の戦争時は中立国へ逃げていたと言っていた。もしかすると、目の前で血が流れるのを見るのは初めてだったかもしれない。

 彼には重ねて、悪い事をしてしまった。

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