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小説『メメント・モリ』の里程標  作者: 長岡まさ
第二章 ミデルフォーネとクランベ 
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十二 ああ「先生」、私はこれからどうしたら 乙

 窓から真っ暗な車内、その運転席に座る人物のシルエットが朧気に窺えた。

 しかし、何だか先生のものとは思えない影だ。可笑しい。つばのある帽子を被っているように見える。そう、まるで私が愛用しているあの帽子のような形だ。立てられたコートの襟の形、恰幅の良い肩幅、どれも見覚えがある。そう、数時間前に鏡の前で見たのだ。車の運転席に座っているのは……

「わ、私!?」

 衝撃がそのまま大声となって口から飛び出し、私は自分の声に驚いて後ろへ飛び退いた。

「いやいやいや」

 慌てて被りを振る。そんなはずはない。小説の読み過ぎなのだ。つい、この世に存在するもう一人の私、などと空想してしまった。そう言えば先生の書かれた短編小説『晴れろ、空』には、主人公ラッドウッドと同じ顔をした男ウッドラッドが真夜中に迎えに来るというシーンがあった(またしても飛躍する私の想像力の元凶は先生だ!)。

 そんな事を考えながら私が路肩で百面相をしている内に車のドアががちゃりと開いた。運転席の人物が身を乗り出して反対側のドアを開けたのだ。私はごくりと生唾を飲んだ。

「ヒューレッド・ミデルフォーネさんですね? ウッドラッドのお迎えです」

 ウッドラッド! 私は胸中で叫んだ。

 その女性は(そう、その声は紛う事無く女性のものだった)言った。

「いいえ、この場合、私は()()()()()()()と名乗った方が適切でしょうか」

「と、という事は、わ、私はもう死んでいるのでしょうか……」

 彼女の冗談に冗談を返す。そう、頭では分かっているはずなのに、何とも情けない震えた声が零れ出た。せり上げて来る悪夢を直ぐに首を振って打ち消す。

 ウッドラッド(名前が半分から組み代わっているのには実に深い意味があるし、私はこれについて優に三時間は語り続ける自信があるのだが、今は割愛しよう)とは、既に死んでいる主人公ラッドウッドの元に現れる使者だ。だがそれは勿論小説中の設定、フィクションの話だ。

「ああ、いやいや、こりゃ失敬。私をご存知の様ですが、あなたは?」

「ふふ」

 暗闇に浮かぶシルエットの彼女は控えめに笑った。

「スリオルト先生から、とてもユーモアのある方だと伺っていましたが、本当にそのようですね」

 スリオルト先生という単語が女性の口から飛び出し、私は脱力してその場にへたり込んでしまいそうになったが何とか踏み留まった。

「ああ、先生のお知り合いの方でしたか。道理でウッドラッドをご存知な訳だ。安心しました」

 あの作品の一般的知名度は低く、他人の口からウッドラッドの名が出てくるとは思いも寄らなかった。(あくまで小さな雑誌に掲載されたのみだからであって、作品の良し悪しとは一切関係ない)。

「ところで、肝心のスリオルト先生は……? てっきり車に乗っておいでかと」

「そうですね、立ち話も何ですから、どうぞ車の中へ。と言っても、この車はミデルフォーネさんのものですが」

「え! 矢張りこれは私の車でしたか! 否、一度私の車だとは思ったのですが、見ず知らずの方が乗っておられたので、同じ車種という偶然かと」

「すみません」

 私の話を遮って、女性はハンドルを握り前を向いた。

「とりあえず車を出します」

 彼女の視線はバックミラーに注がれている。

「ああ、はい」

 私は緊迫した空気を察し、素早く車へ乗り込んだ。身を固くして只管石のように押し黙った。


 数分後、車は見知らぬ大きな建物の裏手に停車した。張り詰めた沈黙を破ったのは彼女だった。

「どうやら勘違いだったようです」

 彼女は息を長く吐いた。

「勘違い、とは……?」

 恐る恐る口にした私の問い掛けに、彼女は帽子を外しながら答えた。

「人影が見えました。尾行されている可能性を疑いましたが、杞憂だったようです」

 凛とした彼女の瞳が私の視界に飛び込んで来る。

「な、なるほど」

 間近でやっとその女性を正面から見た。咄嗟に、妖艶なファンタジー小説から抜け出してきた天使のようだと思った。雲間から洩れる月の明かりを浴びた彼女の肌は透き通るように見え(そんなはずは無いのだが)、私はごしごしと目を擦った。

「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。私はダルタエ・クランベと申します。スリオルト先生の……身内の者です」

 私がところであなたは? と間の抜けた質問をする前に、彼女はそう言った。

「クランベさん、ですね。ああ、言われて見れば、スリオルト先生に何処となく似ておられますね」

 本当に彼女の何かが(正確に何処と述べるのは難しいのだが)先生に似ていたため、そのままを口にしたのだが、彼女は口元に手を当てくすくすと笑った。

「いえ、身内とは言っても、血の繋がりはありません」

「あ、ああ、そうでしたか! これは申し訳ない」

 大層個人的な事に無思慮な発言をしてしまった己を恥じ、背中を丸める。あのスリオルト先生に(失礼極まりない発言ではあるのだが)女性の陰があるとは露も思わなかった。血の繋がらない身内という事は恋人……等と無粋な創造を膨らませる前に、彼女から正確な情報がもたらされた。

「私は先の大戦で家族を失っておりまして、後見人に先生が」

「はあ、後見人」

「はい。今はアデックケナー病院で研修医として働いています」

「あ、アデックケナー!」

 言わずと知れた大病院だ。余程優秀な人物か、かなりの大金を積んだ人物でなければ、研修とは言え受け入れは難しいだろう。目の前の彼女は無論、前者で間違いない。

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