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小説『メメント・モリ』の里程標  作者: 長岡まさ
第二章 ミデルフォーネとクランベ 
16/18

十 はて、「先生」一体どういう事でしょう 乙

 スリオルト邸は本当にからくり屋敷のようだ。ここでは固定観念や先入観ほど役に立たないものは無いのだろう。そこで私は一つのことを思い付いた。

「引いて開かないのなら、別の開け方をしてみれば良いのか」

 奇抜なオーブンの経験を活用し、流し台の下の扉を奥へ押してみる……が、開かない。さらに力強く身体全体を使って押し込む。しかしびくともしない。

「むむむ、ではこれならば」

 今度は取っ手に指を掛けたままゆっくり扉を回すように(実際には回らないのだが)ぐるりと円を描いてみる。

 丁度私の腕の力が右横へ向かった途端、それを待ち侘びていたかのように板がするっと滑った。どうやら右方向へスライドさせるのが正解だったらしい。大きな金属板はすんなりと、流し台の右にあるかまどの土台部分に吸い込まれるようにして消えた。

 恐る恐る覗き込むと、中は何も無い真っ暗な空洞になっていた。また一枚のメモ用紙(今度は闇の中にぼんやり白い紙が浮かび上がって見えた)が貼ってある。先程と同様、小説の一節のような文章が先生の直筆で書かれていた。


 寄り道をしている暇は無かった。勿論余所見をする猶予もだ。

 進むべき道は開かれた。光差すあの場所に辿り着くまで、この迷路を通って行くのだ。先に待つものについては、その時に考えれば良い。


 先生は矢張り、何でもお見通しのようだ。

 私は二枚目の紙もまた、ポケットへそっと仕舞い込んだ。

 流し台の下の空間は、金属板の取り付けられていた位置より下へ沈み込むように造られていた。奥行きはあまりないが、人間の大人が四つん這いで入り込める程の(無論、少々肉付きの良い私でも平気な程の)大きさだった。

 手をついて身を乗り出す。覗いてみると、穴は扉の吸い込まれた側へ広がっていると分かった。

「かまどは張りぼてだったのか」

 先生からの伝言小説に依れば、これが出口までの通路になっているようだ。

 先程までいた書斎と、その隣の寝室、そして寝室の真下のキッチン。屋敷の奥行きと部屋の配置からして、このキッチンは建物内の北の角部屋付近にあたるだろう。つまり灌木の茂る裏庭に面しているはずだ(思えばこのキッチンには、窓が一つも無い)。きっと穴を辿れば直ぐ外へ出られるだろう。

 私は意を決して暗闇の中に身を捻じり込んだ。


 四、五歩で(正確には四、五這いで)屋敷の外へ出られると軽く考えていた私は甘かった。

 入口を正面として右方向に伸びていると思った真っ暗闇は、這い進むと直ぐに左方向に折れた(まさか曲がり道があるとは思わず頭をぶつけた)。その先には緩やかな下り坂とやや急な上り坂があり、私はただ手足の感覚に頼って前進することしか出来なかった。

 這い進みながら私が考えた事と言えば、もう少し日頃から運動をして、体型をスリムに保つべきだったという事だ。そうすればこの穴も余裕を持って進めたかもしれない。否、一体何処の誰が、隠し通路に潜り込み逃走劇を繰り広げる人生など想像出来ただろう(スリオルト先生なら出来るかもしれない)。

 そうこう思案する内に、壁面に擦っていた肩や頭が何処にもぶつからない場所へ辿り着いた。どのくらいの広さか全く見当はつかなかったが、私は恐る恐る頭を持ち上げた。高さが十分ある空間のようで、首をそろそろと伸ばしてもぶつかる気配は無い。

「ふう」

 息を吐きながら肩に込めていた緊張をほんの少し解いた。脱力したのが良かったのだろうか、前方の闇の中、うっすらと縦に伸びた光の線に気付く。私は右手をそっと伸ばした。

「おお!?」

 指先に予想外の触感があり、私はかなりの大声を上げてしまった。直ぐに口を噤み、じっと堪える。

 もしこの光の先が屋外で、先生を付け狙う連中が家の四方を取り囲んでいるのだとしたら、「何だ、この辺りから声がしたぞ!」等と駆け寄って来る可能性は高い。此処までやって来た苦労を水の泡にはしたくない。更に捕獲されようものなら、先生に合わせる顔が(文字通り)無くなってしまう。

 だが、どうやら心配のし過ぎだったようで、一向に外部からの物音はしなかった。私は思い切って身体ごとその光に近付いた。

「うわあ」

 顔の周りにわさわさとしたものが纏わり付き、不覚にもまた声を上げてしまった。だが、存外柔らかいもののようだし、心なしか良い匂いもする、等と考えている内に私は光の直中にいた。

 暗闇に長く居たせいで全てが眩しく感じられる。何度か瞬きを繰り返し、少し明るさに馴らした目で見上げると、私を取りまいているものの正体が判明した。

 フリルを贅沢にあしらった女性物のドレスが、私を左右から挟み込むようにぶら下がっている。私が惚けて手を掛けているのは、どうやら開いたクローゼットの扉のようだった。

「何処だ、一体ここは?」

 そこは寝室だった。私はこぢんまりとした部屋の隅に設えられたクローゼットの中から、誰かの寝室を眺めているのだ。

 クリーム色の壁紙に花柄のカーテン、薄桃色のベッドカバー。女性らしく可愛らしい作りの部屋だ。中央には曲線美の麗しいテーブルと椅子が一組ある。

 一通り彷徨った視線は、テーブル上に置かれているメモ用紙に引き寄せられた(今度は落ち着いた黄色の紙だった)。

 私はメモ用紙を見つけた瞬間、安堵の息を漏らした。この何とも形容し難い状況もまた先生の計画の内だと言うのなら、まだ先に進めそうな気がする。メモがあるという事は、きちんとその正解の道を私が辿っているという証しでもあるのだ。

 クローゼットから這い出た私は三枚目の伝言小説を手に取った。

そこにはこう書かれていた。


 コートと帽子はすっぽりとクローゼットに収まった。

 そうして彼女はすっかり着替えてしまうと、その見慣れぬ館の玄関からしおらしく出て行った。

 右手に掲げた黒い傘でその顔はすっぽりと覆われ、彼女の表情は窺えない。愛する家族の待つ、帰るべき場所へ背を向けると、早足に彼女は歩き出した。

 その先に、彼が待っているとは知らずに。


 何処かで見覚えのある文章に思えた(否、以前先生の書かれた小説に、雰囲気が似ているだけかもしれない)。

 今回のメモもスリオルト先生の筆跡に間違い無かった(先生は丸みを帯びた、少し癖のある書き方をするのだ)。しかし唯一つ今までと違い、明らかに異質な文字が書き加えられている。「着替えてしまうと」という言葉の下に、流麗な筆記体で「白衣を羽織って」とあるのだ。

 確かにベッドサイドには、丁寧に畳まれた白い布があった。あれがきっと、その白衣なのだろう。どういう意図があるのか、誰がこの言葉を追加したのかは分からないが、外衣が一枚加わった所で命の危険が増すとは考えにくい。ここは白衣も含めて、全て書かれている通りにしようと私は考えた。

「どの程度まで、忠実に従えば良いものか……」

 私は悩んだ。否、悩みたかった。

 寄り道をしている暇は無いのだ。先生は怪我をしているし、命を狙う人間が踏みこんで来ると言っていた。だから悩んでいる場合では無いのだ、等と理屈を捏ねた。

「ううむ」

 クローゼットの中を通ってこの部屋へ来たのだから、勿論その中身が何なのかは分かっていた。振り返って見ると、素晴らしく気の効いた衣装に入れ替わっている、等という出来過ぎたお伽話的展開に期待は出来ない。

 そう、この部屋の雰囲気にピッタリな女性用のドレスしか、ここには用意が無いのだ。しかし、それでも急がねばなるまい。

 私は中でも一番色合いが暗く、裾の長いワンピース風の衣装を選び出した。

 小柄な美女が着ればくるぶし丈で見目麗しい状態なのだろうが、私が着ると脛の部分が醜く剥き出しになる。だがやむを得まい。

 白衣を身に付けるようにという指示はスリオルト先生からのものでは無かったが、このドレスだけで居るよりは、多少なりとも隠せる部分が増える。何処の誰とも知らぬ筆記体の主に感謝した(欲を言えば男性用の衣装が望ましかったが、これ以上の贅沢は言えまい)。

 袖を通す時、白衣からは薬品のような、それでいて甘いような香りがした。肩と二の腕部分がはち切れないようにと私は密かに祈った。

 部屋の中に姿見は無かった。それがせめてもの救いだ。今の私の恰好は目も当てられないだろう。妻に見せたら気を失ってしまうかもしれない。

「先生は一体、何を考えているのだろうか」

 口の中でぶつぶつと呟きながら、私は自分のコートと帽子をクローゼットに仕舞って扉を閉じた。勿論、コートの左右のポケットへ仕舞っていた大事な品を、白衣のポケットへ移し替えるのを忘れるなんて失態は犯さなかった。

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