第4話 グリーン・オーシャン
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。それ以降はイマイチパッとしない。初恋は保健の先生。
・レイラ[1?歳]
ファーストネーム以外が全て謎に包まれているミステリアスな女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。爪切りはニッパー型を使っているらしい。
・マスター[50代後半?]
喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。クラシック曲の名前を店名に使っているが、本人はロックとR&Bを愛聴している。趣味はランチョンマット収集。
レイラさんは喫茶店「展覧会の絵」にて反省をしていた。
先日、小説家の小泉工作に無理矢理逆転メガネを装着させ、あらぬ誤解を招きかねないトラブルを引き起こしてしまったことに。
先生がこの店に来なくなってから今日でもう2週間……。あぁ……あんなコトしなきゃよかったなぁ。
一人で虚しくブラックコーヒーを啜るレイラさん。その姿に中年マスターも心なしか心配そうな面持ちだ。
暇を持て余すかのように携帯電話でネットニュースの記事を読み漁るレイラさん。『同じ地域から5人もの女性が失踪』だとか『とある中学校では2人の男子生徒が行方不明』といった物騒な文面が液晶より映し出されるも、彼女は特にこれといった感情も見せず、ただただ文字の羅列をぼんやりと眺めて時間を潰しているだけだった。
そんな中 突然「カララン! 」と軽やかなドアベルの音が店内に鳴り響き、思わず工作の来店を期待して笑顔を作る彼女だったが、その姿が彼とは似ても似つかない清潔なスーツ姿の見知らぬ男だったことが分かり、再びコーヒーカップの濃厚なカラメル色と睨めっこを続けた。
「あ、もしもし……あ、チーフですか」
入店したスーツの男は窓際のテーブル席に座って、ブレンドコーヒーを一杯注文すると携帯電話で誰かと話し始めた。その姿とシチュエーションはいかにもなビジネスの待ち合わせ風景だ。
レイラさんはそんなありきたりな店の空気に物足りなさを感じつつ、眠気に誘われて瞼が重くなる感覚を味わった。しかし、その直後に放たれたスーツの男の言葉によって彼女の睡眠欲は一瞬で消え去ってしまう。
「ちょうど近くによったんで挨拶に寄ったんですけど……工作先生、部屋にいなかったんですよ。……ええ。電話も出ませんね……」
工作先生? 間違いない! このスーツの人は先生と一緒に仕事をしている編集部の人だ! レイラさんはそう確信した。そして男が続けて電話越しに言い放った言葉を耳に入れた瞬間、彼女はチーターのような素早さで店から飛び出してしまう。
「ええっ! なんですって?……先生、一人で青木ヶ原樹海に!? 本当ですか? 」
彼女は駅に向かって疾走した。
まさか……先生……変態セクハラ根暗小説家モドキと勘違いされたコトを苦に……自殺を図るなんて……! 今すぐ止めに行かなきゃ!
レイラさんは思い立ったらすぐに行動に起こしてしまう人なのだ。
□ □ □ □ □
レイラさんは新宿から高速バスに乗り、2時間かけて山梨県の河口湖駅へと到着。そこからさらにバスで30分以上かけて富士河口湖の「西湖コウモリ穴」事務所ロッジにたどり着いた。
時刻は昼の1時過ぎ。彼女は携帯電話のカメラ機能で隠し撮りしていた工作の顔写真を使い、観光客や事務員に聞き込みを開始した。
「この暗そうな人の顔を見ませんでしたか? 」と聞き込み続けると、彼が一人で駐車場から樹海へ入っていくのを見かけたという情報を得た。
待っててね、先生!
事務所で手に入れた地図とコンパスを頼りに、レイラさんはとうとう単身で青木ヶ原樹海へと足を踏み入れてしまった……!
踏み平された登山道から外れないようにして、一歩一歩慎重に、周りを見渡しながら樹木の海を散策するレイラさん。想像よりも道が開けていることに関心しつつも、木々の枝がドームのように空を覆って光が差さず、常に薄暗い。
「ひっ! 」
脈絡無く木霊する鳥の鳴き声、風で揺れた枝木がこすれ合う音に驚くレイラさん。地面からせり出した木の根を踏みつける感触と共にこの樹海は、視覚・聴覚・触覚のサラウンド感覚で彼女に恐怖を植え付ける。
「……先生……どこにいるの……? 」
歩いても歩いても人気の無い風景が続くと徐々に気持ちが不安になるレイラさん。凹凸の激しい土道を歩くには適さないモカシンシューズで1時間程歩き回り、足裏の土踏まずに針を刺したような痛みを感じ始めた頃、彼女はようやく自分の行動がいかに無謀で危険な行為に及んでいるのかを知ることになる。
「え……嘘……」
好奇心旺盛で怖いもの知らずの彼女でも、思わず全身から冷や汗を吹き出しそうになった。
なんと、100m程離れた前方に「誰かが」いることに気が付いたからだ。
その人物はハッキリと小泉工作とは違う人間だった。やや太り目の体系で、大きなリュックサックを背負った男が、ジ………………………………ッとこちらを見つめている。
その時になってレイラさんは改めてこの場所が[自殺の名所]と呼ばれる秘境であることを認識した。
怖い。ただそれだけの感情が彼女を行動に移させた。
「どうしよう! どうしよう! どうしよう! どうしよう! どうしよう! 」
あの男は一体何者なのだろう? これから命を終わらせようとしている自殺志願者なのか? それとも単純に樹海散策を楽しんでいただけなのか? 一切が謎のままだったが、その男から醸し出されていた異質な雰囲気にただただ恐怖心を煽られ、彼女は平常心を失って暴走してしまった。
「先生! 工作先生! 助けて! 」
彼女はつい逃げ場を求め、登山道を外れて獣道へ足を踏み入れてしまった。とにかくあの男から離れなきゃ! 彼女は木の根が這い、苔に覆われた溶岩だらけの地面を走り続けた。何度も転びそうになるも、体制を整えながらどんどん樹海の奥へと駆け込んでいく。
「うわぁッ!! 」
しかし、とうとう地面にぬめり付いた苔に足を滑らせ、彼女は樹海を傾斜をゴロゴロと転がり、1mほどの段差から地面に叩き付けられてしまった。
「痛ったぁ~…………」
全身を打って泥で汚れてしまい、泣きたくなるほどの状況だったが、彼女はそれすらも許されない恐怖の連鎖に襲われることになる。
「そんな……何でよりにもよって……」
レイラさんの足元には、人一人がスッポリ収まるような[大きな穴]があったのだ。それはあの世へと誘っているかのように暗くネガティブなイメージを抱かせるクレーターで、今にも異形の者が這い出して来るかと思うほど。
まさか……もうこれ以上は何も起こらないよね……大丈夫だよね……もう十分怖い思いは前借りしたよ……そろそろ安心出来る展開じゃないかな……
と自分自身に言い聞かせたその瞬間だった。
「ぎええええええッ!!!!!! 」
現れてしまったのだ。黒い大穴の中から、不健康そうな青白い人間の手がにゅるりと伸び出したのだ!
「もうヤダーッ! せんせぇぇぇぇーーーーッ助けてぇぇぇぇっ! 」
恐怖で涙を流しながらその場から立ち去ろうとするも、パニックに陥って上手に立てない。彼女は這いながらその「白い手」から逃れようとしたが、そんな姿をあざ笑うかのように、白い手の主はレイラさんの肩をポンポンと叩き始めた。
「許してくださぁぁい! 命だけはぁぁぁぁ! 」
「…………レイラさん? どうしてここに? 」
「へ? 」
四つん這いになった彼女が振り向いたその先には、トレッキングウェアで身を包んでいつもよりも逞しい印象を抱かせる小説家・小泉工作の姿があった。
「せんせぇぇぇぇーーーー! ごめんなさぁぁーーい! 」
レイラは工作の姿に安心し、張り詰めていた緊張が一気にほどけたようだ。思わず泣きじゃくりながら彼の胸へと飛び込み、自らの非礼をこれでもかと詫びた。
「ちょっと……! どど、どういうことですか? コレは? 」
そのまま泣き続けて落ち着きを取り戻したレイラは、自分が逆転メガネでいたずらを仕掛けたせいで変質者と勘違いされてしまったことを改めて謝り、工作が一人で樹海へと向かったことを偶然聞きつけてここまでやって来たこと、怪しい人物に見つめられて驚き、この場に転がり落ちたことを説明した。
「え? それじゃあ僕を探す為にワザワザこんなところまで!? 」
「そう……先生が思い悩んでいるんじゃないかって思って……心配になってつい……」
「そんな無茶な……僕は次の作品のネタにと思って、この場所に取材しに来ただけだったんですよ……」
「そうだったんだ……良かった……」
工作はレイラの顔に付いた泥をハンドタオルで拭き取り、そこから露わになった褐色の肌を見た瞬間、心に熱いものがこみ上げてくる感覚を覚える。
「ありがとうございます。レイラさん……そんなに心配してくれてたんですね」
工作がそう言って作った申し訳なさそうな笑みに対し、レイラは少し恥ずかしそうに口を緩ませる。
工作は一先ずレイラを一休みさせる為、慣れた足取りで樹海の奥へと進み、彼女を[ある場所]へと案内した。
「さぁ、着きましたよ。ここで一息つきましょう」
レイラはその場所へと足を踏み入れた瞬間、「うわぁ……」と思わず感嘆の溜息をこぼし、しばしその光景に見惚れてしまった。
そこには降り注ぐ日光により神々しく照らされる、大きな赤松の木がそびえ立っていたのだ。
「ちょっと待っててください」
工作はその赤松の根本にビニールシートを敷き、その上に座るようレイラを促した。そしてリュックから水筒を取り出し、フタに注いだ冷たいお茶を彼女に勧める。
「ありがとう」と渡されたお茶を飲みほしたレイラは、やっとのことで心の落ち着きを取り戻し、ホッと思わず空を見上げた。すると、ここが樹海であることを忘れてしまうほどに明るい日光が生気ほとばしる針草の隙間からこぼれ落ち、彼女は頬に優しい温もりを感じ取った。
「不思議だね……この場所。この一本松以外に周りに他の木が生えてなくて樹海にポッカリ穴が空いてるみたい……なんだか、綺麗だね」
「そうでしょう。気に入ってもらえて良かったです」
工作はレイラが落ち着いたことに安心し、自分もリュックに備え付けたカラビナ付きのカップに注いだお茶を一口含み、一言……
「これがいいんですよ、これが……」
と、いつもの言葉を吐き捨て、しみじみとした表情を作る。レイラはそんな工作の行動を見てハッ! と何かを思い出し、愛用のモスグリーンのカジュアルリュックから茶色の紙袋を取り出して彼に手渡した。
「先生! コレ、買って来たんだ。お詫びのしるし」
「まさか! 」と驚く工作。彼はその紙袋に記された「FORNERIA MARUKO-EMI」の英文ロゴに見覚えがあったようで、袋の中に収められていた小さな手のひら大のパイを取り出すと、興奮を抑えきれずに思わず声を上げた。
「これは……巷で大人気を誇り、限定生産で入手が困難な[フォルネリア・マルコエミ・特製ミートパイ]じゃないですか!? 」
「そう。高速バスの時間まで余裕があったから買ってきたの。ラッキーだったよ、私が行った時にはもう2個しか残ってなかったから」
「さすがですねレイラさん……ありがとうございます」
彼女の好意に対して敬意と感謝で胸が一杯の工作。彼はこのミートパイのことが前々から気になっていたが、なかなか機会に恵まれずに口にすることが出来なかった。「あのミートパイを一口食べてみたい」という希望が、まさかこんな秘境の中で実現するとは思いもしなかったことだ。
「レイラさん、一緒に食べましょう」
「いいの? 2つとも先生にあげるつもりだったんだけど……」
「いいんですよ、こういうのは2人で食べた方が美味しいんです」
工作の屈託の無い笑顔でそう言われては、レイラも断るワケにはいかなかった。その好意に甘えて彼と二人、樹海の中の奇妙なティータイムを楽しむことにした。
「なんだか、今日の工作先生はいつもと別人みたい。なんだか自信に溢れてるっていうか……」
いつもの喫茶店「展覧会の絵」では疲労と虚無感に覆われている工作。レイラはそんな彼がこの樹海の中ではまるで、水を得た魚のようにポジティブな雰囲気を醸し出していることが不思議だった。
「僕にしてみれば、レイラさんこそいつもと違いますよ。何というか……元気に泣いたり怯えたりして、いつもより親しみやすい感じがします」
「そういうところ! いつもの先生ならそういう風なコトは絶対言わないでしょ! 」
「そうですかねぇ? 」とレイラを誤魔化しながらミートパイを一口齧り、「美味い! やっぱりウワサ通りの味ですね! 」と舌鼓を打った工作は、しばらくその余韻を楽しむかのように、赤松にもたれ掛かって静かな空気を作り上げた。レイラもそれにならって巨木を背もたれにする。
「レイラさん……」
「なに? 先生」
工作は手に持った食べかけのミートパイを見つめながら語り始めた。
「この青木ヶ原樹海はね、僕が小説家を目指すキッカケになった場所なんだ」
突然の告白にレイラは思わず工作の方へと視線を向ける。
「もともと僕は20歳の頃から印刷関係の会社で営業マンをやっててね……特別良くも特別悪くも無い、そこそこの成果を残しつつ7年もの歳月を過ごした。それなりに仲間と楽しくやって、それなりに恋愛して日々を過ごしてきた。平凡だったけど、別に不満をもっちゃいなかった……でもそんな時にね。変な友人から突然妙な誘いを受けたんだ」
「変な友人? 妙な……? 」
「うん、そいつは日本中の廃墟や秘境を巡るコトが大好きなヤツでね、『一緒に青木ヶ原樹海に行こうぜ!』って僕に突然電話を寄こしてきた。初めは乗り気じゃなかったけどね、まぁ何となく怖い物見たさな好奇心と山梨を観光するついでに……と軽い気持ちで承諾してみたんだ……でもね、そしたら驚いた」
工作はゆっくりと立ち上がり、レイラを見下ろした。
「レイラさんもここに来た時思ったんじゃないかな? 『樹海ってこんなに美しい場所だったんだ』って」
レイラは工作を見上げながら頷いた。彼女もこの場所へ直接足を踏み入れるまでは、自殺の名所としてのネガティブなイメージが先行していて、紫色がかったおどろおどろしい木々が死神のように立ち茂っている印象を抱いていた。しかし、落ち着いて周囲を見渡せば青々とした木々が力強く立ちはだかり、生命の息吹を感じるほどの美しい情景が数々あることを実感したのだ。
「完全に僕は固定観念に縛られていたんだ……実際ここに足を踏み入れるまで、この場所の素晴らしさを想像しようとすらしなかった」
「そうだよね。私も自殺の名所ってのが嘘みたいに思った」
工作はレイラのその言葉を待っていたかのように、得意な表情を作って話を続けた。
「知ってるかいレイラさん。この青木ヶ原樹海に多くの自殺志願者が集まるようになった原因は『小説』なんだ」
「え、そうだったんだ? 」
「うん。その原因となった小説の最後にね、主人公の女性がこの樹海に消えていくシーンがあるんだ。で、その小説が発表された同じ年にそのシーンをマネして青木ヶ原樹海で自殺を図った女性の死体が発見されて大騒ぎになったんだって。そのニュースがキッカケでこの場所には多くの自殺志願者が集まるようになったらしいんだ……まぁ皮肉にもそのおかげでこの場所には人が寄らなくなって、多くの美しい原生林や洞窟が手つかずで残されることになったんだけどね」
「へぇ~……」とひたすら感心するレイラ。彼女は、ここが自殺の名所となった理由はてっきり、何かオカルトめいたこの場の雰囲気が自然と心を弱らせた者を引き寄せているから。だと思い込んでいたからだ。
「その話を変な友人から聞かされた時にね、僕の中で何かが弾けたんだ。たった一人が作ったたった一つのストーリーが、ここまでも世間を、環境を、人の心を動かしてしまうんだ……ってね。それで僕はストーリーの力、文字の力に興味を抱いて小説家になったんだ」
どんな書籍にも、ネットの情報にも載っていなかった彼の以外な過去の物語に、レイラはひたすらのめり込み、そして納得した。工作がこの場所で妙に生き生きとしているのは、ここが彼にとっての特別な場所……「ホーム」だということだからだ。
「見てごらん」工作はそう言って齧って半分になってしまったミートパイを自分の目の前に掲げる。
「レイラさんがくれたこのミートパイ一つにも、これを作り上げる為に様々なドラマがあるハズなんだ。誰がどんな思いを込めて……どんな出来事をキッカケにしてコレを作り上げたのか……そんなコトを想像してそれを文字としてカタチにする。それこそが文字書きの楽しいところであり、根幹なのだと僕は思う」
そう言って工作はミートパイの残りを口に放り込んで咀嚼する。レイラはその姿に少し見惚れ、彼のその姿にある種の崇高さすら感じていた。仕事と信念について語る工作の姿が、彼女にはとても眩しい存在として目に映っていた。
「さぁ、そろそろ帰りましょうか」
自殺の名所で開かれたティーパーティは30分程で閉会となった。神秘的なスポットとはいえ、やはりこの場所は不審者の来訪も少なくなく、安全とは言い難い場所だ。
「道、分かるの? 」
「大丈夫ですよ、僕はこの場所に何度も訪れていますから。大船に乗ったつもりで着いてきてください」
「樹木の海を航海するってことだね」
「後悔はさせませんよ」
工作のジョークに愛想笑いを浮かべようと思ったレイラだったが、木々の間から見える「とある存在」に気が付いた瞬間、心を緊張させて思わず工作の後ろへと身を隠してしまった。
「レイラさん? どうかしましたか? 」
彼女の体が蛇に睨まれた小動物のように震わせていることに気が付き、工作も首筋に汗を浮かばせる。
「先生、あそこ……見て。私、さっきも会ったの……あの人に……」
レイラが怯えながら指さす先には、先ほど彼女と鉢合わせた、大きなリュックサックを背負った太り気味の男性が立っていた。今度は30m程先まで近づいてきていて、相変わらず目から光線でも出しているかと思うほどにコチラの様子を凝視していた。
その男の姿を確認した工作は「レイラさん、安心して」と、彼女に耳打ちしたかと思ったら、おもむろに「こんにちは~! 」と左手を振り始めた。
レイラは えぇっ! 何やってんの!この人! と彼の行動に驚いたものの、リュックの男性も工作と同じように「お~う」と大きな声で挨拶を返してきたのだ。
「その女の子は、君の知り合いか~? 」
「そうです、心配しないでくださ~い」
そんなやり取りを交わした後、リュックの男は安心した顔つきを浮かべ、そのまま立ち去って樹海の奥へと消えてしまった。レイラはその一部始終に呆気にとられてしまった。
「ええっ? 先生、今の人……知ってる人なの? 」
「いや、知らないですよ。でもよく見れば首に立派なカメラをぶら下げてましたし、登山用の靴にリュックも背負っていました。それにトレッキングポールだって持ってたじゃないですか。あの人は僕と同じように、この場所の観光に来ていただけだよ」
レイラは工作の説明を受け、確かにそうだ。と納得した。冷静に考えてみれば、ショートパンツにモカシンシューズを履いて樹海をウロウロしている自分の姿の方が、相手にしてみれば余程「怪しい」人間に映ったのかもしれない。下手をすれば自殺志願者かと勘違いされていて、リュックの男性はそれを心配してジッと私達を観察していたのかもしれない……と。
「何だか私、今日は早とちりばっかりで恥ずかしいな……」
工作と共に歩きながらレイラは反省する。
「この前は先生にも恥かしい思いさせちゃったし……私、調子に乗りすぎちゃってたなぁ……」
今まで軽々しく工作に振る舞っていた自分自身の行いを思い返して落ち込むレイラ。しかし、そんな彼女の背中をポンっと元気付けるように軽く叩き、工作は言った。
「それがいいんですよ……それが。レイラさんは今まで通りでいいんですよ」
「……でも」
「いいんです。それがレイラさんの良いところなんですから……それに、僕だって君に恥ずかしい思いをさせちゃったからね、申し訳ない」
レイラは工作のその言葉によって、心に引っ掛かっていた重りのようなモノが一気に解き放たれた心地になった。それと同時に工作の心の広さに尊敬の念も湧き上がり、彼女の足取りは軽やかになった。
「最近、レイラさんのおかげで僕の評判、結構いいんです。この前話した……男を迷路に監禁してボールペンで血を流させて死なせるヤツ、上の人にもイイネ! って褒められたんですから」
「そうなの!? 」と驚くレイラ。彼女は工作が自分に話してくれたストーリーを小説のネタとして使っていることを知らなかった。
「ええ。それと男女を瓦礫の下に閉じ込めるアイディアもレイラさんのおかげで閃いた発想です。感謝してますよ……あぁ、でも男の両足を切断するのはやり過ぎだ! って注意されましたけど……」
「ええー! 私はいいと思うのになぁ……」
「う~ん……男の両足を切り落とすってことよりも、その足を女に食べさせるってのがマズいみたいですね……僕としてはそっちの方向に持っていきたかったところですが、上が駄目だというのであればしょうがないですね」
「私でもそうするよ。そっちの方がインパクト強いと思うし……もったいないなぁ」
「そうなんですけどねぇ……あ、でも拷問メガネのアイディアはそのまま使えそうだ。って言ってくれました」
「G・Mストラットンの? 」
レイラは待ってましたとばかりに、リュックの中から例の[逆転メガネ]を取り出し、工作に見せつけた。
「うわっ! 何で持ってるんですか? そんな拷問道具を! 」
工作はその逆転メガネを見ると、半ばトラウマが再発したように怯えてしまった。
「いやぁ……隙をついて誰かにはめて見ようかと思って……」
「それだけはやめてくださいよ! もうあんな悲劇はまっぴらですから!」
彼の反応に満足したのか、いつものように無邪気な笑顔を取り戻して鈴の音のような笑い声を樹海の中で響かせたレイラ。工作もそんな彼女の表情を見ると、つられて同じように笑い声をあげる。
「先生、今度はいつここに来るの? 」
「そうですねぇ……また、気が向いたらって感じですね」
「それじゃあさ」
「なんですか? 」
「その時は教えてくれる? 私ももう一度ゆっくりこの場所を見てみたい」
「ええっ……? たまにヤバイものを見つける時だってあるんですよ? 」
「その時はその時! 」
「いいんですか……? 」
「もちろん! 」
「う~ん……」と、工作はほんの少し考え込んだ後……
「分かりました。その時は一緒に行きましょう」と、レイラの願いを承諾した。
「さっすが先生! 伊達に印税貰ってないね! 」
「なんでそんなに生臭い褒め方をするんですか君は……」
次にここを訪れる時は僕だけじゃなくて、二人なんだな……。工作はレイラと歩きながら心が膨張するような気持ちになっていた。大切な心の[ホーム]を共有できる仲間が出来たことが、彼にとっては嬉しくてたまらなかったのだ。
「今日は先生のコト、色々分かって楽しかったなぁ~」
「秘密ですよ、このことはウィキにも書いていませんから」
「へぇ~……私が編集しちゃおっかな~」
「やめてくださいよ……書いても僕がスグ消しますからね」
「ははは、冗談だよぉ」
死と美が同居する青木ヶ原樹海の真っただ中。山岳装備の男と謎のゴーグルを持った怪しい女が並び歩きながら談笑する姿はことさら奇妙であったが、ひたすら微笑ましくもあった。
樹海は彼らが再び足を踏み入れる時も一切の拒絶をしないだろう。この場所はどんな人間だって、どんな生命だって受け入れて抱擁する、緑色の大海原なのだから。
■ ■ 翌日 ■ ■
「うう……レイラさぁん……やっぱりあんなコトをやらかした後じゃ入りずらいですよぉ……」
樹海での勇ましさはどこへやら。小泉工作は不可抗力とはいえ、レイラにセクハラ紛いの行為をやらかしてしまった喫茶店「展覧会の絵」の入口ドアを、開けようか開けまいか迷いながら奇妙なステップを踏み続けていた。
「先生。マスターだって『いつでもおいで』って言ってくれてるんだから大丈夫だよ」
「そうは言いましても……」
へっぴり腰で情けなさすら感じさせる工作の姿に痺れを切らしたレイラは「はぁ……」と溜息を一つ漏らし「もう! 」と自分の左腕と彼の左腕とをガッチリと組み始めた。
「レイラさん? 」
「被害者の私とこうして店に入れば問題ないでしょう? 」
「ですがレイラさ……」
工作が喋り終える前に、レイラは無理矢理店のドアを開き、彼を店内へと引きずり込んでしまった。
「カララーン! 」と軽やかなドアベルの音が響き渡り、数週間振りの常連小説家の来訪を歓迎した。コーヒーの香りが漂う店内には客はおらず、いるのはカウンターにてグラスを磨く中年マスターだけ。
「……どうも……その節は……あのっ……すみませんでした……」
露骨に気まずそうな返事をする工作。そんな彼に対し、マスターはほんの少しだけ口角を吊り上げ……
「……おかえり」
と一言だけ呟いた。
[グリーン・オーシャン] 終わり?
■ ■ 数ヶ月後、とある警察署の取調室での音声記録 ■ ■
「矢加部太郎、お前は今まで5人もの人間を殺し、その死体をバラバラにして全部青木ヶ原樹海に捨てた。間違いはないな? 」
「ええ、その通りですお巡りさん。あそこは人気も無いし洞窟やらなんやら隠し場所がいっぱいありますから……登山者やカメラマン風の恰好をしていれば怪しまれずに歩き回れます。死体を隠すには死体の中ってワケですよ」
「……でもお前は6人目に殺した人間は樹海には持ち込まなかったな……なぜだ? そのおかげでお前はこうやって逮捕されているんだぞ! なぜ今まで通り青木ヶ原樹海に捨てなかった? 」
「……ええ、それはですね……」
「なんだ? ハッキリ言え! 」
「…………それはね、お巡りさん。あの場所で、二人の悪魔に出会ったからですよ……俺なんか足元にも及ばない」
「悪魔……どういうことだ? 」
「俺は、その時偶然出会ったんだよ……不健康そうな色白男と、その場に似つかわしくない色黒の可愛い女をな。その時死体を捨てようとしていた所を2人に見られたかもしれないと思った俺は、後ろからそいつらを追いかけて口封じをしようととした……でもな……あいつら……楽しそうに喋ってたんだよ……人間を監禁し、足をぶっちぎってそれを女に食わせようってな……」
「……それは……本当なのか……」
「あぁ……俺はゾッとしたぜ……あんなに楽しそうに人を弄ぶことについて語ってるヤツらなんか見たことがねぇ……おまけに女の方は、よく分からん拷問道具を常に持ち歩いているようだった……恐ろしいぜ……だから俺はそいつらを殺すことを諦めたのよ……」
「……それでお前はもう青木ヶ原樹海には行けなくなった……と? 」
「ああそうさ……あいつらは……人を生かさず殺さず、拷問を楽しむ……ホンモノのサイコ野郎だぜ……」
[グリーン・オーシャン] 今度こそ終わり
→次回[バスタブフィッシュ]へと続く。
この第4話まででひとまずの「第一部」終了となります。次回からは「第二部」とさせていただき、新キャラも登場予定です('ω')ノ
なお、今回作中に登場した、『フォルネリア・マルコエミ・特製ミートパイ』の制作秘話についての詳細は……[フォルネリア★マルコエミ]にて、お読みいただけます。お暇があればこちらもどうぞ
(*・ω・)ノ
http://ncode.syosetu.com/n4327dg/
■今作の参考文献
鹿取茂雄 著 「封印された日本の秘境」
■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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