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小泉工作とレイラさん  作者: 大塚めいと
第一章 「日常」が「非常」に変わる
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第3話 ストラットンゴーグル

【登場人物紹介】



小泉工作(こいずみこうさく)[34歳 独身]

 サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。それ以降はイマイチパッとしない。シャワートイレ以外で用を足すことを拒む。



・レイラ[1?歳]

 ファーストネーム以外が全て謎に包まれているミステリアスな女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。右耳たぶにピアス穴がある。



・マスター[50代後半?]

 喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。クラシック曲の名前を店名に使っているが、本人はロックとR&Bを愛聴している。最近カホーンを衝動買いしたらしい。

挿絵(By みてみん)





 小説家の小泉工作は、ションボリしていた。





 先日、喫茶店「展覧会の絵」にて謎の女「レイラ」が注文していた牛スネ肉のシチューが食べられなかったことに。





 はぁ……せっかく楽しみにしていたのですが……





 中年マスター曰く「シチューはその時たまたま作っていたから出しただけ」とのこと。常連である工作ですら知らない裏メニューの情報を、何故レイラが知っていたのか? 彼が彼女に抱く疑問がまた増えてしまった。





 ビーフシチューの為に空かせていた胃袋をハムサンドで誤魔化しつつ、工作は今日も恋愛小説のように甘いカフェオレをチビチビと口に運ぶ。少し出鼻はくじかれたものの、彼はいつも通り、雲一つ無い真っ青な空のような時間をしみじみと過ごす。





「これがいいんですよ……これが……」





 そんな悠久とも思える時間だったが、喋り出しが少し低音になる独特な口調の女声が彼の鼓膜を振動させ、充実なプライベートの壁を粉砕させてしまった。





「お~い! 都内在住の自称小説家 K・K さ~ん! 今日もお仕事サボリですかぁ~? 」





 彼女は工作の隣のテーブル席に一切の気配を感じさせず着席していた。それに驚いた彼はうっかり口の端から少しだけカフェオレを漏らしてしまう。





「ええっ! いつの間に?」





 ここ数日、工作の日常を脅かすミステリアス女性「レイラ」が今日も漏れ無くそこにいたのだ。





「だって先生がこの前『もっと静かに入れ! 』って言ってたから」





 口の端を紙ナプキンで拭いながら、工作は静かに声を荒げる。





「振り幅が極端過ぎるんですよ、やることが0か100ですね君は! それにやめてくれますか! 人を何かやましいコトをした人物みたいに呼ぶのは! 健全ですからね! ついでに僕は自称ではなくれっきとした小説家ですから! これでもそこそこ売れてるんですよ! それと……しっかりと休憩を取るコトだって仕事の一部です! サボリじゃないですよ! 」





 熱した鉄板に水滴を落としたような工作の反応。その姿にレイラは十分満足したのか、抱えるように笑いだしてしまった。どうやら彼女は数回一緒に話をしただけで「小泉工作の正しい楽しみ方」を十分と心得ていたようだった。





「ハハッ! 先生ってやっぱり面白いなぁ……飽きない! 」





 目上に対する態度とは思えない言葉を投げかけながら、彼女は当然のように工作と同じテーブルに着席して向かい合った。





「大人をからかうのはよしてくださいよ! 」





「ごめんごめん! お詫びに面白い物を見せてあげる! 」





 ウィンクしながら両手を合わせてライトな謝罪を終えた後、彼女はモスグリーンのカジュアルリュックから何かを取り出し、「ジャジャーン! 」と自前の効果音と共にテレビショッピングの司会者を思わせる手つきでそれを工作に見せた。





「何ですかそれは? ゴーグルのように見えますけど? 」





「これはね、『逆転メガネ』っていう物なの。友達が貸してくれたんだ」





「まさか? G・M・ストラットンが研究で使ったという? 」





「正解! さっすが~! 」





 工作は何かの資料で逆転メガネの正体を知っていた。その特殊なメガネは、掛けた者の視界の左右を逆転させるという不思議な構造の実験用具であり。1890年代に知覚心理学者のG・M・ストラットンが研究に使用したことで有名である。





「現物は初めて見ましたね……で? その逆転メガネをどうするんですか? 」





 レイラは「ふふふ~ん」と何か良からぬ笑みを作りながら、テーブルを跨ぐように身を乗り出し、ゴムバンドでしっかり固定するタイプのその逆転メガネをおもむろに工作の頭部に取り付け始めた。





「ちょ……ちょっと!? 」





「動かないでね……」





 その時、工作は彼女のふくよかな胸部が目の前に迫ってきていることに少しだけ鼓動を高鳴らせている自分に気が付き、それを抑え込むことで必死だった。「いかんいかん! 」と我を取り戻した時にはすでに遅し、彼の頭部にしっかりと逆転メガネが固定されてしまっていた。





「どう先生? 左右が逆の鏡面世界の景色は? 」





「………………気持ち悪いです。とても……」





 自分から見て右側にあったハズの店内のカウンターが左側に、左側にあったハズの観葉植物が右側に……工作が見る世界は見事に左右が逆転し、平衡感覚を狂わせた彼の頭はパニック状態に陥った。





「そうでしょ? 凄いよね! 右手を上げたハズなのに左手が上がって、左手を伸ばすと右手が伸びてって感じで! 」





「その通りですレイラさん……ですがそろそろ……」





 想像以上の脳内の混乱に吐き気すら催してきた工作はそろそろこの世界から解放されたかった。そして何故自分がこんな目に合わなくてはならないのかを彼女に問いたかったが、この直後に彼は想像だにしなかった試練に見舞われることになる。





「アレ? 私、財布をどこにやったんだっけ? 」





 嫌な空気をひしひしと感じ取った工作。





「ごめん先生! さっき寄ったコンビニに財布置き忘れてきちゃったみたい! ちょっと取りに行ってくるね! 」





 そしていつものように慌ただしく店外へと消えていく彼女。工作は怪しげなゴーグルをつけて一人残されてしまった。





 これはマズイですね……コレは……。





 実は、工作はこの時自分の手でゴーグルを外すことが出来なかった。何故なら前日、日頃の運動不足を解消しようとジムで汗をかくことにしたのだが、慣れないウェイトトレーニングに挑戦したおかげで全身が激しい筋肉痛に陥り、その影響で両腕を肩より上に上げることが不可能になっていたのだ。





 ううっ、どうしてもゴーグルを外すことが出来ない……急がないと……ヤバイかも知れませんね……。





 二重苦によって身動きの取れない工作だったが、そんな彼はもう一つの「苦」により更なる窮地へと追いやられることになる。






 も……漏れそうです……膀胱が……膨れ上がってますよ……。





 それは、気を抜けばレーザービームの如く射出されつつある激しい「尿意」だった。レイラが戻ってくるのを大人しく待っているか? それとも逆転世界を彷徨ってトイレを目指すか? 工作は残酷な二択を選ばなくてはならなくなった。





 なんで僕がこんな目に……こんな拷問じみた洗礼を受けなくてはならないんですか……? 





 心の中で咽び泣く工作……だがその時だった……。





 この状況は……!





 彼は「ハッ! 」と脳内にて光を弾けさせ、溢れ出るアイディアの源泉を掘り当てた感触を得たようだった。





 この状況は……使えるぞ! 





 そして小泉工作はゆっくりと語り始めた。









 ■ ■ ■ ■ ■





 とある公衆電話でナンバー「0」を1分間押し続けることで、悪魔との1億円を掛けたデスゲームを行うことが出来るという噂があった。





「勝てば1億円だって? やってやるぜ! 」





 そんな噂を聞きつけ、命知らずの男が悪魔に挑戦を表明した。話の通りにナンバー「0」を押し続けた男はガスで眠らされ、気が付いた時には6畳半の一室へと運ばれていた。





「なんだここは? 誰かの部屋か? 」




挿絵(By みてみん)




 男が目覚めた場所には、キッチン・冷蔵庫・ベッド・テーブル・照明・シャワー・トイレ等々、日常生活を不自由なく過ごせる為の家電や設備が一通り揃っている。窓が塞がれていることと、出入り口が頑丈にロックされていること以外はまさに「普通の部屋」だった。





 もっとおぞましい場所に連れていかれるのでは? と思っていた男は少々拍子抜けしたが、締め付けられる頭部の感触に違和感を抱いたことで、自分自身に重大な「変化」が起きていることにようやく気が付いた。





「うわっ! なんだこりゃあ! 取れねぇぞ! 」





 男の頭部には強固に固定されたゴーグルが取り付けられていたのだ。しかもそれは眼球を保護する為に作られた物ではなく、掛けた者の視界の左右を逆転させる特殊なレンズがはめ込まれたゴーグルだった。





「うげぇっ! くそっ! なんなんだこのゴーグルは! 」





 吐き気を催しながら室内をのたうち回る男だったが、テーブルの上に一枚の書置きが残されていることに気が付く。そこにはこんな文面が記されていた。





『ゴーグルを付けたまま1ヶ月過ごせ。もしも外したら部屋に毒ガスを撒いて殺す。この部屋から脱出しようとしても殺す。食料は部屋にある物を食え』





 男はこのゲームのルールを理解し、すぐさま「楽勝じゃねぇか! 」と楽観した。何故なら視界を逆転して不自由な生活を強いられるだけだというのなら、食事の際だけ何とか我慢して、後は目を閉じて寝ていればいいだけのこと。





「これで1億円ならチョロイもんだぜ! 」と、男が浮かれたのも束の間、室内に突然警報のようなブザーが鳴り響いたと思えば、出入り口ドアの郵便受けに「ストーン! 」と何かが投げ込まれた。そしてさらに、部屋に備え付けられていたスピーカーより機械で変声された不気味な声が流され、彼に語り掛け始めたのだ。





『さァ、「逆転チャレンジ」の時間だ! ただ今ヨリ君に漢字ノ書キ取リをやってモラウ。ノルマは30ページ! 今日中に出来ナかったらゲームオーバーだ』





 突如強いられた試練。男は冷や汗を掻きながら郵便受けに投函された「小学一年生の漢字ドリル」を手にする。パラパラとめくるとそこには鏡に映されたように反対になった文字の数々が視界に入り込み、彼は狼狽してしまう。





「まじかよ……この状態で文字を書けってのか……? 」





男はこの時初めて実感する。自分に課せられた「左右逆転生活」の非情さと過酷さに……





 右手を動かせば自分の視界の左側の手が動き、ペンで左方向に線を引いたと思ったら右側に走り……漢字の書き取り一つで、彼の精神力のすり減りは名人同士で行われる将棋戦に匹敵した。





 地獄の「逆転チャレンジ」は毎日行われ、ある時はジグソーパズル。ある時は折り紙。そしてまたある時はテレビゲーム。といった具合にバラエティに富んだ内容で男を苦しめた。男の様子は常に監視されていて、もしも目を閉じて手探りだけでそれらをこなそうとした時には、大音量のブザーで警報して毒ガスの散布をほのめかした。





 男に逃げ場はない。真っ向から「逆転チャレンジ」に立ち向かうことだけが生命線だった。





「くそう! やってやる! 絶対にやり遂げてやる! 」





 しかし彼は1億円に対する類まれな物欲の力で、見事にそれらを切り抜けてみせ、そして試練の半分、つまり15日間が経過した頃。ついに男の脳内は逆転世界に適応した。





「今日のチャレンジはルービックキューブか……余裕だな」





 徐々に難度が高くなっていく逆転チャレンジを男は次々とこなしていく。文字の書き取りは当たり前、短編の小説だって楽々と1日で読破出来るようにまで成長した。





 そして運命の日……彼は見事に逆転生活を1ヶ月やり通した。





『オメデトウ! 君の勝利ダ。約束ドオリ1億円を進呈シヨウ! 』





 無機質な合成音での祝福と共に、部屋には公衆電話の時と同じ催眠ガスが散布されて男は再び強制睡眠に陥った。





「…………ん? ……ここは……? 」





 ガスの効力が消えて男が目を覚ますと、その場所が人気の無い道路沿いの歩道だということを確認した。





「俺……あの部屋から出られたのか……? ……そうだ! ……1億円は!? 」





 報酬の1億円は、自分が枕替わりにしていたアタッシュケースの中にしっかりと納められていた。




「すげえ……!」





輝く光沢の札束が男の表情をだらしなくさせた。そして男はしばらくその場に座り込み、この臨時収入をどんなコトに使おうか?と妄想を膨らませ始める。





 しかし、そんな心の緩みを見計らったかのように、一つの悲劇が彼を待ち構えていた。




「あぶねぇぇぇぇ! 」





 1台の自転車乗りが歩道を猛スピードで走らせ、男の方へと突っ込んできたのだ! 





 「ヤバイ! 」と男は反射的に道路とは反対側の方向へと横っ飛びをして自転車から避けようとした……しかし! 





「あれ? 」





 左右逆転生活に慣らされた男は、その癖で思わず道路側へと飛び避けてしまったのだ。そして運悪く迫り来た大型のダンプカーに衝突し……





「うわああああああっ!!!! ……………………」





 その命を終わらせてしまった……。





 その光景を遠くで見つめていた悪魔はそっと笑みを作り、1億円が入ったアタッシュケースを何事もなかったように回収して霧のように消え去った……





 ■ ■ ■ ■ ■





「ふふ……ふふ……これはいいですよ……いいですよぉ……! 」





 新たに仕入れたネタからストーリーを脳内で構築する工作。彼はその出来によほど満足したのか、心の声が口から発せられていることに、そして思いっきり表情をにやけさせていることに気が付いていなかった。





「先生……何やってるの……? 」





 無事に財布を発見して店に戻ったレイラは寄生虫を見るような口調でそう言って、彼に付けられていた逆転ゴーグルを強制的に引っ張り外す。





「あ! レイラさん。財布は無事だったんですか? 」





 自分の左側に立つレイラの姿を見て、工作は安堵の表情を浮かべた。





「……先生……一人にしてゴメン……周りをよく見て! 」





 逆転世界から解放された工作が冷静になって店内を見回すと、そこには珍奇なモノを見る視線を彼に向ける他の来店客達。レイラが一度店を出た後、彼の知らぬ間に「展覧会の絵」には珍しく団体客が詰め寄せていたのだ。





 昼下がりの喫茶店で不気味なゴーグルを装着しながら、ブツブツと独り言を呟く工作はあまりにも「不気味」な姿に映り、マスターを含め誰一人声を掛けることが出来ずにいた。




「うそっ! そんな……ええっ! 」





 混乱と羞恥で顔を真っ赤に染め上げる工作、そして同時に自分が先ほどのまで必死に尿意を抑え込んでいたことに気が付いた。





「しまった! 漏れる! 」





 とにかくトイレへと駆け込もう! 溜め込まれた水分を解放する為、羞恥の視線から逃れる為、工作は席を立ちあがった! しかし……! 





「うわぁッ!! 」





「せっ! 先生っ! 何を!?」





 ついさっきまで逆転世界に陥っていた彼は、席の右側からテーブルを抜け出すつもりが、逆方向の左側へと体を向けてしまいそこに居合わせたレイラと衝突! そして彼女に覆いかぶさる形で倒れ込んでしまった! 





「すみませんレイラさん! 体が方向音痴になって! 」





 全身筋肉痛に加え、逆転世界での癖がついてしまった彼は、すぐに起き上がることが出来なかった! 





「いいから早くどいて! ってどこ触ってるの!! 」





「ごっ……ごめんなさい! 手が勝手にィィィィッ! 」





 その騒動に店の女性客は悲鳴を上げ、男性客は工作を取り押さえようとして彼を羽交い絞めにした。





「キサマァッ! 白昼堂々とこんなコトしやがって! 」





「不可抗力ですッ! 『逆転チャレンジ』の影響で……! 」





「『逆転チャレンジ』だぁ? 意味わかんねぇコト言いやがって! お前がやってんのは『突然ハレンチ』だろうが! 」





 工作が何とか言い訳をしようとするたびに、自体はより一層ややこしくなっていく。





「ま……待ってださぁい! 僕は小説家です! 怪しくないです! 」





「でたらめ言うんじゃねぇ! 自称だろ! この変態が! 」





「ひぃぃぃぃ……! 助けてぇ! レイラさぁぁぁぁん! 」









 その後、レイラの説明によってこの場は何とか穏便に収めることは出来たが……この喫茶店では変態自称小説家として汚名が知れ渡ってしまい、彼はしばらく来店を自粛する羽目になってしまった。










 ちなみに、工作が高い代償の上に思いついた逆転世界のストーリーは連載小説のネタとして採用され、読者からは大変好評だったそうな……。













[ストラットンゴーグル] 終わり


   →次回[グリーン・オーシャン]へと続く。

工作「レイラさん……結局のところ逆転ゴーグルを僕に掛けさせて何をしたかったんですか?」


レイラ「いや……別に……なんか面白いかな……って思っただけ……」


工作「…………」


■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

感想・コメント等、お気軽にどうぞ(^ω^)■■■■

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