第2話 レスキュー・ベイビー
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。それ以降はイマイチパッとしない。執筆はWin〇owsの「メモ帳」派。
・レイラ[1?歳]
ファーストネーム以外が全て謎に包まれているミステリアスな女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。爪の白い部分(爪半月)が大きい。
・マスター[50代後半?]
喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。クラシック曲の名前を店名に使っているが、本人はロックとR&Bを愛聴している。お酒が飲めない。
小説家の小泉工作は、いつものように喫茶店「展覧会の絵」の壁際テーブル席にて砂糖をたっぷり溶かした甘ったるいカフェオレに舌鼓を打っていた。
「これがいいんですよ、これが……」
いつものように彼は中年マスターと自分だけしかいないこの虚無の休憩時間をしみじみ楽しんでいたが、ドアベルがけたたましく鳴り響く音と共にそれも終焉を迎える。
「こんちはー! 」
思わずカフェオレを吹き出しそうになった工作。風のように店内に飛び込んできたのは紛れもなく、謎の女性「レイラ」その人だったからだ。
「あ! 先生! 今日もいるんだ」
「もうちょっと静かに入れないんですか? 君は? 」
「いいからいいから、マスター! いつものヤツと……牛スネのシチューもお願い! 」
禅寺にラップミュージシャンが紛れ込んできたかのような賑やかさと共に、レイラは慣れた様子でマスターへ注文を済ませる。
彼女……この店に慣れている……? 常連なのか? それに牛スネのシチューだって? そんなメニューあったのか……! 今度頼んでみますか……。
「ふー、やっぱここは落ち着くねぇ……」
そして彼女はさも当然かのように工作の常連テーブルに相席し、マスターから差し出された清涼な水で喉を潤し始めた。
「どうして君もこの席に座るんですか? 」
工作はメニュー表をわざとらしく目の前に掲げて彼女との視線を逸らしながら苦情を漏らす。
「まぁいいじゃん? それと、この前は面白い話をありがとう! さすが小説家!って思っちゃった! 尊敬しちゃう」
その言葉に彼もまんざらでもなく「……そ、そうですね! ま、プロですからね! 私は」と鼻高々に自賛した。先日は彼女のお陰で行き詰っていた窮地を脱出できたことは棚に上げて……
「そういえば君、僕との約束を果たさないまま帰ってしまったじゃないですか? アレはどうなったんですか? 」
「アレ」とはレイラが工作の目の前で見せた「コーヒーをオレンジジュースに変える秘技」である。前回はその秘密を明らかにすることを条件に彼女の要求をのんだ彼だったが、それを聞く前に逃げられてしまったので悶々とする日々を送る羽目になっていたのだ。
「あ! ゴメンゴメン! 忘れてた! あ、でもちょっと待ってね! 見て欲しいモノがあるんだ」
「え……見て欲しいって……何ですか? 」
工作の話など全く耳に入れる気のないレイラは隙間なく喋り続けてどんどん自分のペースに持ち込んでいく。また、工作自身も他人に流されやすい性格なので「アレ」に関する話題のことなど、破裂したシャボン玉のように脳内から虚空へと消して無と化してしまったようだ。
レイラが「見て欲しい」と言って取り出した「モノ」、それは一冊の書籍だった。
サイズはA5版、表紙には瓦礫が積み重なった山の上で、ボロ布のオムツをはいて泣き叫んでいる赤ん坊のイラストが印刷されている。そして「荒廃する日本 止まらない少子化」と緊張感のある明朝体で作られたロゴがそのタイトルを明示していた。
「ねぇ先生、コレを見てどう思う? 」
レイラはその本の表紙を工作に突き付け、真剣な面持ちで意見を求めてきた。
「う~ん……この本は読んだことがないんですよ……だから何とも言えないのですが……」
「違う違う、本の中身じゃないの。この表紙のこと! 」
どうやらレイラが工作から聞きたかったコトは、表紙に描かれたデザインに関することだったらしい。工作は彼女の予想外な言葉に多少動揺を見せたものの、とりあえず真面目に分析して無難な意見を彼女に提示した。
「これはタイトルの通り、少子化によって朽ち果て、瓦礫だらけになった日本をイメージしたイラストというコトなんじゃないでしょうか? 赤ん坊だって泣いてますし……とにかく読み手に危機感と悲壮感を与えたいという意図があるんじゃないかと? 」
レイラは工作のその答えに「ハァ~……」と一言溜息を洩らし、露骨にガッカリした表情を作る。
「な……何ですか? その顔は? 何か変なコトを言ってしまったのでしょうか? 」
「違うの、あまりにも普通の答えだったからガッカリしてるの……」
「ど……どういうコトですか? それは? 」
「先生はおかしく思わないの? このイラストの赤ん坊は何でこんな場所に一人で放置されているのかを? なんでわざわざボロ布のオムツをはいているのかを? どう見てもおかしいでしょう? 親に捨てられたと考えたらこんな瓦礫の山の上に置くのは目立ち過ぎるしめんどくさいし不自然すぎますよ」
言われてみれば確かにおかしい……工作はそう思ったが、それは宗教画を見て「なぜ子供の背中に羽が生えているの? 」という疑問を持つものと同じで、抽象と写実の混同であり、彼は「これ以上は相手にしてられない」という気持ちを彼女に抱いてしまった。
「そんなコト言われましてもねぇ……」
「あ~あ、つまんないなぁ……ベストセラー作家の小泉工作先生なら、このイラスト一枚で色々と話を膨らませてくれると思ったんだけどなぁ……残念だなぁ……Disappointment(失望)だなぁ……」
工作はその言葉についついムキになってしまい、レイラから本を奪い取るように掴み取り、凄ませる表情で彼女に言い放った。
「いいでしょう! 教えてあげますよ! なんで赤ん坊がこんな瓦礫の山で一人泣いているのかをね! 」
その言葉に「待ってました! 」とばかりに笑顔で拍手を送るレイラ。小泉工作は乗せられやすい男なのだ。
小泉工作はゆっくりと語り始めた。
■ ■ ■ ■ ■
とある大型ショッピングモールにて、大規模な爆発事故があった。
建物は崩れ落ち、多くの人々がその下敷きになって尊い命を終わらせ、阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出していた。消防隊、自衛隊が総動して救助を行ったが、発見されたのは息絶えた亡骸ばかり……1ヶ月にも及ぶ救助活動もとうとう打ち切られ、あとは崩落した跡地の瓦礫の海を撤去する作業に重点を置かれ、それは1年半以上もの月日が費やされた。
しかし、事故から16ヶ月もの歳月が流れたこの瓦礫の下から、なんと二人の生存者が発見されたことで世間は大騒ぎになった。
それは一人の女性と生後わずか5ヶ月の赤ん坊。
彼女達はいったいどうやってその命を繋いだのか…?
事故当時、崩れ落ちた建物の柱や壁が重なり合い、偶然にも床面積が6畳ほど、高さが1.7mほどの地下空間が出来上がった。そしてそのスペースに二人の男女が閉じ込められたことが奇跡の始まりだ。
「私達、生きてる……? 怪我もない? 」
「運が良かったな……でもここから脱出することは難しそうだぞ」
その閉鎖空間は不幸中の幸いにも、売り場に陳列されるハズだった缶詰や水の入ったペットボトルの入ったコンテナや、外界へと繋がる空調ダクトも一緒に飲み込んだ為、空腹や酸欠に陥る心配は無かった。ちなみに、空調ダクトは犬や猫がやっと体をくぐらせることが出来るくらいの大きさで、成人である彼らがそこから外へと脱出することは不可能だった。
食料を分け合いながら生きながらえていた彼らだったが、そのまま救助の手が及ばないまま1ヶ月が過ぎた頃、残酷な現実を悟り始めていた。
「私達……見捨てられちゃったのかな? 」
国中……いや、世界を騒がせた大事件であるだろうこのショッピングモール崩壊も、さすがに1ヶ月も経ってしまった今では、救助活動は行われないだろう……と。
しかしそんな絶望の中、男は唯一地上へと繋がる空気ダクトを見つめながら一つの最終手段を女に提案した。
女はその思い切った提案に大いに迷ったものの……それを決断し、実行に移した。
「俺達があのダクトを通ることが出来ないのなら……それが出来る者を作るしかない……」
そしてその10ヶ月後、閉鎖空間の中で新たな生命が元気な産声を上げた。
その赤ん坊の両親は、閉じ込められた男と女。
なんと彼らは自分たちの命を繋ぐ為、新たな命を誕生させたのだ。
さらに5ヶ月もの月日が経ち、赤ん坊は何とかハイハイで動き回れるようにまで成長し、運命の日を迎えた。
女は自分の衣服を切り裂いてオムツを作り、その布地に『地下に閉じ込められています。助けてください』とメッセージを書いてそれを赤ん坊に履かせた。
大任を背負った赤ん坊はゆったりとした傾斜の長いダクトを四足で必死に登りきり、とうとう瓦礫の山からその姿を地上へと現した。そして初めて浴びる強い日の光に驚き、大声で泣いてしまった。
瓦礫を撤去していた作業員がその赤ん坊の存在に気が付き、彼らはオムツのメッセージを読みった。そしてすぐさま救助隊と共に、閉じ込められてた男女の救出に取り掛かる。
迅速に行われた救助活動により、その子の母親を救出することには成功したが……残念ながら父親はすでに息絶えた状態だった。
救助隊はやるせない思いで一杯だったが、一点。どうしても無視できない事柄を目の当たりにして、一同は口を塞ぐことしか出来なかった。
それは、男の両足が切断されて無くなっていたということだ。
■ ■ ■ ■ ■
「凄い……あのイラストにはそんなに思いドラマが隠されていたなんて……」
レイラは工作の話に、水の入ったコップをずっと握りしめていたままであるコトに気が付かないほどに熱中していた。そして目を見開いて感嘆し、称賛の笑顔で工作を見つめる。
「え~と……まぁ、少子化関係ないですけどね……」
工作は書籍のテーマとは全く関係ないストーリーを展開させたことと、10代(と思われる)の女の子に対して少々ヘビーな内容の話をしてしまったことを反省する苦笑いでレイラの視線に応えた。
「で? なんで父親の両足は無くなってたの? 」
参りましたね……と工作は逡巡する。ついつい勢いで心に重りが掛かるような結末を考えてしまったことを後悔した。この結末の詳細をレイラに伝えるべきかどうか……腋汗をかいてしまうくらいに悩みに悩んだ。
「えーとですね……つまり、1年以上も経てば食料も底を尽くというワケで……」
「あ! 分かった! 最後まで言わなくても大丈夫だよ、大体検討がついたから」
工作の迷いに反し、彼女の反応はあっけらかんとしていた。そして中年マスターが彼らの話の区切りが付いたところを見計らったように、レイラがオーダーした一品料理をテーブルまで運び込んできてくれた。
「待ってました! 大好きなんだよねぇ~コレ! 」
彼女はテーブルに置かれた「牛すね肉のシチュー」をこぼれるような満足の表情で一口一口堪能した。レイラの食べっぷりに、思わず工作も口の中の唾液を大量分泌させる。
そして柔らかく煮込まれたすね肉を咀嚼し、レイラは先ほどの話の結末について解答を述べる。
「先生、ようするに赤ん坊は……間接的に『親のスネをかじって』生き延びてたってコトなんでしょ? 」
上手くまとめてやったぞ! とばかりに得意な表情を作りながら、スプーンで肉汁が滴る肉片をほおばるレイラ。再び店内に幸福の笑顔が発散された。
「さすがですねレイラさん……」
工作は彼女の肝の強さと底の深さを垣間見る。
そしてその後、食事を済ませた彼女が店を出て行った時にようやく「コーヒーがオレンジジュースに変わった真相」を聞き逃してしまったことに気が付いた。
[レスキュー・ベイビー] 終わり
→次回[ストラットンゴーグル]へと続く。
工作「この話……ネタとしてとっておこう……」
■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
感想・コメント等、お気軽にどうぞ(^ω^)■■■■