第22話 レイラズチャレンジ(Bパート)
レイラが工作に近日中ブラジルへ発つことを伝えた夜から二日後。
日が落ちて闇が訪れ、肥日の風景は真っ黒なキャンバスに色とりどりの絵の具を吹き付けたかのように、夜の賑やかさを演出していた。
そんな繁華な一角のカジュアルなコーヒーショップにて、小さな丸形テーブルにしがみつくようにして、大学ノートにひたすら文字を走らせるレイラの姿があった。
「レイレイ! 何してんスか? 」
「ふぇッ!? 」
そのレイラに、一人の女性が不意打ちの一声を掛ける。集中し、自分の世界に入り込んでいたレイラを現実に引き戻した者の正体は、レイラの親友であり同期の声優仲間である「稲益由香」だった。
「び……びっくりした! 由香!? ……なんでこんなところに?」
レイラはとっさにノートを閉じ、トートバッグにしまった。由香はそのノートの内容に疑問を抱くよりも、彼女の慌てぶりを見てどこか安心するような笑顔をそっと作る。
「それはこっちのセリフっスよ。この席、座ってもいい? 」
「う、うん……いいよ」
由香はレイラとは向かい側の空席に腰を下ろし、手に持っていたトールサイズのカップに入ったキャラメルラテを数口啜った後、唇に残ったミルクの泡をペロリと舌なめずりし、それが引き金となったかのように口を開いた。
「聞いたよレイレイ、しばらくブラジルに行くんだって? 」
「あ、うん……ちょっと家庭の事情でね」
レイラはブラジルに帰郷することを事務所には伝えていたが、由香本人にはまだ直接伝えてはいなかった。
「教えてくれればよかったのに。今日初めて知ったよ」
「うん、ごめん。由香、忙しそうだったから……」
「ふーん……」
由香は再びキャラメルラテを啜り始める。レイラはその姿をどことなく気まずそうに横目で観察していた。
「レイレイ……あのさ……」
「何? 」
「その……もしかして最近……ワタシのこと避けてる? 」
由香のその言葉に、レイラは露骨に目を泳がせて動揺する。まるでゴミ箱をイタズラしているところを飼い主に見られた犬のように。
「い……いや、そんなことは、そんなことはないよ! ただ、たまたま、たまたま顔を合わせる機会が少なくなっちゃっただけで……」
言葉を詰まらせながら弁明するレイラ。誰がどう見てもその言葉通りではないのは明かだったが、由香はあえてそれ以上言葉を突っ込むことはしなかった。
「それならいいッスけど……ただ……」
「ただ? 」
「前にワタシが貸した逆転ゴーグル……そろそろ返して欲しいな。って思ってさ」
「ゴーグル……!? え……あ! アレ? アレならその……ごめん! もうちょっと待って! 近いうちには返すから! 」
由香から借りた逆転ゴーグルは青木ヶ原樹海の一件で、工作が矢加部太郎に無理矢理装着してそのまま紛失していしまっている。それは下手をすれば警察に押収されて、レイラと工作は、指紋等の証拠から自分達に警察の手が回ってこないかを心配していた。
それを今返して欲しいと言われてしまってはレイラはさらなる動揺を見せざるを得ない。空になったコーヒーカップに口を付けてはすぐ離し、手元にある紙ナプキンをグシャグシャに握りつぶした。“焦り”を絵に描いたような慌てっぷりだった。
「ははっ! いいッスよ! そんなに慌てなくって! 別にそこまで大事な物じゃないッスから! 」
由香はそう一笑しつつ、席を立って踵を返した。
「あ、由香? もう行くの? 」
「なんだか取り込み中みたいだから、今日はもう帰るッスよ。ブラジルから帰ってきたらまた連絡してね」
「由香……! あの、あのね! 」
レイラも立ち上がって彼女を引き留めようとするが、由香は「またね! 」と一言、そのままレイラを振り切るように店から出ていってしまった。
「はぁ……」
由香の姿が見えなくなり、久々に会えた親友との会話がそっけなく終わってしまったことを残念に思ったレイラだが、それと同時に少しだけ自分が「ホッ」としていることに気が付き、罪悪感を覚えていた。
由香にだけは見せられないよね……コレ……
レイラは再びトートバッグから大学ノートを取り出し開く。そこには彼女によって書かれたアルファベットの文字がびっしりと敷き詰められている。
もうひと頑張りしなきゃ……!
レイラは再びノートと顔を合わせてペンを走らせる。片手にはスマートフォンが握られていて、彼女はその液晶画面には日本語で書かれた原稿と思われる文字列が表示されている。
こんなコトしてるなんて、由香にだけは極力知られたくない。
レイラがつづっているのはポルトガル語。その内容は未だ公式では世に出ていないハズのMEOGエピソード7の小説版だった。
MEOGは由香にとっては、初めて大作映画に抜擢された出世作だ。レイラはそれを今、新たな形へと生まれ変わらせようとする真っ最中だった。
「明日までに……何とか仕上げなきゃ……! 」
■ ■ ■ ■ ■
「え!? わ、私がMEOGの小説を書くの!? ポルトガル語で!? 待って待って先生! そもそも日本語版の小説だってまだ出てないんだよ!? 」
叔父のマーカスのMEOG最新作を楽しませてあげたい! そんな要望に対し、工作から提案されたアイデアとはまさしく……
「そうです! とはいえ、さすがにレイラさん一人で執筆するのは難しいでしょう! だからその原案となる日本語版の小説を僕が書きます! そしてレイラさんがそれを翻訳するんです! 」
「か……書くって? 先生が!? 」
「はい! 実はもう僕、MEOGエピソード7を映画館で5回見てるんですよ! 内容はすべて頭に入っています! それを文字に起こして小説の形にすることぐらいたやすいですよ! 」
「え、嘘……5回も……? 」
一度のめり込むとトコトンハマり込む工作の性格に呆れるのと共に、映像作品から文章を引き出してそれを形にするという高度な技術を“たやすく出来る”と豪語した彼の執筆スキルにレイラは感嘆の念を抱かずにはいられなかった。
「“逆バコおこし”ってヤツですよ。既存の映像作品を観ながらストーリーを文字に起こして、シナリオの構造を分析、理解する……これは脚本家の卵がライティング能力を鍛える時に使う手法なんです。実を言うと僕はMEOGを観ながらこっそりとメモ帳でそれをやっていたんです。だからもうプロットは出来ているようなモノですよ」
「映画館でそんなコトを……っていうか先生、大丈夫なの? 」
「大丈夫です。執筆時短の為に出来るだけ細かい描写をカットして、難しい表現も極力省いて書きます。ですがキモとなる話だけはしっかり伝わるようにしますので、翻訳にそこまで手間を取らせないつもりです。文字数も出来るだけ少なくします! 」
「いや、私が大丈夫なの? って聞いたのはそういう意味じゃなくて先生だって仕事があるだろうからってことで……」
レイラはようやく気が付いた。おそらく工作は、叔父のマーカスの為、レイラとマスターの為云々以前に、自分の手でMEOGの小説版を手がけられる機会が出来て嬉しいのだろう。
工作のその態度は不謹慎で不純とも言えるが、その良い意味での無神経さが彼が小説家たらしめる魅力でもあることをレイラは理解していた。
やっぱり先生は、先生だね。自分のやりたいことに正直で、まっすぐで……
そうと分かった瞬間、今まで意気消沈して気持ちが塞ぎ込んでしまっていたレイラも、頬をゆるませて小さく笑い声をこぼさざるをえなかった。
「レイラ? 」
「あ、ごめんねパパ。こんな時に笑っちゃうだなんてね……私もひょっとしたら先生と同じ気持ちなのかもしれない」
「小泉先生と……? お前……? 」
その時マスターは、レイラの表情を目に入れた瞬間“怖気”のようなモノを感じてしまい自分の情緒を疑った。
愛娘の顔を見て動揺してしまうなんて日がくるだなんて、コーヒーカップの茶色いシミほどにも思っていなかったマスターにとって、プロ声優として仕事に臨む時のレイラの真剣な顔はあまりにも刺激が強すぎた。
前を見ているのに前を見ていない。それはまるで、彼女にしか見ることが出来ない幽霊に向かって睨みつけ、宣戦布告しているような面持ちだった。
「先生、わかったよ。MEOGの翻訳、私やってみるよ! ……で、大事なのはその後ってことだよね」
レイラは普段の天真爛漫な雰囲気とは違った、アスファルトに走る亀裂のようにシリアスな発声で工作にそう言った。
「そうです。僕の提案はレイラさんにはかなり大変なコトをさせるコトになりますが、それがマーカスさんを元気付けるには一番だと僕は思っているんです」
「うん。つまり、私がマーカス叔父さんに向けて、ポルトガル語に翻訳したMEOGの原稿を全部朗読する。ってことだよね……もちろんポルトガル語で……」
「その通りです」
「ちょっと待ってくれ先生! 」
たまらずマスターが間に入って二人を制止させようとする。もう彼の身体からはタラモアデューによって得た酩酊感は吹き飛んでいるようだった。
「先生、マーカスはあと一週間もつかもたないか、って状況なんです。それに、東京からブラジルにまでは最低でも20時間以上掛かるんです。本当なら明日にでも向かいたいところなんです、時間がないんですよ! 」
シラフ状態のマスターがここまで声を荒げることは珍しかった。しかしそれは義弟が危機的状態であることを考えれば当然のことで、そんな切羽詰まった中で工作とレイラが今から一冊の小説を作り上げよう。などと話しているのであればなおさらだ。
「大丈夫ですよマスター。……一週間……いや、3日もあれば全て準備は整うハズです。ですよね? レイラさん」
「うん。だからお願いパパ……私もすぐに追いかけるから、先に一人でブラジルに行って、ママとマーカス叔父さんを助けてあげて」
「レイラ……お前……大丈夫なのか? 」
「心配しないでパパ。きっとうまくいく……これは私にとって……大きな挑戦なの」
■ ■ ■ ■ ■
「Desculpe estou atrasado」
(ごめん、ちょっと遅れちゃった)
レイラは軽く謝罪しつつ、白く光沢のあるカーテンを開く。その向こう側には、ベッドに横たわるやつれた中年男性が一人。
「Quanto tempo Leila. Se você ouvir essa voz, você sabe quem é.」
(久しぶりだねレイラ……その声だけでわかる)
「Queria conhecer você, tio Marcus.」
(会いたかったよ、マーカス叔父さん)
レイラが今いる場所は、ブラジル・サンパウロ市の総合病院。彼女の叔父であるマーカスは、ここに入院して治療を受けている。
彼女の手には一冊の大学ノート、それが工作と共に作り上げたMEOGのポルトガル語版小説の原稿であることは言うまでもない。
「Leila……Você trabalha duro como dublador? 」
(レイラ……声優の仕事は上手くいってるのか? )
マーカスは視力を失った瞳を彼女の方へと向け、震える身体で全霊を込めた笑顔を作った。頬は痩せこけ、黒々と光沢のあった髪は白髪が混じり、病衣の袖から突き出した手は枯れ木のように細く変わり果て、彼の生命の灯がもう長くはないことは誰が見ても明らかであった。
「Sim, estou fazendo o meu melhor.」
(うん……頑張ってるよ)
そんなマーカスの姿にショックを隠し切れず、思わず泣きだしてしまいそうになってしまった彼女だが、なんとかそれを堪えて無理矢理笑顔を作り上げた。マーカスには彼女の姿は見えないワケだが、それでもレイラは彼に悲しい雰囲気を察して欲しくなかった為、感情を無理矢理押し殺した。
「Tio. Eu trouxe um belo presente hoje.」
(叔父さん、今日は素敵なプレゼントを持って来たんだ)
レイラは傍らに置かれた簡素なスツールに腰かけて、愛用のボイスレコーダーの録音スイッチを起動。そして膝の上にノートを開くとそれにびっしりと書かれた文字を読み上げ始めた。
「Esta é a história de uma galáxia distante que não conhecemos há muito tempo.」
(はるか昔、我々の知らない銀河の果てで……)
その一文を口にした瞬間、マーカスは先ほどまで鉛のように重かった身体を一変させ、俊敏な動作で上体を起こしてレイラの方へ前のめりになった。
「Isso é verdade!」
(まさかそれは!)
「Este é um Main Event of Galaxy que meu tio ama! O que estou lendo agora é o trabalho mais recente.」
(叔父さんが大好きなMEOGだよ! 今から読むのはその最新作)
「É um Episódio 7? 」
(エピソード7なのか? )
「Isso mesmo! 」
(その通り! )
「Você vai ler tudo de agora em diante?」
(それを今から全部聞かせてくれるのか? )
「Claro! 」
(もちろん! )
マーカスはレイラのその言葉を聞くと、感極まって涙を流し始めた。鑑賞を完全に諦めていた映画の小説版を、これから最愛の姪が語り聞かせてくれる。彼にとっては天使が舞い降りて思し召しを授けてくれるようなもの。
そんなマーカスを落ち着かせるように、レイラはそっと彼をハグをした。
自分が声優になったのは、今日この日の為だったのかもしれない……例え、明日朝起きたら声を失っていようとも一切の後悔がないよう……今持てる最高の声と演技で、叔父を楽しませてみせる!
「Esteja preparado para ouvir por um longo tempo.」
(今から長いよ? 覚悟してね)
「Eu quero isso Eu continuo ouvindo por horas.」
(望むところだ。何時間かかってもいい)
そしてレイラは、その後5時間に渡りMEOGを朗読し続けた。
情景描写ではボイスパーカッションのように効果音を表現して臨場感を高め、登場人物それぞれの台詞にも声色と演技を変え、目の見えないマーカスの脳内に直接そのビジョンを浮かび上がらせるような工夫を幾重にも凝らして演技をした。
これが、今私が出来る最高の演技。何度もオーディションに落ち、何度も失敗した私だけど、今この場でマーカス叔父さんの前で作り上げる世界だけは、どんな大御所声優にも負けない自信がある。
私の声と演技…そして先生が書いてくれたこのシナリオで……マーカス叔父さんに今だけ、この時間だけ……現実を忘れさせてあげるんだ!!
私は「山東恋空」……プロの声優なんだから!
レイラがマーカスにMEOGを朗読し終え、その一週間後……
マーカスはこの世を去った。
彼の担当医は後にレイラにこう伝えた……
『あの時のマーカスさんの容体から、一週間も延命出来たことには信じられませんでした。彼は亡くなる直前まで、ボイスレコーダーに録音していたあなたが朗読を繰り返し聞き続け、最期は穏やかな表情で旅立ちました。マーカスさんが苦しまずに人生を終えられたことは、全てあなたのおかげです……あなたの声と魂が、彼の生命力の炎を再熱させたのです。これは、医者である我々にはできないことです。あなたのような一流のエンターテイナーだけが起こすこが出来る……まさしく奇跡と呼べるモノです』
[レイラズチャレンジ] 終わり
→最終回[小泉工作とレイラさん]へと続く。
ポルトガル語部分はグーグル翻訳丸出しなのはご愛嬌……(;´∀`)
次回で最終回……の予定です。
■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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