第1話 デンソー・ダンジョン
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。それ以降はイマイチパッとしない。最近バリウムを初めて飲んで、予想よりも普通の味だったコトにがっかりしたらしい。
・レイラ[1?歳]
ファーストネーム以外が全て謎に包まれているミステリアスな女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。工作は彼女が日本と南米系の混血だと睨んでいる。
・マスター[50代後半?]
喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。クラシック曲の名前を店名に使っているが、本人はロックとR&Bを愛聴している。好きなミュージシャンはレイ・チャールズとチャック・ベリー。
小泉工作と丸型テーブルを挟んで向かい合うレイラ。彼女はオーダーしたホットコーヒーを一口流し込み、もう一度彼を惑わすような目つきでこう言った。
「面白い話、聞かせて」
工作は心底困り果てていた。面白い話を考え、形にすることは彼の家業であることは間違いないのだが、それもやはり「仕事」。今はそのコトを忘れてリフレッシュする為に、この喫茶店「展覧会の絵」にて甘いカフェオレを無心に啜りに来ているのである。
「ごめんねお嬢さん……。今は僕、仕事で忙しいんだ……サインなら書くけど」
「えぇ~……そうなんだ……残念だなぁ」
彼女は大げさなくらいに眉毛を八の字に作り、その感情をこれでもかと工作に伝えた。彼はそんな彼女の姿を見て「洋画に出てくるキャラクターのようだ……」と感じたらしい。
「そうですよ……大人は忙しいんですから…………ん? 」
レイラを軽くあしらおうとした工作だったが、突如目の前で起こった大きな変化に目を疑わずにはいられなかくなってしまった。
あれ? 彼女のコーヒー……どこにいった?
レイラが先ほど口にしていたコーヒーカップの中身がどういうワケか変わっていたのだ。その液体はカラメル色のコーヒーではなく、陽気な橙色のオレンジジュースへと少し目を離した隙に一瞬で変化していた。
「どうしたんですか? 工作先生? 」
彼女は何一つ表情を変えることなく、そのコーヒー……いや、オレンジジュースを飲み始めた。
気になる……
小泉工作はレイラに少しだけ興味を抱き始めた。「その早業の正体、絶対に聞きだしてやる! 」そう思ったらしい。
「いいですよ、レイラさん。一つ面白い話を聞かせてあげますよ」
「ホント! 」
彼女は自分の願いが聞き入れられたと知ると、そのカップに注がれたオレンジジュースのような明るく眩しい笑顔を彼に振りまいた。工作は少しだけその表情に見とれてしまっていたが「いかんいかん……」と我を取り戻し、少し真剣な口調で彼女に取引を持ち掛ける。
「その代わり、君のコーヒーがなぜオレンジジュースに変わったのか……その秘密を教えて欲しい。いいかな? 」
「え? コレ……? いいけど……そんなんでいいの? 」
レイラにとってはその「変化」はとるに足らないモノだったようだ。少し拍子抜けしたような口調でアッサリと工作の交換条件を了承してくれたが、彼女のその態度は工作の興味の食指をより一層激しく動かした。
「よし! それじゃあ、話を始めようか」
小泉工作はゆっくりと語り始めた。
■ ■ ■ ■ ■
ある一つの噂があった。
それは都内某所の寂れた公衆電話でナンバー「0」を1分間押し続けることで悪魔と交信出来るというオカルトじみた話だった。
そして、その悪魔と交信できた者は「勝てば1億円が手に入り」「負ければ命を落とす」という裏世界のデスゲームに参加することが出来るという、これまた信じがたい噂もあった。
にわかに信じ難いそんな話を耳にした「ある男」は、多額の借金返済の為に藁にもすがる思いで公衆電話へと足を運び、ナンバー「0」を1分間押し続けた。
噂は本当だったようだ。
彼は受話器から発せられた特殊なガスによって意識を失い、しばらくして再び目を覚ました時、見知らぬ場所に寝かされていたことに気が付く。
そこは天井と壁、そして床も全て、サイコロを展開したかのように大きな1.8m四方の白いタイルを敷き詰めて作られたような「巨大迷路」だった。
彼はもうすでに自分が「裏世界のゲーム」に参加させられていることを理解し、急いで周囲を見回した。すると傍らに自分の携帯電話と一冊のノート、そしてボールペンが一本無造作に置かれているコトに気が付いた。
携帯電話は案の定電波が繋がらず、役に立たない状態。そしてノートの方には、1ページ目に大ざっぱなフリーハンドで『ここから脱出しろ』と書き殴られていた。
ゲームの趣旨を把握した男は、ノートに地図を描きながら迷路内を探索することにした。
そして30分ほど歩き回り、その出口はあっさりと見つかった。
「楽勝じゃねぇか! 」と男が安堵したのも束の間、出口と思われた扉には電子パネルによって入力する4ケタの暗証番号のロックが掛けられていたのだ。そしてその重い鉄製の扉にはこんな文章が書かれた張り紙がされていた……
『一度でもパスワードを間違えたらゲームオーバー。ヒントは迷路内にアリ』
「くそっ! 」天国から再び地獄へと落とされた男は、ヒントを探すためにもう一度迷路を彷徨うことになった。
そして10時間もの長い刻が経過したが、男は未だにヒントを得ることが出来ずにいた。
空腹と疲れが、彼の体を衰弱させる。このままでは迷路に閉じ込められたまま野垂れ死んでしまう……彼は焦り、正常な判断が出来なくなっていた。
「もういい! ヤケクソにパスワードを入力してやらあ! 」と、持っていたノートを床に叩き付け、運任せに電子パネルを入力しようと指を伸ばしたその時……彼はようやく気が付いた。
足元に落としたノートに描かれたこの迷路の地図が、「何かに」似ているコトに……
「まさか……!? 」
男の予感は的中していた。それを裏付けるように、地図を描くために使っていたノートは「方眼の罫線」が引かれている仕様の物だった。そして何故自分の「携帯電話」が没収されずにそのまま残されていたのか? 何故この迷路は正方形のタイルを敷き詰めたような作りになっているのか? その理由もハッキリと理解した。
「間違いない……! 」
水を得た魚のように、男は再び迷路内を探索する。今度は、地図を「線」を引いて描くのではなく、床のタイルを1枚につき、方眼のマスを1つずつ塗りつぶすようにして……
「出来たぞ! これで完成だ! 」
数時間掛けて作り上げられた地図。それは真上からこの巨大迷路を見下ろした図となり、その形はまさしく「QRコード」そのものだった。
「やったぜ! これで外に出られるぞ! 」
「1億円は俺の物だ!」とばかりに逸る気持ちを抑えながら、男は携帯電話を使ってQRコードを読み取る……しかし、そこから読み取って表示された文章は、扉を開けるパスワードではなく、彼の希望を再び打ち砕く内容の残酷な一文だった。
『せなかをみろ』
「な……何だと……? 」
これはつまり、4ケタの暗証番号は初めから男の背中に書かれていたということを意味する。
服を脱ぎ、上半身裸になった彼は焦った。何故なら自分の背中を目視することは、よほど体が柔軟であるか、鏡を使わない限りは非常に困難な行為なのだから。
「そうだ! 携帯のカメラで自分の背中を映せばいい! 」
男は窮地を展開するアイディアを閃いたものの、時すでに遅し。携帯のバッテリーは今さっきQRコードを読み取った際、その息を絶えさせてしまったのだから。
「畜生! 」
男は次に排尿行為をして水たまりを作り、そこに反射した自分の背中を覗きこもうとした。しかし長時間一滴も水を飲んでいない彼は、いくら力んでもその水分を体の外に排出するこが出来なかった。
男の万策は尽きたかと思われた……しかし。
「……こうなったら……コレしかねぇ! 」
男は最後の「賭け」にでた。
「うおおおおおおおおっ! 」
彼はボールペンの先で思いっきり手首を切り裂き、それより噴出される大量の血液によって血だまりを作り、「真っ赤な鏡」を完成させたのだ。
「やった! やったぞ! 見えるぞ、俺の背中! 」
『1088』それが男の背中に書かれていた4ケタの数字。
決死の覚悟で暗号を確認した彼は、意識を必死に保ちながら素早く電子パネルにパスワード入力した。
「このゲーム……俺の勝ちだぁぁぁぁ! 」
■ ■ ■ ■ ■
「とまぁ、こんな感じで男は迷路から脱出することが出来たんですね」
レイラは食い入るように工作の話に聞き入っていた。例のオレンジジュースを一口も飲み込むことなく「迷路に閉じ込められた男」の話に夢中になり、話が終わる頃には工作に接近するかのように前かがみの体制になっていたほどだ。
「ねぇ、先生。一ついいかな? 」
彼女はこれから何か悪戯でもするかのような笑みを不敵に作り、工作に問いかけた。
「もしかしたらさ、その男……結局パスワードを間違えちゃったんじゃない? 」
「え? 」と思わず声を漏らした工作は、彼女の言葉に動揺を隠せなかった。空っぽになったコーヒーカップを唇に運んでしまう意味不明の行動に走ってしまうほどに。
「男は血で作った鏡で自分の背中を見たんでしょ? つまり数字は左右反転するからホントのパスワードは『1088』じゃなくて『8801』。暗号を間違えた男は悪魔によって命を奪われ、死体になってその迷路からようやく脱出できた……そういうことなんだよね? 」
工作はしばらく無言で動かなくなった。まるでビデオで『一時停止ボタン』を押したかのように、小泉工作の世界はしばらく停止した。
「先生? 」
その姿に不安を覚えたレイラは、工作の顔の前で右手を振って意識の所存を確認した。
「………………うん……」
そして長い停止時間の後、ようやく彼は思い口を開き始めた。
「そ……そうですよ…………さすがですねレイラさん…………すごいなぁ……」
「やった! やっぱりそうだと思ったんだぁ! そうだよね! そのまま迷路から出ちゃったらつまんないもん! 」
「そうですよね……はは……そのとおりですよ……これがいいんですよ……これが……」
工作の声は少しだけ震えていた。その姿はまるで修学旅行で脱衣場にパンツを置き忘れ、集会の場でソレを晒された少年のようだった。
「あ! やっばぁ……もうこんな時間? 」
レイラは携帯電話で時刻を確認すると、途端に慌てだして椅子から立ち上がった。
「先生ごめんね、これから用事があるんだ! 今日はありがと! 」
と、最低限の言葉だけを工作に伝えた彼女はピンボールの玉が弾かれたように店の外へと飛び出した。
「カララーン! カラン……」と来店を知らせるドアベルの音色が店内を響かせた後、再びゆったりとしたR&BのBGMだけが作り出す「展覧会の絵」の日常がよみがえった。
「……なるほどなぁ……」
自分だけに聞こえる独り言を呟いた工作。それは奇しくも仕事で行き詰った悩みを解決してくれたレイラへの称賛と感謝を伝えるモノだった。
「迷路に閉じ込められた男」は、まさに今工作が執筆していた作品のネタであり、担当編集から「オチをもっとどうにか……出来ませんかねぇ……」と再考の指示を与えらえて悩んでいたところだったのだ。
さて、仕事に戻るか……
工作はいつも通り勘定をテーブルの上に置き、「展覧会の絵」を後にした。
そしてアパート4階にある自室へと向かうべく、階段を登っている途中で工作はようやく思い出した。
コーヒーがオレンジジュースに変わった秘密が謎のままだということに。
[デンソー・ダンジョン] 終わり
→次回[レスキュー・ベイビー]へと続く。
その夜、工作はインターネットにて【コーヒー オレンジジュース 変化】と検索を試みたことは言うまでもない。
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